2022/11/14

I grew up environment 【ผมเติบโตขึ้นมาสภาพแวดล้อม】② (BU)

 中学校時代

(1970年代)


俺の人生の中で最悪最高に輝いていた時代ではないだろうか

大阪市内でも

いやいっや、大阪府内と言える


の中でも5本の学校に選ばれても良い

ふふふfffっふ

期待を裏切るが、橋下徹が出た高校への進学率

No1

の進学校であると共に

戦後、最悪の学校とも言われ、その悪さ故

学校の行事毎の度に

機動隊のバスが5台はやって来ては

先生達を守るその行為は

13→15歳の悪ガキと

衝突すると言う、戦争を繰り返すのが恒例であった

大阪でも指折りの中学校だった。



機動隊との戦争?

言うまでもなく、ガキ軍団の連戦連敗であるのは言うまでもない

所詮ん子供だが

当時はナイフの規制がなく学校に持っていくのは普通の事で

鉛筆を削るのに主に使用されていた


鉄パイプの携帯も規制がなく

水道管や釘を打ち込んだバットや

匕首を持つ者もいたが、匕首は見つかると取り上げら対象になるが

オヤジの合口(匕首アイクチ)を取り上げらるわけには

いかず、また、取上げると

オヤジが怒鳴り込んでくる様な家庭が多く

先生も簡単には取り上げる事はできず

困り果てている様な時


学校の中に交番ができた。


交番は出来た次の日には破壊され

しばらくは、廃墟と化したが

数ヵ月後

交番全体を特殊な金網(鉄線に釣針の返しの付いた針が付いている)

で覆われた、新しい交番が出来た


これで、この中学校が何処なのか特定できるな(笑)


マンモス学校で1学年14ものクラスがあり

全校で2000人近くいた

1学年に俺の属する不良グループは

40人ほどおり

全校で

最悪のグループは

100人程のピラミッド型の組織となっていた

全員が柔道部所属である


他にもグループはあったが

それは、陰険なイジメのグループで

暴力や、恐怖で何事も解決する俺らのグループよりタチの悪いもでもあった


色んな事したが、メインは他校との喧嘩やが


俺が1番のお気に入りが

物干し竿の先にカマを付けた薙刀の様な物で

走行中のパトカーの赤色灯を

狩り取る、その遊びが最高に楽しく家には戦利品の

赤色灯がドンドン溜まっていった


それと、巡回中のパトカーに石を投げ

飛び出してきた警官のヘルメットを強奪する

これも、ガキでも人数が集まれば

2人位の警察官を押さえつける事は容易く

チャカを取ろうとする奴もいたが、

流石に、チャカを奪うと

警察も全精力をつぎ込み取り返しに来るので

ヘルメット、警棒、ワッパ

が戦利品になり



家が満タンになるので

西成のドロボウ市に売りに行くと思わぬ大金が手に入った


その頃に

トルエンなるゴム糊

接着剤G10

奏して

「梵」

(ボン)

と言われ


今、人生50年を超え振り返り、経験したあらゆる

ドラッグの中で1番最悪で、強力な

薬物であろう

有機溶剤と人生で初めて出会っていたのだ


これを超える

ドラッグには出会った事がない

それはこの世の最悪のドラッグであった

 

14の春の木漏れ日が眩しい

クリアーな日だった。


To be next

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