2019/06/26

歴史に学ぶ 違法薬物



20世紀の薬物政策と薬物廃絶パラダイム


薬物とはその名の通りそもそも医薬品であるか、あるいはそれを開発する過程で産出されたものであって、酩酊などを目的として作られたものではない。なかには、ほとんど人類の文明と同じくらい古くから治療を目的として使用されてきたものも含まれる。それがこんにちのような形で使用や所持に焦点を当てて問題化され、政策的思考の対象として浮かび上がってきたのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてである(*4)。



ではどのように問題化されたのか。国家という水準で考えるのであれば、各国が実質的に薬物政策を立ち上げたのは、1909年の上海阿片委員会やそれに続く1911年のハーグ国際阿片会議とその国際協定(1912年)のためである。とくに1912年の国際協定は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約(1919年)に引きつがれ(295条)、これを踏まえてイギリスやオランダも薬物統制に関する立法を行った。これらの会議の主唱国であったアメリカ合衆国では、1914年にハリソン法という麻薬(narcotics)(*5)統制の法律が制定され、他国に先駆けてその使用さえも禁じられた(*6)。



実は連邦政府による薬物統制は、それまでにも何度か議会で提案されたのだが、いずれも採択されなかった。それは薬物統制が州政府の管轄だと考えられたからである。その意味で今回のコロラド州などの動きは、州を中心にしたそもそもの薬物統制の原点に立ち戻るものであるともいえるだろう。



連邦政府による薬物統制へと風向きが変わったのは、上記の国際会議や国際協定後である。そもそも最初の国際会議を求めたのはアメリカ聖公会の主教であった。主教は当時の大統領ルーズベルトに手紙を書いて、合衆国が中心となって不道徳な阿片貿易の統制に乗り出すべきだと訴えた。ルーズベルトは、合衆国の中国移民政策に不満を抱いている中国政府のために、この機会をとらえて会議を主唱したといわれている。国際協定成立後はそれに合わせて国内の薬物統制立法が行われていくことになった(*7)。



なぜアメリカは国内で薬物を強く取り締まろうとしたのか。それは端的にいえば、薬物がアメリカ合衆国における移民問題や人種問題の象徴とされたからである。議会やメディア、あるいは薬剤師の全国大会などでは、移民や人種の問題をあげながら、薬物問題の重要性が論じられた。



例えば、そもそも阿片は中国人労働者によって使用されていたことが問題視された。中国人労働者は当初、大陸横断鉄道建設の貴重な労働力と見なされていたが、1869年の鉄道完成後はむしろ白人失業者の仕事を奪う余剰な労働者として敵視され、ほどなく中国人排斥法(1882年)が制定された。その過程で阿片も問題化されたのである。



また阿片系麻薬と同時に規制されることになったコカインは、南部のアフリカ系(黒人)労働者によって使用されていたことが問題視された。とはいえ、南部のアフリカ系労働者が興奮剤であるコカインを使用するようになったのは、そもそもは白人雇用主が彼らを過酷な労働に長時間耐えられるようにするために与えたからである。しかしながらそれがアフリカ系の間に普及すると、今度はその効果によって白人労働者の労働機会が奪われることが問題にされるとともに、コカインの普及に恐怖を感じて取り締まりの必要性が訴えられた。コカインを使用したアフリカ系には32口径の銃弾は効かないという噂が飛び、38口径に装備を変更した警察署すらあったのである。



さらにマリファナは、1920年代の好景気を支えたメキシコ人の移民労働者によって使用されていたことが、1929年の大恐慌後に問題化された。彼らもまた白人労働者の仕事を奪う異分子、合衆国を汚す異分子として非難された。このように、薬物の問題化の文脈にはアメリカ合衆国ならではの文脈と事情があり、その意味でアメリカ病(American disease)ともいえる問題でもある(*8)。それゆえ当初の国際会議や国際協定にはアメリカ以外の各国は乗り気ではなかった。



一方、あまり知られていないことだが、薬物使用を犯罪として取り締まるという傾向が国際的に一般化したのは、それほど古いわけではない。とくに欧州で薬物の所持と使用を犯罪として取り締まることが一般化したのは1960年代以降といえる(*9)。



これには1961年にニューヨークで結ばれた「麻薬に関する単一条約」に始まる国際麻薬三条約が影響している。71カ国が参加した「単一条約」は1964年に発効した。その後の国際協定として1971年の向精神薬に関する条約があり、さらに1987年には138カ国が参加した麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合会議が開かれ、それに基づいた条約も翌1988年に定められている。



これら国際麻薬三条約は、いずれもいわゆる薬物廃絶パラダイムにもとづいているものである。薬物廃絶パラダイムとは、個人は社会が許容するような形で薬物を使用することは不可能であって、使用は必然的に常用へといたるがゆえにこれを廃絶することが求められるという考え方である(Korf 1995)。そしてこのパラダイムにもとづいて使用を犯罪として取り締まることが、この時期とくに欧州を含めて一般化した。その意味で薬物使用を犯罪として取り締まるという政策は、実は20世紀も後半になって国際的に一般化したものといえるだろう。



真面目なことも書きます。

麻薬とは一体何か?

その背景にある元は何なのか

知って下さい。

日本でも覚せい剤は戦時中に普通に使われた薬品です
薬局で売っていました。
工場労働者に配給されていました。

戦地では、眠らない、お腹が好かない、恐怖心を取り去ると
もてはやされました。

正式な法律ができたのはつい最近昭和42年のことです。

せめて、自分の使用しているクスリがどんなクスリなのかわかってやって下さい。

あまりにもバカが多すぎます。

だから、ポン中は嫌いなんですよ。


俺が、言えた義理じゃないけど・・・

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