ラベル メタンフェタミン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル メタンフェタミン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/10/11

ある男の話 ④【ヘロインとIQ】(BU)

DATE: 07/21/2015 07:42:23



(○゚д゚)ャバィカモ・・・
で、終わったかな?

遠藤夫婦
【ヘロインとIQ】
何故、IQが出るんか?

書いたと思うがこの遠藤並みのIQの持ち主ではない
脳は普通
10-15%しか活動していないそれがタッタ
10%アップするだけで
人の心に響くバイブレーションを出す
俗に言う
「カリスマ」
である

奴には、IQの上に活動領域が
20%以上と思われる。

まんまと、俺は自分が掛けたはずの罠に足をすくわれ
遠藤の罠にまんまとハッまってしまうと言う結果を招いてしまった。

IQ
の低い俺は
遠藤の作戦を見ぬてたにも関わらず
ウィークポイントを刺され
奈落のヘロイン中毒者へと落とされてしまったのだ


商売は順調そのもやったんで、手を抜くわけにはいかない
日本全国北は
新潟
南は
沖縄
お客さんが俺を当てにしていたんやから

勿論、ローカルな客も大切な収入元で
サービスは怠らないのが俺の心情で
登録ポイントから、半径10km内は配達に勤しんだ

この時、ポイントは
大阪市内から少しズレた場所にマーカーがあったんで
市内の消費者には
毎週2回
市内に行く度にフォローしていた

俺のルーズな面は
金の収益には曖昧な点があり、
実際
収入と、経費、支出
どうなってるのか充分把握していなかった
そう
どんぶり勘定である

他人名義の口座2通
ゆうちょ銀行
ジャパンネット銀行

ゆうちょ銀行は代引き用
ジャパンネット銀行は振込送金用

確実に残高は増えていき
20万超えると
3つ目の口座、架空口座
イーバンク
に金を移動させており、口座名義人の名前で
俺の兄貴(実兄では無い)
知り合いの
商社の社員に登録していたので全くの別人物として
所得は上がっており
年末調整も出来ていた

それとは別で俺自身、自営業者
内装業者
としての確定申告も毎年行い赤字決算で青色申告していた


どんぶり勘定を見かねた
当時の嫁が簿記の資格があり帳面付けすることになったので
1度任すことにした

すると、1ヶ月の金の出納が細かく弾き出され
その金額に
目が丸くなったのを覚えている

月の売り上げが何と
1000万を超えている
仕入れ、経費、雑費を差し引き
純利益は
470万
と、はじき出された。

貯金は確かではないが、架空口座に
350万
自分名義に
280万
ゆうちょ銀行
40万
ジャパンネット銀行
9万

問題は、この計算には
ヘロイン代
計上されていないので

計上すると
完全な中毒者になっていた俺は
当時は、遠藤同様ハマりタテで、今後開拓する
外人組織との繋がりは現状では確立されておらず

矢田の
ベトコンや
新長田の
ベトコン
から

1G
40000円で引いていた

③章と
前後がおかしくなってるが
この状況は③以前の状況初めなんで理解頂きたい
(③章では八尾の外国人組織(ベトナム、ナイジェリア)との確立が先に)

話を戻す

当時既に
パーディに1gのヘロインが必要であった俺は
毎日4万円の出費があったが上記の計算には含まれていない
10日で=40万
1ヶ月で=120万

計上すると
350万
となる

遠藤のおかげで、毎月120万の出費が発生し
おまけに、シックが付いて来た

この遠藤の放ったボディーブローは、ゆっくりだがジワジワ
俺の懐にダメージを与えるには充分な
パンチ
そのもである事は
俺自身が一番良く理解していた

M子
(裏切り者M子参照)

既に1人では賄いきれなかった俺はこの
M子
に部屋を与え
準備金まで与えてインセンティブで俺の商売を手伝わせていた
これには、他にも色々と事情があり
今、ここでは書かないが
ややこしいんや、内情はな

M子の月収は
30-50万ほど有り不自由は無かったが
M子もまた
プー中で、商品にヘロインがあるので
ハマるのに時間を費やす事はなく、直ぐにプー中となった
絵に書いた様なもんや

クゥ~、ええええん遠藤ゥゥ~
やってくれよるわいィー

丁度この頃遠藤夫婦は、中国地方で
ガンジャ農園を作り
当時出回り出していた
ブランドパカ
スカンク、ホワイトウィドー、クッシュ、シャバシャンティ
等々

に、負けず劣らずの極上品種をクローンさせ
農業を2人でやりながら
趣味の
飛行機の精密な模型作りに勤しんでいた
この模型
2枚翼の、確か「キャッツ」
不確

まぁー、とにかくプロが見ても驚くような精密な
当然ラジコンのエンジンを付ければ飛ぶ
飛行機を
図面なしで、バルサの板から切り出し
各部品を
組み合わせ作り上げるんには驚きの域を隠せないでいた

俺は、こんな事を言ったのを覚えている
「遠藤、これ売れるで、何やったら俺が売って来たろか?」
並みの
IQ
で無い事はお分かりだろうか?

遠藤の兄は
日本でも5本の指に数えられる
外科医
神の手を持つ
「ゴッドハンド」
言われる名医でもあるんやから
驚いたやろ

なので、この  遠藤
紙一重

ギリギリの所で生きている
その当時、俺らは遠藤の農園に行った事があり畑をVTRに収め
当時の
YOUTUBE
UPしたところ、ネット上では大炎上を招いた事は
懐かしい思い出である
顔も何もかも映ってたんやからそら捕まらんのが不思議やったな

ははは、
遠藤は、何を隠そう
府警本部と近麻の
れっきとした、飼い犬やったんやからな
その後
兵庫県警本部
犬にもなる


話は飛ぶが、恐ろしい場面に遭遇したことがある
ある時、遠藤含む5人で
(この記事内容よりも10年ほど前の話)
ヘロインを買いにイラン人のところに行った時の事
俺らの目の前で
遠藤がイラン人に拉致され連れ去られてしまった

その後、48時間音沙汰不明
3日目に
裸足でボロボロになった遠藤がタクシーで俺の家まで戻って来た
タクシー代は俺が建て替えてやり
3万弱
かなりの遠方からだと分かる
犬故の事態を招くこともしばしば
(この件はどこかの記事に詳しく書いたと思う)

遠藤の、素の姿は現在も
YOUTUBE
上に、15秒間
UPある
ある検索ワードでヒットする

ただし、8-10年前のものだが

遠藤の収入は半端ではないが
何故か?
遠藤は親が残した特許を多数保有しその収入が遠藤自身を奈落さすのだが
その金は、兄嫁の管理下に有り
自由に使えない、しかし

農園で収穫できるパカは、有に
数キロ
しかし、取引相手が悪く
脱北者組織

買いに叩かれ、
Kg
60万

G
600円

組織は
G
1800円で卸す
右⇒左
120万

遠藤の倍の利益
遠藤はと言うと、雑費、経費、燃料代など引くと30万程に
ヘロイン代
上乗せすると、赤字である

バカボンは
IQ
は良いが、商才には欠ける、IQと商才はまた別物のようだ

俺はと言うと、

裏切り者M子
のおかげで、商売は右肩下がり
(詳しくは別の記事に有り)

ヘロインを常習していても、貯金が膨れ上がるシステムの崩壊
ローリングストーン
転がる、転がる
底なし沼に・・・

あ~、っ
ち待ってくれぇ~

~続く~

2020/04/20

ドラッグ戦国時代生き残り南の島で余生を生きる


俺は現在インドネシアの小さな孤島で
余生を謳歌している

バリ島と違うで
!!


ここまでホンマに
良く生き残ったとつくづくそう思う

そしてインドネシと言う国は
とんでもなく適当な国で有ることも俺にとっては
申し分ないんやな

この島では
ジャカルタなどと違いまだまだ賄賂が効く
効く、効果満点

例えパクられても数十万で開放されてしまう
んやで


俺ら犯罪者にとっては天国の様な島や


今回のコロナ騒動でも3万にの
薬物犯罪者が開放された
刑務所内の蔓延を防止するための処置らしいが
街中は一挙に治安が激悪


政府はそんな事気にも止めていないのが
現在の現状である


現在他国からこの国への入国は中々難しいが
入れないことはない

俺はかれこれ
この島に3年住んでいる


えええ~!
どうやってぇ~~

金に決まってるやろ、金さえ出せば
どんなビザでも取れるのが
現状やで

後、2年で永住権が取れてしまう
大統領が変わっていらんことをせえへん限りやけどな


薬物を断ってかれこれ10年になるが

この間何回かスリップした事があるねんけど
とある実験をしたことがある

シャブ、1gを2日で食って
元の体調に


何日で戻るかを検証したことがある
それが、おおよそ1週間で戻る

それを10日間続けても、元に戻るのは
1週間である


ヘロインでも同じことを
試してみた

コレが結果はシャブとは違い遥かに早い
そう、3日以内には戻る

一ヶ月続けても
戻るのはほぼ3日間で戻る


コレは俺の年齢や個人差が十分に有ると思うが
薬物を断薬中は
この、3日_~1週間

非常に不愉快極まりない、そのままズッと行くなら
何の問題もないが


俺は治療中の身、
それが、元で今では全く薬物に手を出すことは無くなった

たまにキノコは食うが
誰でも
普通にキノコくらい食うやろ

20分別世界に・・・・


てな、感じで
俺は余生を送っている

ドラッグで困った事があれば是非連絡を頂きたい
俺には日本のネットワークがあるので


止める為の解決策は無数にあるから
気軽にメールを願うばかりです


皆んなも、ドブネズミの様に這い回るのもええが
余生は南国で暮らしたいやろ
アドバイスはいくらでも受けるので

是非、連絡を

ほな。

2020/03/06

मी komori वकील कार्यालय ईमेल आला (BU)


[この手記を読む方に]
ここに紹介するのは、覚せい剤による幻聴に追い詰められ、鉄道に飛び込んでしまった、ある人の手記です。
彼は当初、生き延びてしまったことをうらみ続けたそうです。しかし今、彼は、車椅子の生活のなかで、さまざまな後遺障害と闘いながら、将来を必死で模索しています。
これからの人生を前向きに生きるために、苦しみながら、この手記を記しました。
語れないほど重い体験をことばにするのに、長い時間がかかりました。それは、書くことで、忘れたいあの日を繰り返して経験するという、過酷な作業でした。
覚せい剤は危険な薬物です。しかし、乱用者の大半は、手記の筆者のような体験をすることなく、乱用から離れているのが現状です。また、覚せい剤による幻覚・幻聴の内容は人によって様々で、手記の筆者のように恐ろしい体験をするひとは、むしろ稀だと思います。
この手記から「覚せい剤を使うと、こんなに恐ろしいことが起きる」という、メッセージだけを受け取るのは、早合点だと思います。彼の悲劇には、多くの要因が関係しているはずです。引き金をひいたのが、覚せい剤によってもたらされた幻聴だったのでしょうか。
2004年3月
source元
KoMoRi弁護士
---______________________________________---
<b>友達に突然「覚せい剤やってみない?」と言われたら、普通なら断るはずです。中には、「一度くらいなら大丈夫だろう」と手を出す人もいるかも知れませんが。
私が覚せい剤を使用した、最初のきっかけからお話したいと思います。</b>
私が24歳頃の出来事です。
私は風邪を引き、寝込んでいたところに、近所に住む友達が遊びに来たのですが、熱も有り、咳も止まらないので、とてもじゃないけど遊びになど行けないと伝えると、その友達は、「すぐ治る薬が有るから今持って来てやるよ!」 と、透明な液体の入った一本の注射器を持ってきました。
私は、不審に思い
「お前それなんだよ?」と聞くと、
「解熱剤だよ!何の心配もないって!俺の女房が、病院から持って来た物だから大丈夫だよ!」と言われ、そういえば友達の奥さんは、病院の、しかも、内科の看護婦さんをしていたことを思い出し、言われるままに自分の腕を出していたのです。
友達は、私の腕に注射し終わると、
「本当は、静脈注射といって、血管に注射するのが一番早く効くのだけれどプロじゃないと出来ないから筋肉注射が無難なんだって。10分もすれば十分効果が出るから大丈夫だよ!」
などと、もっともらしい事を言い、
待つ事10分もしなかったと思います。
咳も止まり、妙に身体が楽になり始め、何とも言えない爽快感を味わい始めていたのです。
その時の気分は、今でも鮮明に覚えています。ひとことでは、言い表すことが出来ないほどの爽快感を覚えていたのです。咳き込んでいたのが、信じられないほどピタリと止まり、気怠くてしょうがなかった身体も不思議なくらい軽くなり、元々テンションの高い私では有りましたが、更にテンションが高くなり、何故か一晩中起きていながらも次の日は、仕事に行くことが出来ていただけでなく、その日の晩も、疲れを忘れたかの様に、遊び歩いていたのです。
それから1週間くらいたった頃だったと思います。その友達が、また薬を持って遊びに来たのです。その時の私は、さすがに不審感を抱き、「おまえ、それ一体何だよ!俺の納得できる説明してくれよ!」と、問い質し、その時初めて私が使用した薬物が、「覚せい剤」であることを知ったのです。
友達に、「別に副作用とか、禁断症状が出るものではないし、俺もここ数ヶ月使用しているけど何でもないよ!見ていて分かるだろ。」等と言われ、友達の言うように、禁断症状も無く、確かに気分爽快になったことも間違いの無いことで、納得してしまいました。
その当時の私は、「覚せい剤」というものは、薬が切れると禁断症状が出たりする、恐ろしいものだと思っていたので、実際使用してみて「何でもないではないか!」と、思うと同時に「覚せい剤を、静脈注射したらどんな気分になるのだろう?」等と興味を持ち始めてしまったのです。
「覚せい剤」と知りながら使用した2度目は、静脈注射。
それは、私にとって衝撃的なものでした。2度目の使用から、3度目と、使用することになるまでは、2週間もかかりませんでした。始めの頃は、1ヵ月に2~3回程度のものでしたが、それがやがて、遊びの感覚で、使用する回数が増えていったのです。
使用をためらう気持ちなど、全く有りませんでした。覚せい剤は、ただで手元に入ってくるし、仕事がおろそかになったり、体調を崩すなど、薬の悪影響はほとんどありません。「やめようと思えば何時でもやめれる。」と思う気持ちのほうが、強かったのです。
しかし、いくらただで覚せい剤が、手に入れられるからと言って、あまり頻繁に持ってきてもらう事には、多少のためらいは、有りました。
何故なら、依存していると、思われたくなかったからです。
当時の私は、「依存」ということも良く知らず、「たかがクスリを止められないなんて、弱いやつだ」という意識があったので、私がクスリに頼っているように思われるのは心外で、他人に、あまり弱みを、見せたくなかったのです。ですから、「風邪を、ひいた」とか、「歯が、痛い」等と、口実を作っては、「覚せい剤」を持ってこさせ使用していたのです。
1年ほどたった頃には、覚せい剤だけではなく、あらゆる薬物に興味を抱くようになっていました。薬物なら何でもかんでも試して、過ごした時期でした。
私が使用した薬物の中には、ことばにならないほどの、戦慄を覚えるものも数多く有りました。そういった薬物は身の回りから遠ざけ、自分の感覚で「これなら大丈夫」と思うものを、いつも手元に置いておくという、生活を送っていたのです。
所持していた薬物は、「非合法」なもの、「合法」とされているもの、様々でしたが、その頃の私は、異様なまでに薬物に対して執着していたのです。
そんな生活を、送っているのですから当然の事ながら私生活も少しずつ乱れ始め、物事の考え方も乱れ始めていたのです。まず、私が「覚せい剤」を使用して、初めて不安な気持ちになった時のことを、お話しておきます。
それは、思うように身体が動かなくなってしまったのです。
元々、私は機能障害を抱えていた事も有ったのですが、そんな身体なのに薬物を、乱用していた訳ですから当然の事なのです。しかし、その当時には、体調が悪ければ覚せい剤を使用することで、「何とかなるだろう!」等と思ったりもしていたのです。
その頃から、週に、2~3度使用する様になっていました。
1日に、2~3回使用する事も有りました。使用方法は、直接血管に注射する「静脈注射」ですが、そのような方法で覚せい剤を、乱用することに対して私の身体は、正直でした。今まですんなり血管に注射できていたのに、思うように血管に入っていかなくなっていたのです。
正直言って、不安でした。
 「このまま使用し続けて、本当に大丈夫なのか!」
 「以前のように、1か月くらいは、インターバルをとったほうが良いのでは?」
等と自問自答する日々が、続いていました。
しかし、薬をやることにためらいを感じるのではなく、薬を止めることに躊躇を感じるようになっていたのです。
何故なら、急に止めたらどうなるか想像する事が出来なかったからです。
そこで、私は、「急にではなく、徐々に回数を、減らして行けば大丈夫だろう。使用する回数が多いから身体に負担がかかるのだから」等と思い、薬と決別することを考えず、回数を減らすことだけを考え使用しつづけていたのです。
<b>
気が付いた時には、周りには、暴力団、いわゆる「ヤクザ」との付き合いが多くなっていました。私に覚せい剤を教えてくれたのもそのうちの一人でした。</b>
当時の私は、昼と夜の顔を持つ、生活を、送っていました。
昼は、正業に就く一般の社会人として。
夜は、今の言葉で言うと「企業舎弟」です。
薬物の売人こそやってはいませんでしたが、それはもう好き勝手に遊び歩き、その遊び歩く為なら、人のやれないことも、やらないことも、金の為なら何でもやっていたのです。
私が薬物を使用していることを知っていたのは、ごく一部の人だけでした。私に覚せい剤を届けてくる仲間にも、私が乱用していることを、固く口止めしていたのです。何故なら、薬物の乱用者と、思われる事が、自分のプライドが許さなかったのです。
仲間内が集まる席や、仕事場に置いては、細心の注意を払い、行動していました。
当時の私は、物事全てが、自分中心でなければ気がすまなくなっていました。
「人前に出る時だけ、きちんとしていれば何の問題もない。」と、本当に身勝手な生活を、送り続けていたのです。物事全てに対する考え方が、確実に狂い始めていました。
いくら若いと言っても体力にも限界は、有ります。全てが思うように事が運ぶわけが有りません。外で、人に会うときや、仕事の時には、普通にしていられたのですが、家に帰ればその生活たるもの、目に余るくらいの堕落した日々が続いていたのです。
確実に狂い始めていたのが、自分が一人になったときです。
それは、家族の前であったりするわけですが、私にとっては、唯一、気を使わなくてもいい場所が、一人で遊び歩いているときか、自宅に戻り、一人で部屋にいるときなのです。そんな私の生活は、家族の前では、別人のような生活を、送っていました。いわゆる「シャブよれ」です。薬物の乱用により普通の生活が、送れなくなっていたのです。
人一倍、猜疑心も強くなり、親や、兄弟に対しても、事ある度に反発し、何が「正義」で、何が「悪」なのか、現実を見極めることが出来なくなっていたのです。
<b>
乱用者の中には、おかしな行動をする者もいました。誰が聞いても理解することの出来ない発言や、不可解な行動をする者など、その内容は様々ですが、そういった仲間達には、幾つかの共通点が有りました。</b>
その共通点とは、誰が聞いても「嘘」だと分かる話を、真顔で延々と話し続けたり、待ち合わせの時間に必ずと言っていい程遅れて来たりするのです。
薬物を使用している事がばれたりすれば、手痛い制裁を受けなければならない者も仲間の中には、いましたし、放って置けば自分達の首を、自分達で締める事にもなり兼ねないので、仲間内で制裁を、加える事もしばしば有りました。
しかし、私の場合は、公の場で失敗したり、仲間に咎められる事無く行動していたので、当然の事ながら「自分だけは、他の連中とは、違う!」と思い込んでいました。
薬物を乱用するようになって、約2年程過ぎた頃だと思います。
「特別な自分」を、作り上げていた私にも、心の片隅には、多少の「罪悪感」は、有りました。
付き合いのある仲間達の堕落した姿や、信用を無くして行く姿を見て
「やはり私自身このままでは、本当にまずいことになってしまうのでは?」と、一時期本当に悩んだことも有ります。
その為に何をしたかと言うと、よく新聞などに載る「人生相談」のようなものなどに電話をかけて、私自身のこととは言えないので、「友達が、覚せい剤に手を出し、困ってるけれど、どうしたら良いですか」等と何か所も電話をかけたことが有ります。その時の私は、「ボランティアで、本気で相談に乗ってくれるところなどあるわけなど無い!まあ、自分なりにセーブしながらコンデションを整え、行動して行く他に道はないのだろう」と、結局は、薬物に手を出す事を止めず、堕落して行く日々が続いていったのです。 
しかしそんな自已中心の私をほっておくほど、世の中、決して甘くは、有りませんでした。体調を崩し寝込んでいたところに、8人ほどの警察官が、家宅捜査令状を持って、自宅に押しかけてきたのです。警察官に乗り込まれたときは、余りにも突然だったので、一体自分の身の上に何が起きたのか、状況を把握することが出来ず、組織のトラブルに巻き込まれたものと勘違いしてしまい、反射的に襲いかかる始末で、8人掛かりで押さえつけられ、その時はじめて相手が警察官であることを知りました。
普通なら拘留された時点で、反省するものなのでしょうが、「天上天下唯我独尊」と、自分自身の中に、本当にふざけた大義名分を作り上げ、全く反省することなど無く、「誰が、何の目的で警察に通報したのか?」等と私を陥れたものへの復讐ばかりを考え、日々の生活を送っていたのです。
言葉を置き換えて言うならば、「後悔」だけの生活で、そこには、何の学習も、本当の意味での向上心もなかったのだと今にして思っていますが、その当時の私は、刑務所で生活することだけが私に与えられた償いなのだと思い、過ごしていたのです。
当時の私の思いは、「俺を警察に突き出したのは、赤の他人ではなく実の親じゃないか!通報する前に何故自分に問いかけてはくれなかったのか?何故俺のことを赤の他人に話したりするんだ!」そんな思いが完全に自分の心を支配していたのです。
そんな気持ちを持って生活しているのですから、私自身の行動は、徹底していました。
一言で言うなれば、「家庭崩壊」です。
刑期を無事終えて出所して待ち構えていたのは、自分が想像していた世界とは、まるで別ものでした。そこには「犯罪者」としてみられている自分が、現実のものとして立ちはだかっていたのです。
出所したとき、私は、薬物に手を出す事無く真面目に生きてみようと思っていました。ところが、何をするにつけても過去の話を持ち出し、何も事件を起こしてもいないのに、警察官がまるで様子を伺うかの様に突然訪ねてきたりなど、私にとっては、本当に息苦しい日々を送っていたのです。そんな生活がだんだんと嫌になり、反省などと言う思いは完全に消えていったのです。
周囲の冷ややかな目線や、親への反発心が募り全てを捨てて「復讐」と言うことだけを考え始めていたのです。その思いを行動に移すまでには、それほど時間は、掛かりませんでした。自分の身を信頼できる組織に身を置き、後の事は自分やりたいように思うがままと、生活する様になっていたのです。
それでも、薬物には手を出す事無く生活を送っていました。
正直言って、何度も手を出しそうになったことも有りますが、薬物で失敗した後ですし、それ以上に、ひとりの女性との出会いが有ったからです。
私と同じような境遇の者に出会うことも、しばしば有りました。しかし、薬物と縁を切ることが出来ず、潰れていく者が多く、そんな連中を目の当りにして、やはり、薬物に手を出せば自分も同じ道をたどることになるのだろうし、組織に身を置いてる以上薬物に手を出す事は、自分で自分の首を自ら絞める事になる事を把握していたので、断ち切っていました。
正直に言えば、手を出しそうになったことは、何度もありましたが、誘惑を乗り越えることができたのは、自分自身に、守るものが出来ていたことが一番の理由だったのです。私にとって守らなければならない物とは、組織であり、自分のすさんでいく心に安らぎを与えてくれる女性であったのです。
しかし薬物には手を出すことなく過ごしていても、悪行の数々を積み重ね生活しているわけですから、本当の意味で安らげる生活など、まともに送れる訳がありません。再び厚いコンクリートの壁に包まれた中での生活を余儀なくされたのです。
最愛の妻との離別を選ばなければならなかった、自分自身の不甲斐なさ。そして、その道を選び歩き続けて行くことに戸惑いを感じながらも、あえて「全ては自分自身が覚悟を決めてきた事」と自分自身に言い聞かせ、反省も後悔もする事無く収容生活を送り、そして再び出所後、組織に身を置く生活が始まっていたのです。
当然ですが、組織に身を置くものとして誰もが思うことなのですが、大金を手に入れそしてその組織の頂点に上り詰めたいと野心を持ち歩き続けるものが多いのですから、生存競争もそれは激しいものなのです。私もそのうちの一人では有りましたし、それなりに自負も有ったのです。
ですが、どうしても譲れないことが有り、このまま組織に身を置いていたら統率が取れなくなってしまう事になる状況になると思い、正直後ろ髪を引かれるような思いでしたが、組織から抜けることを決意したのです。
自分が今まで歩き続けた道を否定しなければならない現実と、何もかも失ってしまった事を思うと、本当にやりきれない、そして、憤りを感じる毎日がしばらくの間続いたのですが、これからは本当の意味で真面目に生き抜いてみようと、決意し就職先を探し、働き始めていたのです。
不思議なもので、正業に就き働くと言う事が、ものすごく新鮮に感じたものでした。収入は、本当にたいしたことはなかったのですが、ごく普通の暮らしが案外、一番幸せなのかも知れないと、過去の自分とを照らし合わせ初めて「後悔」ではなく「反省」と言う気持ちを持ち始めていたのです。
正業に就き、これからが大事な時期だと自分自身に言い聞かせながら過ごし、少しずつ生活も落ち着き始めた頃です。私にとって転機が訪れたのです。
知人が「今の仕事を止めて一緒に仕事をしないか!」と声をかけてくれたのです。
その知人は唯一本当に信用できる人で、私が組織から抜けて正業に就き、働いていることを知り、私を信用し声をかけてくれたのです。
その知人のもとで働き初めて、半月ほど過ぎた頃です。
私は、いっしょに働く同僚の住まいの一室を間借りして、生活をしていました。
仕事を終え帰宅すると、その同僚の様子が、何時もと明らかに違うのです。その時私の脳裏をかすめたのは「覚せい剤」でした。
私を仕事に誘ってくれた知人は、元々は組織に身を置いていた事が有り、人望も厚く絶対に薬物には手を出すことの無い人でした。その部下が覚せい剤を使うことなどあり得ない、自分の勘違いであってほしいと思っていたのですが、間もなく、その同僚が私の予想通り薬物を乱用していることが明白になってきました。
ですが私も居侯の身、その同僚にも義理が有るのです。私を信用し、仕事をさせてくれている上司にも打ち明けることもできず、何時しか板挟みの生活を送っていたのです。
その月の給料日のことです。。帰宅すると、同僚の友達が遊びに来ており、何やら覚せい剤を買いに行く相談をしているのです。そして私に対し「たまには一緒にやりませんか?久しぶりでしょ!」と声をかけてきました。
正直ものすごく複雑な気持ちでした。ですが、心の片隅で声をかけてくれるのを待っていたのだと思います。長いこと封印していたものが、その同僚の一言で弾け飛んでしまったのです。
ためらいながらも、誘惑に負けてしまっていました。
覚せい剤を使用したとき、憤れない仕事で疲れきっていた身体も楽になり、遊び歩いていた頃の自分が妙に懐かしく思いだし始めていたのです。
しかし、その反面「裏切ってしまった」と言う罪悪感と、初めて味わう違和感のようなものを感じたのですが、久しぶりに手を出してしまったと言うことも有り、違和感についてはさほど気に止めることもなく、罪悪感を抱きながらも覚せい剤の魔力に取り付かれてしまっていたのです。
しかし、再び覚せい剤に手を出してしまった自分の意志の弱さと、私を信じてくれている者への裏切りと言う思いが、こみあげてきました。
「これじゃ俺は、まるで張り子の虎じゃないか!」と心の中で眩いていたのです。
裏切ってしまったという気持ちと、薬物に再びおぼれていく自分。自分の潜在意識の中で罪悪感と自分自身のふがいなさが入り混じって、複雑な環境を作り出していたのかも知れません。
初めは、隣で同じように覚せい剤を使用している同僚の声とばかり想っていました。
自分のペースで生活を送ることが出来ないものでしたから、同僚をのこしたまま、自分は部屋を出て遊びに出かけたのです。
久しぶりに味わう爽快感と裏腹に、何か何時もと違う感覚に捕らわれながらも、
気のせいだと言い聞かせながら、歩き慣れた町の中を遊び歩いていたのです。
誰かに尾行されているような気がしたのは覚せい剤を使用して1週間位経ってからのことでした。
もっと詳しく言えば尾行というより、監視されていると言ったほうが、良いかも知れません。
自分が起こす行動全てを誰かが見ていて、報告する声が聞こえ始めたのです。
初めは自分の部屋の中でその現象が起きました。
聞こえるか聞こえないか本当に小さい声が、聞こえ始めたのです。
最初は、同僚の友人でも来て話をしているのかと思っていましたが、聞き耳をたてて見るとどうやら、自分のことを言っている様に聞こえたのです。しかもその話し声は聞き覚えの無いものでした。
どこかにカメラがしかけてあるのか?それとも、盗聴器が仕掛けてでも有るのか?
何故こんな思いをしなくてはならないのか、自分自身に問いかけながらこのところまともに睡眠を取っていないから仕方がないのか?
自分自身に言い問いかけてていました。
しかし、その声は自分をあざ笑うかのように激しさを増していったのです。
覚せい剤を使用していたならまだ、これは幻聴であるとか思える自分がそこにいたかもしれません。ですが、最後に打った覚せい剤から1週間以上もたっていたのです。
自分を見失いつつ有りました。相談は出来ないし、一人で悩みくるしみました。
現実なのかそれとも覚せい剤の後遺症なのか?
自問自答しながら、日々の生活を送っていました。
同僚はまだ薬を持っている!思い切ってもう一度薬を手にしてみようかとも思いました。
しかし、ここで完全に冷静さを失ったらどうなってしまうのか?考えただけでも恐怖感を覚えていたのです。今までにも完全におかしくなった人達や、仲間を嫌になるほど見てきていたものですから、ここは一旦仕事を休んで身体を休めてみようなどと後先のことを考えず、部屋を飛び出していたのです。
自分の気のせいであって欲しい!そう願いながら部屋を飛び出しサウナに行ったり映画を見たり、お酒を飲んだりと、気分転換に徹底したのです。
何故か人ごみの中にいると、尾行されている感じが全然しないのです。
唯の気のせいなのか?仕事を休んで遊び歩いていたら、そう思えるようになって来ました。
だが、無断欠勤をしている訳ですから、部屋に帰るわけにも行かず、ホテルやサウナで寝泊りするようになっていたのです。
お金は持っていましたので、生活は大丈夫ではありましたが、一人になるとまた、何処からともなく不思議な声がしはじめたのです。
今度ばかりは幻聴ではない。誰が、何の目的で・・・?そればかりを考え始めていました。
姿なき相手、顔でも素性でも分かればいくらでも話を付けることは簡単だと思っていましたが、声だけの相手に成す術はなく、どうしたら、この尾行から逃れることが出来るのか?色々な方法を考えながら、聞こえてくる声には決して答えたりせず、聴こえていない振りをしていました。
今にしてみれば馬鹿なことをしたなーと思うのですが、ある大学の教授に電話をかけ、衛星を使って人間一人を見張るとすれば何処まで探すことが出来るのか?などと、真剣に聞たり、
知り合いの探偵事務所に電話をかけ、自分のこととは言わず、尾行をされたときの回避の仕方等も聞いたことも有ります。
実際問題、衛星を使えば、地下であっても相手が何の防御もしなければ、見張っている事は可能であると聞かされました。但し、それこそ、莫大な資金がかかるとも言われましたが、コンピュータの発達した今、幾らでも人を追跡することくらいある程度の知識と専門家がやろうと思えば出来るんじゃないか?等とその時は自分自身を完全に見失っていたのです。
ひょっとしたら、自分の知らない間に、無線機がしかけられているのでは?
そう思ったときには、持っているもの全て処分してしまっていました。
持ち物の中には、今の生活では買えない様な時計やら、MDプレーヤ等もありました。
唯一持っていたのは財布と携帯電話だけでした。
着替えの洋服も、全部新しいものに換えましたし、一応、護身用としてサバイバルナイフまで購入して、一歩間違えば殺人事件まで起こしかねない状態でした。
どうすれば良いのか自分では判断できない.
本当に今だから言える事ですが、危ない状態のとき携帯に電話が入ったのです。
相手は自分を雇ってくれた、信頼置ける人からの電話でした。
私は躊躇う事無く、正直に今までの経緯を話し、一旦その人のもとへと出向いたのです。
いずれにせよ、信用で働かせてもらったのですから、けじめは自分で付けるしかないと思いながら、
電車に乗り約束の場所へ向かいました。待ち合わせの場所で、今までの不義理を謝り、経緯を話すと、今のままでは仕事にもならないだろうと、安定剤を貰い、実家に帰ることを勧められました。
しかし、実家では、当然の事ながら良い顔はせず、今更帰って来たところでと、ののしられるばかりで、落ち着くこともできず、翌日には家を飛び出していました。
不思議なことに、家を飛び出し、サウナの仮眠室で寝泊りして2日後には、貰った薬が効いたのか、理由ははっきりとしませんが、ぴたりと人の声が止まったのです。
あの声は一体何だったのだろう?
本当にもう聴こえてくることはないのだろうか。
その日のうちに、半端なことをする私の面倒を見てくれた人のところへ顔を出しました。
本来なら恥ずかしくて顔など出せるような物ではないのですが、けじめだけはつけておきたくて仕事場まで出向いたのです。
謝ってすむ問題じゃないのですが、恩人は今一度私にチャンスをくれました。
正直、不安と言う言葉の中に身を置きながら、翌日から朝5時におきては、現場通いの生活を始めました!
家族も、本当にやり直す気が有るならば態度で示せ、といってくれたのです。
過去を振り返れば、身体が悲鳴を上げるような仕事もしてきたし、それに似た状況はいくらでも有りましたから、仕事を続けていくことに苦痛を感じる事無く、働いていました。
これで、本当の意味で更生出来る!そんな風にも感じていたのです。
しかし、待ち受けていたのは、想像を超えた悪夢のような現実でした。
再び、聞こえてこないはずの声がはっきりと耳元できこえはじめていたのです。
その時はもう、自分を完全に忘れ、その声に答えていました。
「俺に付きまとう目的は、一体何だ?」
まるで待っていたかのように、得体の知れないその声は、様々な事を要求してきたりしました。
当然の事ながら、自分を働かせてくれている恩人にも、その事を話し、相談もしました。
警察に出頭して、しばらくの間刑務所で頭を冷やしてくるか、
それとも本当に頭が狂ってしまったのか調べて貰う為に病院へ行ってみるか?そんなことも考えました。
しかし、恩人は、警察にもいく必要はないし、多少のことなら仕事をしながら頑張ってみなよと、言ってくれました。
これもすべて己との戦いと信じ、そんな状態で、一ヶ月近く働いていました。
自責の念に駆られたことも有るのか、毎日毎日、同じ声が自分のしてきたことを責め続けるのです。
前を向いて襟をただし、正直に歩いていこうとすればするほど、その声はひどくなりました。
何故声に踊らされてしまったのか?
声の要求に従って行動すると、必ず、声が指摘したとおりのことが、起きたからなのです。
さらに、自分の行動が全て読まれているように、偶然とは思えないような出来事が、次から次へと起きたからなのです。
ある日ついに、私はその声と勝負を付けるしかない、と考えるようになっていました。
その声に責められ、追い詰められ、決着を付けるには、自分で自分の命を絶つしかないと思えたのです。
死んで花見は咲かぬものの、もはや他に道はない、そんな思いでした。
仕事に行く日の朝、私は家族に対し、
今まで本当に迷惑をかけて申し訳なかったとだけ書き残し、
止る事のない急行電車に飛び込んだのです。
線路の中央で、まるでスローモーションのビデオでも見ているかのように、電車に弾かれました。
その後は意識を失い、自分が今どうなっているのかさえ分からない状態でした。それはほんの数分だったのでしょうか。
やがて、「まだ生きてるぞ」と言った人の声が聞こえ、
体中に激痛が走り、
声をあげることも出来ず、うめいていたのを今でも、覚えています。
死ねなかった!
このまま、生き抜いてしまうのでは?
激痛のなかで、こうなってしまった以上、身元を隠して、最後まで黙って通すしかない、などと考えていました。
警官が来て、
「誰かに押されたのか?」などと、色んな質問をされ、
病院に運ばれ、
「しっかりしてください」と看護婦さんに声をかけられ、
しかし私は、全てに答えず、ただただ沈黙をつらぬいていました。
身体中に走る痛み、
今、この身体は、どんな状態なんだろう?
このまま生き抜いてしまうのか
それとも、後わずかの命なのか?
手術が終わり、主治医から
「もう大丈夫。でも、両脚の切断だから、しばらくは絶対安静にしてください」
といわれたのは、ぼんやりとわかりました。
リョウ アシ セツダン 
何だろう どうなっているんだろう
その後、意識がはっきりとし、冷静に戻るまでは約一月半の時間がかかりました。
これが、私の経験した、覚せい剤による悪夢のような体験です。
「夢であって欲しい!」、何度も何度も心の中で呟いていました。しかし、両足切断という状況は、否応なしに認めなければならない現実だったのです。意識が戻って、治療も順調に進み、これからの事を考えて行かなければならない自分が、重くのしかかって来るのです。
逃げ出したくても逃げ出せない自分。これから何を頼りに何を目標に生きていけば良いのか?どうしようもない寂しさと不安の中に、身動きもとれずたった一人で苦しみました。
一ヶ月以上も寝たままで、ついていた筈の筋肉も落ち、手すりにつかまり身を起こすことも出来ず、車椅子に乗り移ることすら出来ない状態でした。体力が完全になくなり、毎日のリハビリに行くことすらきつい物でした。その上、悪いことが重なるもので、肩が上がらなくなり、エレベーターのボタンすら押せなくなっていたのです。
何度も何度も、死にたいと思うことが有りました。このまま生き恥をかいて生きて行くのなら、本当に死んでしまったほうがどんなに楽か!そう思う片側では、生きてこそ本当の自分の真価が問われるのでは、とも思っていたのも事実です。そんななかで、担当の看護婦さんが本当に親身になって世話をして下さり、前向きになれなかった自分の中に、少しだけ前を向いて歩いて行こうという気持ちが沸いて来ました。
 
事故を起こしてから4年目です。ここまで来るのに、本当に一言では言えないことが沢山ありました。励まされ、望みをつないで来られた事も多々有りました。まだまだ苦しみぬかなければならない事も、事実です。でも、本当に苦しい思いをしたのは誰だったのでしょうか?私は家族ではないかと思うのです。この様に身体になって、見舞いに来たことは一度もない家族が、一番苦しんだことと思っております。
覚せい剤に限らず、薬物は人生を確実に狂わせます。その場はなんでもなくとも、後遺症に悩む者もいれば、信頼関係を失う者も、家族を苦しめ続ける者もいます。薬物を使うということは、自分と他の人をつなぐ「絆」を自分で断ち切ってしまうことなのです。人が人として生きていくに当たって、大切なものとは一体何か?『絆』です。事情はどうであれ、薬物には絶対に手を染めない。もし、周りに手を出しているものが居るのなら、心を鬼にしてでも止めさせるべきだと。私は強く思っています。
私の経験は、薬物を乱用する者達の、誰にでも起こることではないかもしれません。ですが、覚せい剤を使って幻覚や幻聴を経験したことのある者は、多いと思います。しかも、当時の私は薬物を常用していたわけではなく、覚せい剤から完全に離れて10年近く絶って、魔がさしたというか、気がゆるんだというか、たった1回使った覚せい剤が原因で、始まったことだったのです。
薬物を使った影響は、いつ、どんな形であらわれるか、わからないと言う事を知って欲しくて、私は自分の恥を晒してでも手記を書いてきました。「自分の身体に何をしようが自分の勝手だ。誰に迷惑がかかるわけじゃあるまいし」。本当にそれで済む事なのでしょか?「自分はまだ大丈夫」、「少しだけなら心配ない」などと言い訳しながら薬物を使っている人たちに、私は「薬物を甘くみるんじゃない」と伝えたい。
正直に言うならば、薬なんて二度と手を出さないと思っている私でも、夢の中で覚せい剤に手を出してしまう自分が居たり、本当にしつこいくらいに付きまとわれるものなのです。
今の私は、生き抜くことで精一杯の生活を送っています。慣れないパソコン相手に頭を使い、思うように動かぬ指先に苛立ちを覚えながらも、これも私が生きて行く最後の道だと信じ、必死で毎日を過ごしております。
本当に死に物狂いで物事に立ち向かう時、大きな壁が立ちはだかりますが、その壁を乗り越えてやると覚悟を決めると、真の協力者に出会えるはずです。そしてその壁を乗り越えることに必ず手を差し伸べてくれます。その時は気がつかなくとも、後になってみれば「あの時、もしあの人と出会う事が無かったら!」という感じでね。
自分は、車椅子で一生過ごして行かなければなりませんが、目標が叶うまで絶対に諦める事無く、何度でも挑戦し続け、最後は協力して下さった方々と、声を張り上げ笑って過ごしたいと思っております。
当たり前のことですが、諦めることは簡単です。簡単なことは誰でも出来ます。難しいことに挑戦してこそ、進歩し、人としての真価が問われると思うのです。苦しくなったり、逃げ出したくなったり様々ですが、負けない、諦めないと思っております。生きている限り、やり直すに遅い事など何も有りません。失敗は取り戻せるのです。そう信じて私は逃げ出す事無く頑張って過ごしていく覚悟です。
最後に、この手記を載せて下さった、関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。また、ここまで気持ちを持ち直せることに協力を頂いた皆様方にも、この場を借りて心より感謝の気持ちを込め、お礼申し上げて、ひとまず手記を終了させて頂きます。

2020/02/05

メキシコ麻薬戦争 最新 METH MAYHEM “It’s difficult to find a part of LA now where there’s not needl.


METH MAYHEM “It’s difficult to find a part of LA now where there’s not needl.



METH MAYHEM: “It’s difficult to find a part of LA now where there’s not needles on the street.” In a shocking FOX 11 investigation, we went to Skid Row to reveal just how bad the homeless meth addiction crisis has become. DEA Los Angeles tells FOX 11 they believe California's Prop 47 is enabling this addiction epidemic. bit.ly/2GKCXVI





2020/02/01

ポール・ルルー ダークサイトの新しい麻薬王




<ノンフィクション作家のエレーン・シャノンが語る、世界を混乱に陥れる新手の組織犯罪の脅威>

凶悪犯と麻薬について書かせたら、この人の右に出るライターはまずいない。

ニューズウィークとタイムの元ベテラン記者、エレーン・シャノン。メキシコの麻薬王と腐敗した警察の癒着を暴いた88年刊行の『デスペラードス』で、一躍この分野の第一人者となった。映画監督のマイケル・マンがこの本をドラマ化したNBCのミニシリーズ『ドラッグ・ウォーズ/麻薬戦争』はエミー賞を受賞。続編もエミー賞にノミネートされた。

シャノンの新刊『ルルー狩り(Hunting LeRoux)』(ウィリアム・モロー社)も、マンが映画化する。巨大犯罪組織を率い、サイバー犯罪にも手を染めた新手の凶悪犯ポール・ルルーを追い詰める米麻薬取締局(DEA)の死闘を活写したドキュメンタリーだ。

ローデシア(現ジンバブエ)で生まれた希代の天才大悪党ルルーと彼が築いた犯罪帝国について、本誌メアリー・ケイ・シリングがシャノンに話を聞いた。
***

――ルルーを知ったのは?

ヘロインが戦争とテロの資金源になっている現状を書こうと、アフガニスタンで取材を進めていた。私の知る限りでは、イスラム原理主義勢力タリバンは資金の90%をヘロインで得ている。

そんなとき知り合いの捜査官が今までにないタイプの大物を追っていると話してくれた。それを聞いてすぐさま方針転換し、ルルーについて調べ始めた。

――ルルーは従来の麻薬密売人のイメージとは違う。彼が目指すのはコロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルとロシアの武器商人ビクトル・ボウト、それにアマゾンCEOのジェフ・ベゾスだと、あなたは書いている。

そう。でも、それだけじゃない。先を読む目がずば抜けている。その証拠に早い段階でコカインに見切りをつけた。彼が麻薬ビジネスに乗り出した04年には、アメリカではコカインの使用は減り始めていた。一方で処方薬──当時はまだそう呼ばれていなかったが、オピオイド系鎮痛剤の使用は増え始めていた。


ルルーは、アメリカ人が好きな2つのことを組み合わせれば、いくらでも儲かると考えた。その2つとはピルとオンラインショッピング。錠剤型のオピオイド系鎮痛剤の密輸を真っ先に始めたのは彼だ。だいぶたってからブームが彼に追い付いた。

――世界各地の紛争や戦争が生み出した「人材プール」があると、あなたは書いている。カネになるなら犯罪でも殺人でもやる連中がごろごろいる、と。


「傭兵のフェイスブック」という言葉を教えてくれたのは、南アフリカの情報機関の元高官。今はサイバーセキュリティーの仕事をしている人物で、いわゆる「善玉ハッカー」だ。彼によると、戦争中や軍事訓練中に人脈を築いた男たちが警備の仕事にありついているという。ここで言う警備とは傭兵のことだ。



アフガニスタンにいたとき、各国政府や軍隊の特殊任務に就いている人たちに話を聞いたが、これから厄介な事態になると、異口同音に言っていた。高度な技能を持ち、アドレナリンがばんばん出るような仕事をやりたがっている連中がいくらでもいるからだ。彼らは普通の仕事では満足せず、危ない橋を渡りたがる。そういう人間を雇う企業は限られているが、ルルーの組織はその1つだ。


――ルルーの名はあまり知られていないが。
アメリカ人は麻薬王と言えば、いかにも凶悪で派手な男を連想する。ダイヤをちりばめた銃を持ち、美女をはべらせ、メキシコの豪邸に住んでいるといったイメージだ。ドナルド・トランプ米大統領もそんな固定観念を持ち、国境の壁でそういう連中を閉め出せると思い込んでいる。

だが麻薬取引は以前とは様変わりした。武器密輸と結び付き、資金は中国やレバノンに流れる。レバノンのシンジケートがコロンビアのカルテルと手を組むといった状況だ。それを先取りしたのがルルーで、今のアメリカのオピオイド禍もそういう状況から生まれた。

――DEAは6年前にリベリアでルルーを逮捕し、司法取引で捜査に協力させた。

そう。DEAは彼の手下を検挙するために、彼に関する情報を全て極秘扱いにした。彼の存在や活動も、彼が牛耳るグローバルな犯罪帝国についても。

ルルーが雇った殺し屋は世界中どこにでも出没する。捜査当局はそのネットワークの全容をまだつかんでいない。実際、彼の傭兵の1人が私と話したいとメールを送ってきたばかりだ。

magw190508-drug02.jpg
DEAに逮捕された麻薬王ルルー(移送中の機内で) Derek Maltz Personal Collection
――それは本当か。ルルーは7件の謀殺を認め、恐怖支配で組織を統率してきた男だ。あなたの命が危ないのでは?

それはないと思う。むしろ情報提供者のことが心配だ。ルルーは復讐心が強い。

捜査官は彼がどこかに巨額の資金を隠しているとみている。香港にマンションを持っていて、中国の銀行にも口座があった。

香港当局は大量の金塊と爆薬の原料を押収したが、それが全てという保証はない。ルルーは一般の刑務所に移送されれば、今よりも外部と連絡が取りやすくなる。そのとき彼が何を指示するか予測不可能だ。

――彼には良心が欠けているようだ。北朝鮮から覚醒剤のメタンフェタミンを買い、北朝鮮は収益を核兵器開発に充てていた。

彼が北朝鮮から入手したメタンフェタミンは純度99.7%。覆面捜査官が録音したテープで、彼は北朝鮮の製造施設は1カ月に何トンもの高純度メタンフェタミンを生産できると豪語していた。私の計算では、末端価格で10億ドルにもなる量だ。

――あなたはDEAの捜査官、特に特殊部隊の第960班の活躍を詳述し、彼らに対する世論のイメージを覆した。

ルルーについて取材を始めるまで私もこの班のことをよく知らなかった。高度なスキルを持つチームで、グローバルな地下経済に網を張っている。

裏の世界では、多くの悪人が多種多様な悪事を働き、カネとモノを活発に動かしている。一般市民は地下経済の存在に気付かないだけだ。とんでもなく恐ろしい事態が起きるまで......。

――ルルーが逮捕されたのは?
彼は(メキシコの)シナロア・カルテルとの取引を渋っていた。彼らは怠け者の上に強欲で、高値を吹っ掛けてくる、と。それに比べ紳士然として、ビジネスを心得たコロンビア人を信用したのだが、それが運の尽きだった。彼がコロンビアのカルテルの頭目だと思い込んでいた男はDEAの回し者だった。

――グローバルな地下経済の世界には、第2、第3のルルーがいるのではないか。
そう、まだ逮捕されていないだけだ。今の世界は私の子供の頃よりも不安定になっている。戦争はカネになるし、麻薬と武器の密輸組織は地域を不安定化させようとする。そのほうが仕事をしやすいからだ。

ルルー同様、今どきの犯罪組織の幹部はシリコンバレーの起業家並みに時代を先読みする。ろくに教育を受けていないヤクザだと思ったら大間違いだ。そこを理解していないと、彼らのやりたい放題になる。

2019/12/30

警察官のノルマ//違法職質の挙句の事件(BU)

DATE: 01/22/2015

警察組織には、検挙ノルマが存在する。

ノルマをこなさないと出世が出来ない仕組みになっている。
奴らは、せっせっせと課せられたノルマを達成さすために、強引な違法捜査を実施する。
そんな、罠に掛かった一般ピーポーは
たまったもんじゃァない!!

これは、
1月10日の
中日新聞の記事でえある。

去年暮れから、
同様の事件を何件か確認してるんで、

実際には表に出ない、泣き寝入りの
懲役を
食らってる人間も多いことだろう
推測できる。

  以下記事  

「捜査違法」男性に無罪 愛知県警、覚せい剤使用疑いで逮捕


覚せい剤取締法違反(使用)罪に問われた三重県志摩市の人材派遣業の男性(38)に、
名古屋地裁は9日、無罪(求刑懲役3年)を言い渡した。

山田耕司裁判官は、
愛知県警の捜査に重大な違法性があったとし、
覚せい剤が検出された尿の鑑定を「証拠能力は認められない」
判断した。


 判決などによると男性は昨年7月、名古屋市中川区で車を運転中、
警察に停止して降りるよう求められたが、「体調が悪い」と拒否。
薬物中毒の疑いを持った警官らは男性の足を引っ張るなどして車外に出し、
両脇を抱えパトカー後部座席に乗せ職務質問した。


 その後、中川署に向かい、法的手続きをへて男性の強制採尿をしたところ、
覚せい剤成分が確認された。男性は逮捕され、
少量の覚せい剤を使用したとして起訴された。


 判決は、警官が3人がかりで男性を車から降ろし、パトカーに乗せた行為は、
任意捜査の範囲を超えて違法と判断。
また、てんかんと診断されていた男性が現場に救急車を呼んだが、
警官が車を帰しており、「人道上、看過できない。
職務質問で求められる配慮が不足しており、猛省が必要」と強く非難した。
その上で、
違法な任意同行などに基づいた男性に対する尿鑑定の証拠能力を否定し
「犯罪の証明がない」と結論付けた。



 男性の弁護士は
「違法な捜査で得られた証拠は、有罪認定に使うべきではない。
捜査当局への警鐘となる判決だ」

と評価した。
名古屋地検の大図明次席検事は

「判決内容をよく検討し、上級庁とも協議の上、
適切に対応したい」とコメントした。

(中日新聞)

____________________________________________

この記事を読んでどう感じただろうか??

この警察官達は、
日常的に、この様な違法捜査をしていてこれまでノルマをこなしていたのだろう。
職質対策を知っている
プロの
ポン中を舐めてかかった結果、
今回、この事件が明るみに出た訳で、

それまでにに、同じような職質で何人もの
ポン中が
行かんでもええ、懲役に行ってるのだ。

ポン中にも人権がありそれを犯す事は、何びとたりとも許されない行為なのである。
多分、このプロポン中は、証拠になるような
録音や、記録、動画、
等を残していたんだろう。

口で言うだけの供述では裁判官を納得させることは不可能だからだ。

先日書いた
「職質対策」
見てもらったら、わかると思うが、

このポン中は、正に対策マニュアルを持っていた奴で、
最後の手段である、
救急車まで出動させている。

この無罪で判決で、
今度は、
警察官たちを訴える事が可能になる。


俺なら確実に訴えている。

示談金が入るからだ。
裁判までは起こされては警察官たちも困るから、
早々、示談の話になる。

50万づつ取っても、相手が3人なら、
150万に
なるではないか。

これで、商売も広げられる、軍資金になる。

いかにして、違法警察官らに、
鉄槌を下すか、

それは、特に薬物関係の人間には、
ボーッと、ヨレてる時間があるなら、
チョットは、法律を学ぼうではないか。

簡単な知識で自己防衛できる
防弾チョッキを纏うことが出来るのだから¥¥¥


末端の売り子では、あかん。
中間卸、
100g
単位で動かす人間は、

流石に、プロで、防衛策は完璧にしている。

俺の知る、
卸屋は、部屋の外、中に隠しカメラを常備録画状態で配備しており、
品物も、そんじょそこいらには、
分からない場所に隠してある。

そこまで防弾チョッキを着込んでも、
警察の
S
にハメられると言う
スナイパーショットに打ち抜かれてしまうと言う
現実がある。


部屋に出入りしてる人間が
S
なら、隠している場所をチクるのだ。

ピンポイントで、
一番量がある時に、ガサに入ってこられ、
迷わず、品物を発見されては
手も足も出ない。

警察と持ちつ持たれつの関係を保つのが、見極めをする力による。
この先は、オープンスペースでは書けない


この先は、
PW
ページでまたお伝えしよう。


おわり

2019/12/22

警察官のノルマ//違法職質の挙句の事件(BU)

DATE: 01/22/2015



警察組織には、検挙ノルマが存在する。

ノルマをこなさないと出世が出来ない仕組みになっている。
奴らは、せっせっせと課せられたノルマを達成さすために、強引な違法捜査を実施する。
そんな、罠に掛かった一般ピーポーは
たまったもんじゃァない!!

これは、
1月10日の
中日新聞の記事でえある。

去年暮れから、
同様の事件を何件か確認してるんで、

実際には表に出ない、泣き寝入りの
懲役を
食らってる人間も多いことだろう
推測できる。

  以下記事  

「捜査違法」男性に無罪 愛知県警、覚せい剤使用疑いで逮捕」


覚せい剤取締法違反(使用)罪に問われた三重県志摩市の人材派遣業の男性(38)に、
名古屋地裁は9日、無罪(求刑懲役3年)を言い渡した。

山田耕司裁判官は、
愛知県警の捜査に重大な違法性があったとし、
覚せい剤が検出された尿の鑑定を「証拠能力は認められない」
判断した。


 判決などによると男性は昨年7月、名古屋市中川区で車を運転中、
警察に停止して降りるよう求められたが、「体調が悪い」と拒否。
薬物中毒の疑いを持った警官らは男性の足を引っ張るなどして車外に出し、
両脇を抱えパトカー後部座席に乗せ職務質問した。


 その後、中川署に向かい、法的手続きをへて男性の強制採尿をしたところ、
覚せい剤成分が確認された。男性は逮捕され、
少量の覚せい剤を使用したとして起訴された。


 判決は、警官が3人がかりで男性を車から降ろし、パトカーに乗せた行為は、
任意捜査の範囲を超えて違法と判断。
また、てんかんと診断されていた男性が現場に救急車を呼んだが、
警官が車を帰しており、「人道上、看過できない。
職務質問で求められる配慮が不足しており、猛省が必要」と強く非難した。
その上で、
違法な任意同行などに基づいた男性に対する尿鑑定の証拠能力を否定し
「犯罪の証明がない」と結論付けた。



 男性の弁護士は「違法な捜査で得られた証拠は、
有罪認定に使うべきではない。捜査当局への警鐘となる判決だ」と評価した。
名古屋地検の大図明次席検事は「判決内容をよく検討し、上級庁とも協議の上、
適切に対応したい」とコメントした。

(中日新聞)

______________________________

この記事を読んでどう感じただろうか??

この警察官達は、
日常的に、この様な違法捜査をしていてこれまでノルマをこなしていたのだろう。
職質対策を知っている
プロの
ポン中を舐めてかかった結果、
今回、この事件が明るみに出た訳で、

それまでにに、同じような職質で何人もの
ポン中が
行かんでもええ、懲役に行ってるのだ。

ポン中にも人権がありそれを犯す事は、何びとたりとも許されない行為なのである。
多分、このプロポン中は、証拠になるような
録音や、記録、動画、
等を残していたんだろう。

口で言うだけの供述では裁判官を納得させることは不可能だからだ。

先日書いた
「職質対策」
見てもらったら、わかると思うが、

このポン中は、正に対策マニュアルを持っていた奴で、
最後の手段である、
救急車まで出動させている。

この無罪で判決で、
今度は、
警察官たちを訴える事が可能になる。


俺なら確実に訴えている。

示談金が入るからだ。
裁判までは起こされては警察官たちも困るから、
早々、示談の話になる。

50万づつ取っても、相手が3人なら、
150万に
なるではないか。

これで、商売も広げられる、軍資金になる。

いかにして、違法警察官らに、
鉄槌を下すか、

それは、特に薬物関係の人間には、
ボーッと、ヨレてる時間があるなら、
チョットは、法律を学ぼうではないか。

簡単な知識で自己防衛できる
防弾チョッキを纏うことが出来るのだから¥¥¥


末端の売り子では、あかん。
中間卸、
100g
単位で動かす人間は、

流石に、プロで、防衛策は完璧にしている。

俺の知る、
卸屋は、部屋の外、中に隠しカメラを常備録画状態で配備しており、
品物も、そんじょそこいらには、
分からない場所に隠してある。

そこまで防弾チョッキを着込んでも、
警察の
S
にハメられると言う
スナイパーショットに打ち抜かれてしまうと言う
現実がある。


部屋に出入りしてる人間が
S
なら、隠している場所をチクるのだ。

ピンポイントで、
一番量がある時に、ガサに入ってこられ、
迷わず、品物を発見されては
手も足も出ない。

警察と持ちつ持たれつの関係を保つのが、見極めをする力による。
この先は、オープンスペースでは書けない


この先は、
PW
ページでまたお伝えしよう。


おわり

2019/12/20

推薦ドラマ Braeking Bad USのポン中ドラマ(BU)

DATE: 01/20/2015


このドラマ、只今、hulu で、配信中。

現在2週間の無料お試し期間があるので、それを利用して、
視聴しよう。

アメリカ版ポン中ドラマ

これが、なかなか面白く
アメリカのメタンフェタミン、隠語
「クリスタル メス」

現状が描かれている。

USでは、風邪薬から自らで精製して作ると言う手法が日本にはない
カルチャー

誰の、作ったメスがいいんだ?

メスの精製を
クック
と言い。

普通の民家の地下室や、キャンピングカー等が、精製場所となる。
精製には危険が伴い、キラーガスの発生、
爆発の危険。

シェフ
の作るメスは
純度
99.8%

一度味わってみたい。

日本で出回っている覚せい剤は
売店にもよるが、

60-80%

アベレージ

しかし、ヘロイン衰退国のこの日本
ヘロインの純度

俺が、現役であった頃は、
90%up
アベレージ

で、先進国の中では、高純度であった。

USなどの、ヘロインは純度

16%-60%

と言う話を耳にしたことがある。

そやから、昔タイからスマッグラーした
純度、98%の

ヘロイン
1g

タイ国内価格は約

3000円弱

それが日本国内では、スマッグラーから、
プッシャーに

30000円
と10倍になるが、
末端での取引は、

0.1g-10000円
で、取引されるが、混ぜものや、割増等は行わないのが
ルール。

しかし、それがNYのディーラーの買い付け価格は、
g-20万円
で、買い取ってくれると言う話があり、
チームを組んでいた女が、日本経由で運んでいた。

ハワイでも、俺らの運ぶ
ヘロインは評判で、ディーラーから、よく注文を受けたが、
運べる量には限界があり、

USのディーラー達には迷惑をかけた。

彼らは、純度98%…

何故、純度が分かったかと言うと、
タイでパクられた仲間の裁判で、刑期を決めるのに、量
ではなく、

純度で計算する
その時仲間が持っていた
ヘロイン

の純度が

98%

だった。

話は戻り、US野郎は、その
ヘロインを4倍に薄めるという。

25%程度になるが、USでは、急に純度を上げると死人が出るからだと言う理由

1gが80万円になる、

それを、バルーンと言う風船の中に入れ
口の中に隠せるようにパックする。

普通のバルーンと、ビッグバルーンがある。

1バルーン、40ドルで
0.1g

ビッグバルーン、80ドルで
0.25g

グラム換算すると320ドル

1280ドル

当時のレートが、280円

358400円になる。

1g売ると、158400円の儲けである。

20万円で仕入れても、十分儲かる仕組みになっている。

さて、話は完全にそれたがこの
Breaking Bad

流石、に違法薬物の精製・販売となると、
チカーノギャング・マフィアが登場する。

ジャンキーの世界は狭く、純度の高い商品が出回ると
必ず、噂が広まり、争いごとが発生する。

死人もでる、

そんなハードな世界に身を置いた、高校の化学の先生が主人公で、
その家族にまつわる話が展開してゆく、

俺もまだ、20話位までしか見てないんで、
なんとも言えんが、全話、68話あり、まだまだ、話の展開がどうなるかは分からない。

暇を持て余してえいるいる人、いない人
このブログに興味あるなら、是非見て欲しいドラマの紹介です。

このブログの、最初の頃投稿した
ジャンル・未設定で、
「キャンディー」

と言う映画を
紹介してる。

これも、リンクが切れてなかったら、このサイト内で見れるので
視聴して欲しい。

話はそれからである。

以上

2019/12/15

末端価格情報 【10/01/2015更新】(BU)


@情報は、ネット、自身の回り関係先を集計したものになります。

近畿地方

覚せい剤

1g-25000〜36000
1万-0.2〜0.3g

ガンジャ

ブランド品
1g-5000〜7000

ノーブランド
1g-2500〜4000

COKE

1g-20000〜30000


1T-2500〜5000

ヘロイン

1g-60000
1万-0.1g

LSD

1T-3000〜

モルヒネ10mg

1T-2500

年明けの価格はこんな感じ。
俺が言うのもなんやが、
危険ドラッグには絶対手を出さないよう
忠告しておく。

今年1年
皆さんも身体には気を付け
ブッ飛びましょう。

PWについては、
サイドバープロフィール欄にリンクあり。

2019/12/14

覚せい剤を長期使用していると(BU)


覚せい剤を長期間使用して、身体に起こる変化がある。

多分個々により症状は違うと思うが、
俺に現れる症状は

一番感じるのが
末端神経への影響

まず、歯ぐき、
殆ど歯が無くなってしまった。

頭の毛の生え際
前髪の生え際からどんどん毛が無くなる
つまり、M字に禿げて来る。

指の先
爪の周りの皮膚が角質化しカチカチになる。

過食

異常な食欲、
体重が15k程増えた。

以上が
俺に現れる症状である。


精神的症状

普通の場合医学的には、
覚せい剤精神病として、

統合失調症

と、されるが

俺に関しては当てはまらない。
症状としては

根拠の無い自信、
強力な自信が湧いてくる。
効き目でも平気で警察署に出向く事も
ためらいを感じ無い。

職質はゲーム感覚で、
言葉の切り返しが楽しめ、警官を謝らせる事で、ゲームオーバーと
している。

多弁になる

警戒心が強くなる、
家中防犯カメラや、センサー防備
家の周りの変化に敏感。
品物の管理は徹底している。
マル秘の隠し場所がある。

気が短くなる。
すぐ炎上、後先考えない。

大体こんな感じです。

よく聞く、
時間にルーズになったり
部屋が散らかる
ヒソヒソ話し
見られてる、
着けられている
周りの目

この様な症状は、無い。

覚せい剤の良し悪しとは、

個人により効き方も違い、
症状も違うんで
一概に良い、悪いは、
決めれないが、
やはり、メタンフェタミン純度
100%
と言うのが、ええ品物と言う事です。

法律的な名称は
フェニルメチルアミノプロパン

通称、覚せい剤、シャブ、エス、スピード、アイス、上、早見君、早いの、ガンコロ、スピ、品物、

など、と呼ばれ取引される。





2019/12/13

Slip 覚せい剤 狂いホルモン(BU)


DATE: 01/09/2015 12:00:00


不思議に思う事がある。
それは、

覚せい剤と言う違法な薬物
日本国中
北は、北海道
南は、
沖縄

まで、
覚せい剤が、出回ってない都道府県はないのではないか?
言う疑問なんやが、

大昔、ある麻薬取締官の言葉を
思い出した。

結論から言えば、
アメリカによる、CIAと、DEA
工作だと言う事、

戦後昭和46年(定かではない)
頃まで、
覚せい剤は、ヒロポンとして
薬局で売られていた。

これまでにも、規制する法律はあったが覚せい剤取締法が出来たのが、
この辺りの年代になると思う。

A氏曰く、

40年ほど前は
合法
であった。

日本国は、戦争に
覚せい剤を使う為に増産しており、

原爆で急速に戦争が終り、
大量の覚せい剤が余剰在庫として
倉庫の中に山のようにあった。

日本国が日本国で無くなった
アメリカに侵略され、

アメリカの統治下におかれた。

俺は、日本人やが、
本当の日本国と言う国を知らない。

アメリカナイズされた、
日本しか知らない。

戦勝国は、侵略した国を
どうにでもできる。

CIAは、大量に余った覚せい剤に
目を付けた。

この国を建て直すには、
覚せい剤

利用

大麻の規制

今の世界を見ても良くわかる。
後進国から発展して行く上で、
メタンフェタミンが
必ずしも
流行している。

アメリカは、新日本国には、
アメリカにとって、
利益ある国でなければ
ならない。

ヘロインは生産能力を
落とす。

覚せい剤は、
24時間働けますよ!


GHQは、
覚せい剤を野放しにしていた。

そのおかげで、日本は、
急激な経済成長をとげ、

安く出回っていた、
覚せい剤に規制をかけ出した。

日本には、ヘロインを入れるな!

DEAが受けた
プロジェクトの一環

麻薬取締官が、言うには
ヘロインで逮捕されると
DEAに登録するそうだ。

DEAは、日本国内の
ヘロインの流れを常にリサーチしているのだ。

理由は、

ヘロインは
国をも滅ぼす力があるからだ

現在、世界の80%生産する
アフガニスタン
ヘロインコントロールしているのは、
CIA
なんやからな。

そんな訳で、日本では、
殆ど、ヘロインの流通がない。

しかし、

覚せい剤

こいつは、

日本の隅々まで、
年齢も、性別も、
幅広く、

こんな現象、誰かが操作
無しには、ありえへん。

今は、危険ドラッグ
新種の、合成ケミカルが、
問題になってるが、

ヤク中プロは
絶対に手を出せへん。

あんな、訳の解らん
科学合成の
実績のないもん、
怖て、よーせん、

LSD
でも、初めて取る時は
添乗員が、必要やのに、

さーぁー、
何を書いてるんか、わからんよー
なって来た。

1月5日に
正直言うと、

Slip

やってもて、

それが、使用期間が、20年以上
と、言う事もあって、

クリアーな時の自分は、
精神病患者

ポンを入れると、
本来の自分に戻ると言うか、

これに、ヘロインがあれば、
元の自分にもどれるんやなぁ、

と、

完全な、逆転生活、

今、そんなんで、
自分を、見失ってる状態です。

話しはかわるが、

やめとこ、

しんどなって来た。

また、更新しま。

2019/12/08

薬物、一体何が悪いのか?


このところテレビ等では
違法薬物を目の敵にしているが


違法薬物の一体何が悪いのかと俺は
思う

諸君達は違法薬物の一体何を知っているのか


このブログの、1st、2ndの読者なら
俺の言いたいことが何かを理解していると思うが


違法薬物を見たことも、使った事もない
奴らは

違法薬物の何を知っているのかを
まず


俺は知りたい
!!


俺は、違法薬物に携わり35年もの間
多種多様に渡る違法薬物を
自分なりに研究していた結果から


違法薬物の悪いところは

法律に違反しているということのみに尽きる
付け加えれば

闇資金になるくらいで
その他には

アル中がたどる道のりとほとんど変わらない


アルコールも薬物とするなら
俺が今まで見てきた中毒患者で一番酷い末路をたどるのが
アル中


言っても過言ではない
!!


違法薬物と言っても色々とある
薬物を知らん奴らは
みんな同じと勘違いしている奴らが多いが

それぞれ全く違うものである


そして、一般人も知らぬうちに摂取していることすら
気が付いていない奴ら
ガタガタ抜かすなと

思う


風薬には、覚醒剤の元である

エフェドリン

ヘロインの同種の

リン酸コデインが入っている

咳止めシロップに至っては、風邪薬の何倍も含有されているので
咳止めシロップの乱用が無くならないのであろう


俺は、断薬してかれこれ
10年
になるが、依存症と言う病気は未だに治ることはなく
双極性うつ
と言う、別の病まで発症


おまけに、C型肝炎まで持っているが
体は至って健康である

嘘のようやが・・・(笑)


10年違法薬物は断っているが
精神科薬に
この10年依存してしまっている
本末転倒である


国家によって薬物中毒にされしまっているのが
現状である


違法欲物の中で俺の一番のお気に入りは
間違いなく

「ヘロイン」

である


何故か

ヘロインは人生とは何かを身を持ってわからせてくれる
ヘロインは死とは何かをわからせてくれる

それと

「LSD」

である

LSDは生命とは何かを分からせtくれる
LSDは異次元の世界の存在は脳に存在する事を分からせてくれる


2nd
の、読者であれば
違法を除けば、アルコールも、タバコも医薬品も
全て同じものだと言うこと
知ってると思う


話をまとめることにスル

薬物について何の知識もない奴がとやかく言うな
と言うことだ
!!


違法薬物と同じ成分は己の脳内にも存在すると言う事を
忘れるな
!!


俺は、コレまでの人生を全く後悔などしていない

しかし、違法とされる薬物にはそれなりの
理由があるのも事実で


安易に、素人が手を出すことは勧められない
乞食になるは、頭が壊れるか、死ぬか
逮捕

されるのが、待ち受けているからだ

俺は俺なりに
ほぼ、全ての薬物を経験し追求し結論を出したので
今後、することはないが


フラッシュバックは死ぬまで続くであろう

ほな、な

2019/09/23

人気海外ドラマ「ブレイキング・バッド」の新作映画「エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIE」







2008年から2013年まで放送された、人気海外ドラマ

「ブレイキング・バッド」

の新作映画である

「エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIE」

の予告編が初公開された。



「ブレイキング・バッド」は、平凡な高校教師ウォルター・ホワイト
(ブライアン・クランストン演)
が、



ガン宣告を受けたことをキッカケに麻薬製造に手を染め、
のちに麻薬王となり転落していく様を描いた
ブラック・コメディ。エミー賞を複数獲得するなど、


高い評価と人気を獲得し、
昨年11月に、待望の映画版の制作決定が報じられた。


また同作で、悪事の片棒を担ぐジェシー・ピンクマン役を演じたアーロン・ポールも続投することが決定。




そして今回、

「ブレイキング・バッド」

の続編を描いた新作映画

「エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIE」

の予告編が、米時間9月22日に開催された、米テレビ界最高峰の祭典「第71回エミー賞授賞式」のコマーシャルで初公開された。




映画はドラマ本編の最終回直後を舞台が描かれており、
公開された予告編では、夜の薄暗い野原に

ジェシー・ピンクマン

が乗った車が一台止まっている。


真剣な表情のジェシーは、ラジオから流れるニュースを聞いている。
ニュースではアナウンサーが

「速報です。複数の被害者たちの恐ろしい映像です。
近隣住民たちが何百という銃の発砲を聞き、
アルバカーキ警察が駆けつけた時、
何度も撃たれて被害に遭った9人の男性たちを発見。

ベテラン警察官はおどろくような虐殺だとコメント。
リモートコントロールによるマシンガンが使われた模様です。
捜査当局は現場から逃げたと思われる人物を捜査中。
この件に関する情報に心当たりのある方は、
すぐに警察へご連絡ください」



と殺人事件の速報ニュースをアナウンスしている。


SOURCE元
https://www.tvgroove.com/?p=19569



2019/08/27

慢性覚せい剤中毒症状と、躁状態の症状(BU 09/14/2014)


覚せい剤をやってると、どんどん量が増えてくる
あっ、と 築いた時には1日1グラムなんか平気でなくなってる時がある。
こんな経験をしたこともある人は多いと思うが、
多分に漏れず、私もその経験者であり、毎日こんなことを繰り返すと、
慢性覚醒剤中毒になってゆく。
慢性覚醒剤中毒になると、普通に飯を食い、普通うに寝ることができる
それ以上に、太って行くのだ。
俺は、何よりも増える量をコントロールしようと
少ない量を、1日に何回も行くのではなくて、
朝、一番にガツンとくるぐらいの量を1日に一回だけ打つことにした。
その量は、0.2グラム
毎日、毎日、朝の1発だけの生活を5年間ほど続けたら
当然、慢性覚醒剤中毒になってしまっている。
それで、普通の生活が送れるのだから人間の体はホントにたいしたもんだ
非常に良くできているとつくづく実感してしまう。
しかし、今から思うと弊害も出ていたようだ。
現在、クリーンな状態から思い起こしてみると
喧嘩や、回りへの威圧的な態度、すぐに、カーっとなる、反応の鈍り、
急に、気絶する。運転が荒くなる。攻撃性。多弁になる。
この様な症状があったみたいだ。
ここで思うに、現在 躁状態にある俺は、全く持って上記に書いた
覚醒剤中毒の症状とまるで一緒なのです。
睡眠は短く、多弁で誰にでも話しかけ、頭がスカットして活動的で
小さなことにもイラついて、攻撃的になる。
全くもって同じ症状なのだ。
それに付け加え、覚せい剤への欲求がなくなると言う点が一番ビックリした。
うつの状態の時は、朝早く目が覚めるときなんかは
覚せい剤を買いに行きたくてウズウズするのだが、
今の状態では、ウズウズどころか、
嫌悪感
すら感じるのには、自分自身驚いた。
総状態の時は、ブログも進む、し
トレーニングもできる。
とにかく体がよく動く
逆に、久しぶりに行くと当たりは強烈でそれはそれで良いのだが、
覚せい剤特有の、常道行動で同じことを永遠と続けてしまうので、
あーっと言う間に時間がすぎてしまうのだ。
今は、朝の1時39分
寝たのが、21時、4時間ほどしか寝ていないが、
元気ハツラツである。
最近かんじたのは、この覚せい剤慢性中毒と躁状態の共通点の
発見
みんさんにお伝えしておこうと思い、
起きるや否や、更新している
と、言う訳です。