DATE: 06/28/2015 06:44:17
俺は、「かち割り」事件で
5年の懲役に出かけた、復讐もままならず
その間に
最愛の相棒である
嫁
を、ODで亡くした
世間ではこれを悲劇と言うらしいが、俺にとっては予測通りの結果であり、
何も、悲劇ではなかった。
ただ、寂しくなったと言うだけで
次のステップへと旅立ったのが必然的に
この時期と重なっただけであった。
が
一筋の涙が意志とは関係なく流れたのもまた、事実である。
17歳の時からの相棒であり、パートナー
なんやからそれなりの情もあるんは当たり前やろ。
ちゃうか?
凡ミスで、私服に捕まり覆面の窓から飛び出し逃げた時も
助かったのは彼女のお陰である。
しかし、死人の事をいつまでも引きずっては前には進めない。
怒りに変え、
俺は、これから始まる5年間の懲役生活に備えた。
5年は長いが、こうし過ぎてしまい、文章に書くと
なんと、
「あっと言う間である」
出所の時が来た。
弟が、全く似合わないベンツSL500でのお出迎えである。
担当が数人出てきて、あれやこれやと質問していた、
俺は、
「2度と来んからなぁ~」
と
言い残し型遅れのSL500地上すれすれの玉虫色した車の助手席に乗り込んだ
手紙や、面会で聞いてはいたが、
今度は、オカンである、
くも膜下出血で倒れ、なんとか命は助かったものの植物状態である現実が俺を待っていた。
出所後
1年間は母親の介護の日々を過ごし
なんの因果か
日本有数の大手大企業の商品管理部門への就職が決まり
2年間働いた
そして、5月にとある運送屋に就職
パクられる前とは全くのかけ離れた生活
俺は、時期をひたすら待っていたのだ、
と
ここまで書くと、
真面目な生活を送っているように思われるかしれないが、
同時に、今回の事件で
大拘で知り合った、大物密売組織のBoss
Tさん、の下で店番の仕事もしていた、
店番とは
客からの電話受けの仕事で
受けるだけなので、どこにいても出来るメリットがある
受けた注文を
大国町にある密売所に電話し伝えるだけの仕事なんで
正規の仕事をしながらできる、
正規の仕事終わりには
事務所に出向き品物のパケ作りをする。
萩ノ茶屋にあった、当時
今はもうない、○〇○組のれっきとした組織の
システマナイズされた密売組織の一員であった。
トラックに乗りながらこのシノギをこなし
当時、400万程の蓄えができた。
Tさんからの独立を目論んでいた
大国町の事務所はこの頃非常に寒かった
常に、当局の監視下にあった。
府警本部の張り込みは直ぐに分かる。
常に見張られていた、
それを、Tさんに報告はしていたので、
事務所を引っ越すことになり、
岸里へ移った、
引越しといっても荷物などないので、監視カメラや防犯機器とアタッシュケースいつである。
ギリギリセーフ
案の定、越した次の日にガサに来た。
もぬけの殻である。
そんな、危ない橋を渡ってたんやが、
本来組織を嫌う
俺
潮時と思った。
と、同時に
待っていた、時期がやって来たんや、
組織には属さない大物密売人の
Sが8年の懲役を終え出所してきたのだ
早速俺は、Sの下で
と
言うか
卸業がシノギのS
そこから、20をツケでもらいTさんの客から自分で販路を
広げ、プッシャーの再開である、
これは、今までとは全く違うプッシュで
客はツレではなく
客
そう
単なる客
確実な末端の客相手の商売、ビジネスとなった。
俺は、トラックに乗りながら
同時にこのビジネスをやった。
時間は朝~24時
品物を常に携帯していたことから、
俺にコンタクトさえできれば、
当時は、93、品物、X、コーク
待つことなく客は手にできた、
そんな噂を聞きつけたのが
「遠藤」
夫婦であった。
さて、ここから、怒涛の遠藤と俺の心理戦争が始まるのだ。
つづく