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2019/05/02

プッシャー、スマグラー IN HAWAII ② 「12/26/2013=BU」

あまりの居心地の良さに、気がつけば3ヶ月が過ぎていた。
サンディエゴに行くのも忘れ、、、、


ビーチ、サーフィン、ドラッグ三昧の日々を過ごしていた。
アロハパシフィックはジャンキー達にはもってこいのホテルで、
ホテル内で何でも手に入れることが出来るのだ。


毎日ビーチに出ていると、おのずと顔見知りができてくる。
ポン引き、ガンクラブの人間、ビーチボーイ、プッシャー、ガールズ、




その頃俺は財布の中身が心細くなってきており、そんな中
ポン引きの N と仲良くなりポン引きの仕事に誘われる。


ポン引きの仕事とは、店のシステムを書いたカードに自分の名前を書き
そのカードを観光客相手に配ると言うもので、


客から電話があるとカードの名前で、歩合がもらえる仕組みになっている。


客が120ドル払う、店が15ドル、女の子が35ドル、ポン引きが35ドル、事務所が35ドル
取るという仕組みになっている。


それと、ドライバーと、ハウス番が1日35ドルの日当が出る。
この日当は、事務所が払うことになってる。




俺は、1日おきのドライバーの仕事をしながらポン引きをした。




ドラーバーの仕事は、客から電話が入ると事務所からビーバー(ポッケっとベルのようなもの)

に連絡が有り、客のホテルまで迎えに行きダウンタウンのはずれにあるハウス(店)
まで、送迎するという内容だ。


これが、結構な稼ぎになる
最低でも1人は入る、
平均すると1日2~3人、35ドル~105ドル
ドライバーが35ドル入るから
1日最低でも75ドル、多くて140ドル
当時のレートが、1ドル269円だったので、円に換算すると、
9100円~36400円の稼ぎになる


それに付け加え、ストリートガールと契約結べば、
女に、45ドル渡せばいいので、75ドルのピンハネができる。


しばらくポン引きをして貯めた金でパカロロを1パウンド、それも、ハッシュバッズ
買い、
ポン引きの客相手にパカを売るという行動に出た。


この商売を始めたのは多分俺が最初だと自負している。

2019/04/30

プッシャー、スマグラー IN HAWAII 「12/23/2013 バックアップから」

1983年当時、俺はとある理由から HAWAII に行くことになる。

当時大韓航空撃墜事件があり サンディエゴに向かう予定っだのだが、


HAWAII経由のついた格安チケットを手にしていた俺は


何も考えずに、一人HAWAIIに寄ることにした。
ホテルも取らず、何のあてもなく、HAWAIIへと旅立った。
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飛行機は12月24日とあって、満席状態で、
俺はその中から目ぼしき、3人組の男達に声をかけ、
これからの道中の連れ合いとなり、


俺の事情を話すと快くホテルに向かい入れてくれると言う事になった。
最先は順調、ホテルは確保出来た。
ヤッタァー
俺は当時こお言う処世術には
長けていたのだ。


3人はリーダー的なリョウちゃん(あと、2人の名前は忘れた)を
初めとする3人組の同級生で、何でもHAWAIIに住んでいる
友達に会いにくと言う。


長旅は俺たちの間を急速に縮め、到着する頃にはすっかり友達感覚になっていた。
HAWAII 到着
俺はワイキキの砂浜をイメージしていたが、リョウちゃんらのホテルは
ワイキキからかけ離れた、ダウンタウンにあるパゴダホテルで、
ワイキキまで行くにはバスに乗らないといけない、
とっても環境のいいホテルとは言えず、居候の俺は文句も言えず
リョウちゃんらの行動に従ったのは言うまでもない。
取り合えず、3泊してワイキキに移ると言う事になり、俺はホッとした。
ワイキキにもいろいろなホテルがある、俺たちが選んだホテルは

アロハパシフィック

ハイアットリージェンシーの裏にひっそりとある、
名前とは違いメチャ劣悪な環境のホテル
ツインルームに男4人でチェックインした。

確かウィークリーで1週間180ドルだったように思う。

何が劣悪か、
扉には、ナイフの突き刺さった跡が無数にあり、天井には飛び散った血痕の跡が付いている様な部屋で

ベットメイクもなければ、ルームサービスもない。
幸いなことにシャワーのお湯は出た。

それに、立地条件が非常に良かった、
ハイアットの裏なんで、ビーチまでは2分

周りには、ABCストアーや、ジャックインザボックスなど
食うには困らないし、何より部屋代が安い。

そんな、こんなで、俺の初めてのHAWAIIが
アロハパシフィック
から始まった。