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2021/11/01

Meth ヘロイン in HAWAII プッシャー NG

Meth ヘロイン in HAWAII プッシャー NG 


ナショナルジオグラフィック

ドキュメント

2021/10



2021/03/17

シンジケート in Hawaii 【ヘロイン編】(BU)

DATE: 12/12/2015 07:54:47


特別編を書くが
別記事と被っているかも知れんが
ご愛嬌!!
(笑)



Hawaiiでヘロイン?
なんてと思っているハワイ通の彼方
ある所にはしっかりあるんですよ、イッシッシ------

しかし、純度は50%位の粗悪品だが
プロのプッシャーが絶妙の混ぜものの配合をするので
「ガツン」
とくる、絶品に仕上がっている

後は、
レッドロックヘロイン

字のごとく、赤い小石の様な粗悪品
2種類とも
下品なアタリがあり、下品に落ちる


さて、気になるのが何処で手に入るのかが知りたいところやろ

場所は数箇所あり

カピオラニ公園ロータリー
毎日決まった時間にやってくる
電話等は使用しない

決まった時間に現れるのを待つしかない

俺は、毎日夕方5時に歩道に座り
ブラックボディーのムスタングがやってくるのを待つ
ヘロインはゴム風船に入っている

0.25g
0.50g

上をスモールバルーン
下をビッグバルーン
と呼び

日本のヨーヨー釣り用の小さい風船に入っている
なかなか、うまいシステム
万が一には口に入れて飲み込む事ができる
すぐれものである

それから、

・・・・

急用発生

後日
このページのまま更新する
サラバ!

続き

12/12/2015 07:54:56

カピオラニ公園以外で手に入れるには
ダウンタウン

あるアパートの1階で金を払い
裏へ回る

路地の奥へと進むと、赤い字で見たこともない
漢字が書いてある
そこで、待つ


すると、3階からロープでヘロインがカゴに入って
降りてくる

なかなか、うまいシステムだ

そお言う訳で、ヘロインはHawaiiにも存在し
普通に買える

前にも書いたが
俺は、タイから純度98%のヘロインを
Hawaiiに
何度か運んだことがある


詳しくは記事を探してくれたまえ

ほとんどの違法薬物は
マウイ島
経由でオアフに来る

理由は定かではないが、巨大なシンジケートが存在する
知らぬ間に、俺もその一部と化していた事に
まだ、この時は気づいていないのだ


不幸な男である

以上


2021/03/14

シンジケート in Hawaii ③(BU)

DATE: 12/03/2015 07:30:13
-----


当時の俺の毎日は
朝8時頃に目覚め、パカを一服し
シリアルか、フレンチトーストを食い

ポン引きカードに自分の名前のハンコを押す
5-60枚のカードを持って

住んでいるエリアからワイキキビーチへと
10時頃部屋を出る


ワイキキの店がオープンしだすのが
10時頃
合わせて観光客もビーチや街へと出てくるので
大体がこの時間になる

部屋からワイキキまでは歩いて30分程
それを、カードを配りながら歩くんで
それに、ナンパもするから
到着するのは

11時半ころになる

ワイキキビーチのメインは
シェラトンホテル前

ここは、不良日本人の定位置で
派手で、ブスからかわい子ちゃんまで、大人数うの
一見、ロコか日本人かわからん集団が
陣地を取っている


俺も合流するが、
挨拶を交わす程度で

俺は、そのままカピオラニ公園の方へ
かわい子ちゃんが居ないか偵察に行く
ナンパ、ナンパ


4-5人の女グループを見つけ声をかけるねん
下心は$$$

女も4-5人居ると
1人で男が声をかけても警戒心は薄く
とりわけリーダー的存在の、彼女にターゲットをしぼり
こんな感じで切り出す


「おはよー、彼女ら何処から?
俺、大阪やねん、こっちに住んでるから
島、一周案内しよかぁ~」

オプショナルツアーでなんか島一周なんてない
あったとしても、1人100ドル以上する
それを1人50ドルくらいで話する

5人で50ドル=250ドル

車は中型キャデラックをレンタカーする
1日24時間レンタル料が
45ドル

205ドルの儲けや
それも、約6-7時間で
当時レートで5万円
美味しいバイトでなんやでこれが



ほぼ、8割の確率で商談は成立し

あくる日の朝7時から出発する
彼女らの行きたい所に行ってやるのと、
俺の秘密の穴場に連れてゆく

当然軽い目のタバコと混ぜたパカは俺のサービス
1本のみ
追加は1本ことに、10ドル頂く
ジョイントは1g で10本は巻ける
㌘=100ドル

ハッシュバッズ以外のハワイアンは
大体oz(28g)で
120-150ドル

㌘=4-5ドル

100ドルやから、やっぱやめれまへん

コースで人気は

フリーウェイでワヒアワのヘッドショップ
からの
ハレイワ⇒ワイメア⇒パイプライン⇒サンセット
軽く流し、
タートルベイヒルトンの無料の
プールでひと泳ぎ

カネオヘはら146号で山越えして帰ってくる

これが、初めてハワイに来た
バカガールには人気のコース

ハワイの達人には
MTザイアン、やカイルアの街、ダウンタウン
イロクォイポイントやマカハ
等が
人気

ぶっ飛びに来る遊人超バカギャルには
アシッド盛りのソフトクリームを食べての
ハナウマにある
トイレットボールに行けば1日は潰れる

ハナウマの夜中の駐車場は
満天の星空が
アシッドで異次元の世界にトリップさせてくれる


ハワイの遊びにはキリがない

ポン引き、ハウスドライバーの
ほぼほぼ、普通の毎日が万事こんな感じ

時の過ぎるのも早よなるちゅーもんやて。

しかし、シンジケートの手の内とは
全く気が付かないアホの俺で
あった

ヾ(@°▽°@)ノあはは

続く

2021/03/09

シンジケート in Hawaii ⑤ (BU)

DATE: 12/15/2015 06:29:00
この記事は過去記事でHAWAII編は①~⑤迄存在する
doopdaysのバックアップから
引っ張り出して書いているので
今しばらく待ってくれ
!!
_________________

当時のHawaiiにおける
売春組織の
簡単なシステムを解説してみる


ポン引き、ビーチボーイが配るカードには
ショート120ドル
価格表示されている


この120ドルの配分がどうなっているのか
を、説明しよう


<strong>●分配はこうである</strong>

ハウス=15ドル
女の子=35ドル
ポン引き=20ドル
事務所=25ドル
シンジケート=25ドル

トータル=120ドル

事務所=35ドルには
、経費が含まれる、

<strong>●経費内訳</strong>

部屋代+電話代+印刷+ドライバー+ビーバー
ハウスキーパー

と、こんな感じで経費が発生する


まー、大した経費ではない
ドライバーは
何人運ぼうが、1日=35ドル

おいしいのが、ポン引きであるのは間違いない
シンジケートは言うまでもない


ポン引きは
俺みたいに、適当にただ配るだけの
セールストークなしの
やる気なしでも

1日
1-4人客が入る
20ドル~80ドルになる+ドライバー35ドル
手の上には、最低でも55ドルは乗る
当時レートで日本円にすると

13750円~28750円/日

バイトとしては悪くない

稼ぐポン引きは、1日
2-300ドル売り上げる強者も居るんや

時間の拘束も
18時~0時迄と4時間ていどで
俺にはもってこいの仕事であった。


それの伴い
副業が付いてくる、この副業が
コレまた、稼げるんやから
ココHawaiiからは離れる事が出来なかった


クスリ
ダンス
パーティー
音楽
豪華な部屋と、プールとジャグジー
クルーザー

全てが揃っている楽園であった。

ココで培った人脈は
日本では
有り得ないほどの人脈を俺にもたらしてくれた
現在もその人脈は生きている

どんな人脈かって?


名前を聴くと誰も知る大企業の
会長・社長達の
息子・娘

ヤクザの幹部
芸能関係
日本全国の不良日本人
新地や、麻布、銀座の
飲食業界
マスコミ
現地コーディネーター
有名カメラマン
作家

等々
挙げればキリがない

それに、当時のビーチボーイも
今では、成功したものも多く、また日本に留まらず
世界各地に住んでいる

当然、今でも繋がっている


当時20~36歳

今では、皆
50~60歳以上になり


薬物業界で、上がったり、沈んだりしているのは
大勢居た中でも俺だけやった
映画「スカーフェイス」を見たんが間違いの始まりやった

この歳まで現役を貫いたのは
その俺も、5年前には現役を退き

社会貢献するなど夢にも思わなかったが
今では、俺の生きている証であり
さらなる目標でもある


あの、Hawaiiでの貴重な2年間が
今の俺の人生には
大きく影響を与えている事は紛れもない事実で


今の、若い奴らにも言いたい
日本を出ろ!
そして、世界を見て、感じ、己の経験値をupさせろ

4-7日の海外旅行は
何の意味もない、出来ればお気に入りの場所で
1年は暮らすこと。

バックパックもええやろう
ただし、半年や1年では無く5年スパンで
行く事を
勧める、パスポートは数次ではなく
ワンタイムパスポートで行く事を勧める
日本に戻るまでは
パスポートが切れる心配がないからだ


YOLO
(You Only Live Once)
人生1度きり



マインドコントロールから脱皮し
1度しかない人生

自分の好きな事を
やって、後悔なく生きろと、俺は言いたい

感性の赴くままに、自由に
この、地球と言う惑星の環境を楽しまなくて
どうするんや


なんでもええんや、自分が一番楽しい事
それをしろ

道徳など考えるな

本能の赴くままに

俺が言えるのはたった、これだけや


2019/05/04

プッシャー、スマグラー IN HAWAII ④ 「BU」12/28/2013

俺はビザの切り替えをする為に、一時帰国することになる。
その時に日本へ送ったドラッグは、
パカ=8oz、LSD=300枚、コーク=7.5g(エイス)、クエルーズ=100錠

懐かしの赤ペン


直接大阪には帰らず、東京に降り立った、
理由は、コークの送り先が東京だったために一旦東京の桜新町という所に落ち着いた。



東京には、ハワイで知り合った奴らら多くいたので、
俺が帰ってきたと言うことを聞きつけた連中が、
毎夜毎夜パーティーを開いてくれ、
気が付けば、2ヶ月も東京の街を堪能していた。



ドラッグには事欠くこと無かったが、持って帰ったコークは1円の金になることなく
消え去ってしまった。




大阪へ帰った俺は、持ち込んだドラッグをサバク準備をした。


パカは、1.5gパックを作り、¥10000で売ることにした。
グラムあたり、¥6667 oz売りは、¥15万、グラムあたり、¥5357
全部で224g
全部売れるのには一ヶ月もかからなかった。


LSDは仕入れが一枚¥500程度を¥3000円で売ったがあまりに強烈過ぎて
売れ行きが良く無く、100枚程余ってしまい自分で食う羽目になった。



毎日毎日食ってると効きが悪くなってきて、1回に3枚食いだした、
そんな状態が1ヶ月も続くと、頭がおかしくなって来だし、
脳みその中を虫が這いずり回る様になって来て、
とうとう精神科のお世話になるようになってしまった。



それは、現在までにも至っている。



クエルーズ(メタカロン)も1錠、\3000で売り
トータル1.5ヶ月程で、200万以上の金を手にした。その金は貯金して
俺は再びハワイへと舞い戻っていった。



何度となくそんな事をくり返し結局2年間、行ったり来たりを繰り返し
プッシャーとスマグラーとしての俺が出来上がった。



その頃には、貯金は1000万近くあった。一番華やかし頃っだったように思う。



帰国後も、ハワイのルートを使い、パカや、LSD等を
国際宅急便で送ってもらい、ディーラー業に精を出してた。



こうして生業としての俺の人生が決定づけられたのだ。



END

2019/05/03

プッシャー、スマグラー IN HAWAII ③ 「 12/27/2013 BU」

当時俺はローカルのハオレから
1ポンド、2000ドルで仕入れていた


単純計算すると、1g=4ドル oz=112ドル
計算になる


それを観光客にはタバコを混ぜたジョイントを1本=10ドルで、
ロコ相手には、2gパック=20ドル
1oz=220ドルでさばいていたのだ。



利益は5000ドル以上あった。


当時ハワイにはいろんなブランドのパカがあった。


ハッシュバッズ、コナゴールド、マウイワウイ、コナズピリッツ、マンゴバッズ
等、多種多様でどれもかなりのハイクオリティー


観光客、ポン引きの客だけでなくビーチでも声をかけ売り歩いた。


その中で、大阪でSMクラブをしていると言う女王様と出会う
女王様は俺のバッズが気に入ったらしく持って帰りたいと言い出した。


俺は、一つ返事でそのリクエストに承諾したのだ。

1oz=450ドル



国際郵便で送ることにし、話はまとまった。
28gものパカをどうやって送るのか、
俺には、既にノウハウがあった


まず、バッズをグラインダーで粉々にする前に、
大きな茎や枝を取り除き、グラインダーにかける。


取り除いた分目方が減るのはしょうがない、
それを、グリーティングカード大にに7gずつ、二重に真空パックする
できるだけ、凸凹の多いグリーティングカードを使う
グリーティングカードの糊付けしてある部分を剥がし、そこにパックしたパカを乗せ
再度糊付けして圧縮する。


これで完成だ。


後は、2日おきにGPOから発送するだけ、
全部で4通、無事に20日以内に到着したと、女王様から連絡があった。


この方法を考えたのもの多分俺が初めてである。


これが、俺のスマグラーとしての第一歩の仕事だった。


女王様の仕事依頼、郵送の仕事とがドンドン舞い込んできたので人を雇ったりもしたが、
どいつもこいつも使い物にならない、結局全部自分でやる羽目になっていた。



しかし、俺は悩んでいた、日本でハワイアンを売るとしたら、
粉々のパカより見栄えのいいいいバッズのまま送れないものか?


いろいろと試行錯誤して、考えついたのが「レーズンブラン」(コーンフレーク)だ。


なぜレーズンブランか?


レーズンブランはほかのと比べズッシリと重い、レーズンが入ってるから、
それに、箱に厚みがある。
この2点が決め手となった。



計算すると、ひと箱に、1oz入れても問題なさそうなので試作を作る。
バッズのまま真空パックし圧縮した1ozのパックを作り


レーズンブランの箱裏から丁寧に箱を開け、中袋を取り出す。
中袋はロウで接着されているため、
ドライヤーをあて中袋を剥がして行く、
パックが入る大きさまで剥がすしたら、約30g分のレーズンブランを抜き
貼っずのままのパックを綺麗に収める。


後は逆の工程で箱を閉じていく。


これで完成だ、出来上がった箱は他と比べてても何ら遜色はなし。
一応、振ってみるが、違和感もない。


これならいけると思い、8oz、自分用に日本に送ることにした。
レーズンブラン、24箱買いそのうちの8箱にパックを忍ばせ
商品サンプルとして、何も伝えないで友達の家あてに俺が日本に発った次の日に友人に頼み
送らせた。


国際宅急便のエクスプレスなので4日ほどで着く。


その頃を見計らって友達の家に電話したら、既に荷物は到着していた。



1984年当時大阪の北新地で出回っていたいたハワイアンはほぼ
90%俺が密輸したものだ、当時新地では1g=8000円で取引されていた。



2019/05/02

プッシャー、スマグラー IN HAWAII ② 「12/26/2013=BU」

あまりの居心地の良さに、気がつけば3ヶ月が過ぎていた。
サンディエゴに行くのも忘れ、、、、


ビーチ、サーフィン、ドラッグ三昧の日々を過ごしていた。
アロハパシフィックはジャンキー達にはもってこいのホテルで、
ホテル内で何でも手に入れることが出来るのだ。


毎日ビーチに出ていると、おのずと顔見知りができてくる。
ポン引き、ガンクラブの人間、ビーチボーイ、プッシャー、ガールズ、




その頃俺は財布の中身が心細くなってきており、そんな中
ポン引きの N と仲良くなりポン引きの仕事に誘われる。


ポン引きの仕事とは、店のシステムを書いたカードに自分の名前を書き
そのカードを観光客相手に配ると言うもので、


客から電話があるとカードの名前で、歩合がもらえる仕組みになっている。


客が120ドル払う、店が15ドル、女の子が35ドル、ポン引きが35ドル、事務所が35ドル
取るという仕組みになっている。


それと、ドライバーと、ハウス番が1日35ドルの日当が出る。
この日当は、事務所が払うことになってる。




俺は、1日おきのドライバーの仕事をしながらポン引きをした。




ドラーバーの仕事は、客から電話が入ると事務所からビーバー(ポッケっとベルのようなもの)

に連絡が有り、客のホテルまで迎えに行きダウンタウンのはずれにあるハウス(店)
まで、送迎するという内容だ。


これが、結構な稼ぎになる
最低でも1人は入る、
平均すると1日2~3人、35ドル~105ドル
ドライバーが35ドル入るから
1日最低でも75ドル、多くて140ドル
当時のレートが、1ドル269円だったので、円に換算すると、
9100円~36400円の稼ぎになる


それに付け加え、ストリートガールと契約結べば、
女に、45ドル渡せばいいので、75ドルのピンハネができる。


しばらくポン引きをして貯めた金でパカロロを1パウンド、それも、ハッシュバッズ
買い、
ポン引きの客相手にパカを売るという行動に出た。


この商売を始めたのは多分俺が最初だと自負している。

2019/04/30

プッシャー、スマグラー IN HAWAII 「12/23/2013 バックアップから」

1983年当時、俺はとある理由から HAWAII に行くことになる。

当時大韓航空撃墜事件があり サンディエゴに向かう予定っだのだが、


HAWAII経由のついた格安チケットを手にしていた俺は


何も考えずに、一人HAWAIIに寄ることにした。
ホテルも取らず、何のあてもなく、HAWAIIへと旅立った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
飛行機は12月24日とあって、満席状態で、
俺はその中から目ぼしき、3人組の男達に声をかけ、
これからの道中の連れ合いとなり、


俺の事情を話すと快くホテルに向かい入れてくれると言う事になった。
最先は順調、ホテルは確保出来た。
ヤッタァー
俺は当時こお言う処世術には
長けていたのだ。


3人はリーダー的なリョウちゃん(あと、2人の名前は忘れた)を
初めとする3人組の同級生で、何でもHAWAIIに住んでいる
友達に会いにくと言う。


長旅は俺たちの間を急速に縮め、到着する頃にはすっかり友達感覚になっていた。
HAWAII 到着
俺はワイキキの砂浜をイメージしていたが、リョウちゃんらのホテルは
ワイキキからかけ離れた、ダウンタウンにあるパゴダホテルで、
ワイキキまで行くにはバスに乗らないといけない、
とっても環境のいいホテルとは言えず、居候の俺は文句も言えず
リョウちゃんらの行動に従ったのは言うまでもない。
取り合えず、3泊してワイキキに移ると言う事になり、俺はホッとした。
ワイキキにもいろいろなホテルがある、俺たちが選んだホテルは

アロハパシフィック

ハイアットリージェンシーの裏にひっそりとある、
名前とは違いメチャ劣悪な環境のホテル
ツインルームに男4人でチェックインした。

確かウィークリーで1週間180ドルだったように思う。

何が劣悪か、
扉には、ナイフの突き刺さった跡が無数にあり、天井には飛び散った血痕の跡が付いている様な部屋で

ベットメイクもなければ、ルームサービスもない。
幸いなことにシャワーのお湯は出た。

それに、立地条件が非常に良かった、
ハイアットの裏なんで、ビーチまでは2分

周りには、ABCストアーや、ジャックインザボックスなど
食うには困らないし、何より部屋代が安い。

そんな、こんなで、俺の初めてのHAWAIIが
アロハパシフィック
から始まった。