俺が初めてヘロインをしたのは
18歳の時
インドネシアでパカに混ぜて吸ったのが
何もかもの始まりだった
その後、アメリカに行き数度
ヘロインをやったが
気持ちが良いと言うのには程遠いもので
嘔吐を繰り返す苦しい思い出しか
記憶にはないのが正直な
感想だった
後に帰国し
大阪でアパートを借りた、
24歳の時だった。
パカとコーク、LSD、マッシュルーム、DMT
の
密売をしていた頃
タイからYと言う女が帰国してきて
俺の部屋に転がり込んで来た
その女が大量のヘロインとブッダスティックを持っていて
それからが、俺のヘロイン人生がスタートする
細かい事は後々書いて行くが
フィニッシュしたのが
48歳
なんと、24年間ほぼ毎日ヘロインを欠かすことはない
日々が続く
注釈を入れておく
この間に逮捕4回され
合計で5年間はヘロインのない生活の期間があるが
それ以外はほぼ切らした事がないのが
現実である
ヘロインの供給はタイのチェンマイにいる
当時、シャン州独立解放戦線
と言う
クンサー率いる山岳ゲリラのチェンマイ資金調達役の
人間
KさんとTと言う
気のいい仲介者からヘロインを買っていたのだが
彼らは途中で殺されてしまう
その後、Tの奥さん、お母さんのAから
仕入れるようになる
クルンテンプール(バンコク)
では
アフリカの密売組織の
ラバー(仮名)から買い付けていた
商品のクオリティーはやはりチェンマイのヘロインの方が高いのだが
クルンテンプールで仕入れる方が
帰りの税関の通りが良いので
ラバーから仕入れる事も多かった
大体1回の仕入れはおおよそお500㌘
基本はボディーパッキングだが
これが結構キツイのだ
そこで考えたのがベビーパウダーで
丁度、500㌘のボトルがあったので、12本まとめて
サンプルで送っていた
バレた事はない
さて、500㌘をいくらで仕入れていたか気になるところやろが
バンコクで仕入れるとおおよそ
90万
(当時レート)
(当時レート)
チェンマイで
70万
コレを日本で卸すと
1500万
になる
プッシャーは1㌘、3万円で仕入れそれを
6万~10万で売る
プッシャーによっては
純度がほぼ100%に近いので
倍に薄めるので
㌘あたり
4万~8万X2で売ることになる
最末端価格で500㌘のヘロインは
5000万に
化けてしまうのだ
計算上は上記の通りなのだが、そう上手くはいかない
何故?
自己使用分があるからだ
次に仕入れに行くまでほぼ1~2ヶ月で
100㌘~200㌘
は、自己使用や、客を増やすためにダダでやり
中毒者を増産するのに使うからである
あ~、疲れて来たんで
今日はコレで終わる
to be continued
D