人生を変えた女達
最近年齢のせいなんか
全く気の利いた文章が浮かばへんのと
キーボードでの打ち間違えが多くなり
輪にかけて文章を描くのが面倒くさいと言う状態に陥って
いる今日このごろ
今まで生きて来てそろそろ60年
若い奴らからしたら
もう、ジジィと言われる年になってしもた
文章を書く上で、自分の歳を何歳にでも変えて書くのは
簡単なことやが、俺はあえて現在の心境ののまま書いていくことにする
さて、「俺の人生を変えた女達」だが
俺の人生を変えれるほど
インパクトの有る女はそうそう居るものでは無く
大きく変わることになった
女、3人の
最後のH子のおかげで俺は薬物から完全に脱却したと
言っても過言ではない
俺は、ダルクや自助グループに頼らず
自らの独自の方法で離脱したが
ヘロインの夢は今現在も何度も見る
ヘロインの切れ目の苦しさで目が覚める時も多々ある
それに、フラッシュバックが強烈で
全く別の次元に行ってしまうような事も頻繁に起こる
シャブは目の前に出されても
今では行く気はしないが、ヘロインだけは多分無理だ
現在はパカも金を出してまで吸いたいとも思わん
シャブは考えるだけで気分が悪くなるが
ヘロインだけは匂いや、感覚が今でも蘇る
もし、俺が死の病にかかったら、俺は治療をしないと言う
治療を選択し、モルヒネで気分良く死ぬ覚悟をしている
それは、家族にも伝えてある
どの女が一番ええ女やったか?
そんな愚問をするな
全部ええ女やったにきまってるやないか
諸君らにはそんな女が1人でも
いてるのならそれは幸せなことや
大事にしたりや
(笑)
ことについて書いておきたい
あハハハハハハ~~~~~
もう、こうなったらこのブログは
ほとんど俺の遺書の様なものやな、読みた無いやつは
飛ばしてくれてええので
無理に付き合う必要もなにもない
女その①
「A美」
今、俺の頭の中ではA美と出会ったときのことが
鮮明に蘇っている
彼女との出会いは四国の高知県と、徳島県の県境
東洋町と言う街で
俺は当時16歳、彼女は18歳
サーフィンをしていて偶然に出会ったそれから
プロセスがあり
彼女と付き合うことになるのだが
彼女が俺の人生をどう変えたかはのかは
今振り返って見ると
一緒にいた期間は22年
16歳~38歳まで
この間に俺はあらゆるドラッグを彼女と共有することになる
訳やが、この彼女結構強烈なキャラの持ち主で
男の様なと言うよりも
もっと男らしい竹を割ったような性格をしている
ヤクザとも平気で喧嘩するし
いわゆるぶっ飛んだ女と言うジャンルの子だ
彼女の職場は梅田の北新地で水商売をしていて
学生だった俺の金銭的面倒は彼女が
ほとんど見てくれていた
彼女とは男女の関係を超えていわゆる一緒に戦う
「同士」
と、言っても良い存在になっていて
ドラッグを商売とする俺のサポートを頼もしくやってくれていたのだが
2000年クリスマに
ヘロインのODで帰らぬ人へとなってしまった
この、話は別記事で書いているの
詳しく知りたい奴は探して読んで見てくれ
彼女との間には1人の子供が存在する
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女その②
「M美」
彼女の存在は俺にとって非常に大きな存在意味を持つのだが
現在、彼女の所在は全くの不明で
生きているの、死んでいるのかすら
俺にはわからへん
彼女と出会ったのは俺が27歳のころ
とあるデザイナー家具のレセプションで彼女と出会い
俺が一目惚れをしてしまったのが
ことの始まりで
当時俺は結婚していて、今で言う不倫
俺のもうアタックで彼女と付き合う事になるんやが
当時彼女は22歳で、デザイン事務所に勤務していた、俗に言う
「デザイナー」、インテリアの
だった
顔はかなりの美人やったが体の体型は
スレンダーで乳は貧乳で
オメコの毛はかなり濃かったのを今でも鮮明に覚えている
当時の俺の嫁は
「A美」
で
彼女の方は、顔はM美よりは落ちるが個性的な顔立ちをしていて
からだはかなりのグラマスなとってもエロい
妖艶な雰囲気を持つ女だった
話を戻すが
M美と付き合っていた頃は
俺はヘロイン全盛期で結構金の回りが良かったのと
年下女と付き合うのは初めてやったんで
俺はM美にのめり込んで言ってしまった
結局6年間も彼女とは付き合うことになるが
当然、嫁はんにもバレてしまうが
なんとか、俺は両方を納得させ
ズルズルとバレてからも5年間も付き合うことになった
M美の事は今でも鮮明に覚えてる
シャブを食わし
シャブ漬けにした、シャブセックスを完全に叩き込
結局彼女の体は俺から全く離れる事ができずにいた
彼女の母親からも
「Dちゃん、ええかんげんM美のこと開放したって」
と
何度も懇願されたので
俺は、M美に
「好きな人が出来たらいつでも言えよ」
と
言っていたが、結局は5年
A美の承知のもと
俺は、M美と付き合い続けた
金の回りは良かったが、5年もの長丁場では
金の回れへん時も多くあったが
これまた、M 美が
金の面倒は見てくれていた
で、結局、俺に子供が出来たのがきっかけで
M美と距離を置くようになったが
その後もなんやかんやで
数年の付き合いはあったと思う
忘れられない女の一人であるは間違えない
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女その③
「H子」
現在のところ
この女が俺の最後の女になる、
今回書いてるのは俺の人生を変えた女達なので
しょうもない女や、1日2日遊んだ女は全く含んでない
人生が変わったインパクト大の女だけを書いているので
あしからず
H子とは、お織れが22歳の時からの知り合いで
その後23年間の空白がある
その間に俺はヘロインをガンジャを
せっせと世界へ運んでいたので
全くもっておとさたなどなかった女だった
が
俺は逮捕され、A美はODで死に
5年間刑務所に入って出てきた俺は早速女探しを始めた
当然色々な出会い系や、当時の女絡み出会いには
飢えていたが、
俺の私物の中にノートが2冊残っていたので
何気なくペラペラとめくっていると
数人の女の連絡先、と言っても住所が書かれていた
ダメ元で俺は片っ端から
その住所宛てに手紙を書いたのが
今回のきっかけとなったんや
何日?、何週間、何ヶ月、
経ったかわかれへん頃に
H子からの急に
電話がかかってきたので、俺はビックリしたのを
鮮明に覚えている
23年振りのことである
彼女には子供が2人おり、旦那も存在していたが
この電話をきっかけにメールや、電話のやり取りが
始まることになった
お互い今までの経緯や、経験、生活を話したが
俺は包み隠さずに正直に
今までのことを彼女には伝えた
それで拒否られれば仕方ないし、隠したままの
付合など俺には考えすらあれへんかったからな
しかし、H子は全てを受け入れてくれたが
彼女には旦那さんがおる
しかし、よくよく話を続けて行くと
今は別居中だと言う
離婚に向けての話し合いの最中だと聞かされた
それは、最初の電話から1ヶ月した頃の事で
彼女が大阪に来ると言い出した
そして、俺は23年振りに彼女と新大阪で
会った
彼女は特別にべっぴんさんで、俺には勿体ないほどの
ええ女やったのを
憶えている
あまりの緊張で2泊した彼女とのセックスは
残念ながらでけへんかった
極度に緊張するとチンポは勃起せへん事を知る
その後、毎月に1回彼女は大阪に来るようになり
旦那とは別れ
子供を残し
大阪の俺の所に住まいをを移し一緒に住むことになり
その4年後、籍を入れ結婚することになる
そして、彼女とは今も一緒に生活している
現在は神奈川県の彼女の家と
インドネシアの俺の家とでの生活を
満喫している
人生とは本当に不思議なもので
人と人との出会い
縁
と、言うものが己の人生に与える影響はかなりんのパーセンテージを
占めると思う
数年前までは俺がインドネシアのこんなところで
こんな事をしているとは夢にも思えへんかった
日本でも結構時間に追われない優雅な生活をしている
当然ドラッグは全く(嘘になるが)やってないと言っても過言ではない
俺はこの3人の女達に感謝し、出会えた事を
心から幸せと思う
今、生きていること自体が不思議なやのに
俺はなんて幸せものなのか、つくづくと思う今日この頃である
長文付合い、サンクス!!
ほな
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