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2021/03/16

2G Heroin JAPAN High Quality VIDEO {dooopindog 2008}

DATE: 12/06/2015 06:30:17


ヘロインをテレビとか映画、YouTubeとかで
見ているヘロインは茶色いものが
多いが

No4ヘロイン
(チャイナホワイト)
と、呼ばれる純度の非常に高いヘロインは
真っ白で、当たりも、飛びも
非常に上品である

この動画は映画でも、テレビでもなんでもない
中毒者の日常動画やな





2019/07/16

IN New Osaka ⑤ 5 of 6 (BU08/18/2014)

 


タイでヘロインを入手するには、俺が行ってた頃は、比較的簡単に手に入れるができたが、
現在は取り締まりが厳しく
なかなか、手に入れるのは面倒みたいだ。


しかし、タイも変わったな、

今は、ヘロインに変わりメタンフェタミンが、その座に取って変わってるんやから、
タイもアメリカに取り込まれた、ちゅー
こと言うわけや。


俺のジャンキー仲間に、某国の領事館に勤めてたAと言う奴がいた。
前回の下手うちで、俺は Aと組むことにした。


タイでの仕入れ先は、バンコクでは、
ガーナ人、チェンマイでは、トムと言うタイ人と、某ゲストハウス
500gが大体、25万バーツ位が相場やった。



2010年頃、始めてタイに品物を引きに行くと言う Tのアシストをしたことがあった。
ど素人のT、連れて行ったことを後悔した。
なんで、2回目飛びたいと言ったが、
俺は断ることにしたのだ。



Tはしょうがなく別の人間を探し、2人でタイへと飛びたったのだか。
話によると、ネタを仕入れバンコクに戻って、明日帰国と言う時に、路上で職質にうん悪く出くわし、
ヘロイン所持で2人共逮捕されてしまった。



2人共17年の刑を言い渡され、そのまま帰らぬ人となった。
2年頃した頃、Tが自殺したと言う訃報が入った。


バカな奴だ! 


ちなみに一緒にパクられた1人は、2008年くらいに、恩赦と金で帰ってきょった。
ヘロインをやりたいのなら、ヨーロッパ方面へ行こう、

アフガンのネタが大量に流れ込んでいるんで、そんなに高く無いと思う。
最後に、某国領事館のAはどうなったかと言うと、近麻のSにチクられて逮捕され、領事館はクビになりました。



To be conti---

2019/05/01

ネクロフィリア、究極の快楽

ネクロフィリアとは
死体とセックスする究極の快楽を求めるもの達だが

彼らの脳の中は一体どうなっているのだろうか?


俺の知る限り
昔市、タイに滞在中に知合った日本人から聞く事になった
ある仕事の内容だ。

彼の仕事とは誘拐されてきた女の子
人種は他人種で当時は
白人、日本人が人気とされていた


誘拐された女の子達はすぐに病院へ連れて行かれ
客の注文に応じた手足の切断手術が
施される。


タイは非常に暑い国なので衛生状態が悪い
そこでその友達の出番である


切断された女の子達が数人集まるとバンに乗せて
北の気候の涼しいチェンライへ連れて行き
傷が癒えるまでおおよそ4ヶ月程
彼女らの世話をするという仕事をしていた。



そして傷が治った女の子たちは
色々な国へと売られていく。

調度その時もバンコクで日本料理を食っていると
日本人の両親が
娘が行方不明になったとかで、
彼女のビラを配っているのを間近に感じたものであった。


俺も、結構な変態だがこの趣味だけは
どうも理解できない、


死ぬ瞬間にセックスをするのは
良いかもしれないが、

こんな腐りかけの肉の塊にチンコを突っ込む気にはなれない
多分、98%位は

そう、


2%位かな??


書いていて訳が解らなくなって来たんで

今日はこの辺で失礼する。

ほな、


2019/04/12

チェンマイでバイクを跳ね飛ばす。


一体いつの話やろか?
ふと、思い出したので書くことにした。


俺が、30代の頃
年にタイへは月一ペースで行っていた
勿論ヘロインを運ぶために行っていたのんやが


その間に一回パクられて
5年振りにチェンマイのクンサーの兵隊の友達の所を訪れた
んやが、友達は肺がんで亡くなっていた。


それを聞かされたのが、彼の奥さんである
ミスチェンマイのアトゥ(仮名)からだ、


その時に新人スマグラーを一人連れって行ったんやが
こいつが出来が悪かった、
ヘロインもビギナーで、一発打つ度にぶち倒れると言う
愚行の愚行だらけのやつやった。


その時、俺はアトゥからヘロインとメタドンを仕入れる如く
約束をしていたんやが、8時の待合せを
寝過ごして10時に目が冷め慌ててアトゥに連絡をしたのを
覚えている。


アトゥが俺らが泊まるメーピンに迎えに来た時だ
俺をとビギナーの太一を拾い
アトゥの家へ向かう途中のこと


右から急にバイクが出てきてアトゥは避けきれずに
バイクを人ごと跳ね飛ばした、
飛ばされた奴は車の屋根を超え車の後ろに落下していた。



アトゥは俺らと、娘(ティック)に歩いて家まで行けと
指示し、跳ね飛ばされた奴に金を握らせ
事態を収拾しようとしていた、


俺らはそれを尻目に娘の後を付いて帰ってる途中
アホの太一が屋台で何かを買おうとしているではないか


タイ人と日本人がつるんでいるのは余り好ましくはない
そんな事情を知らん太一をティックが
怒りチラシ足早に家へとたどり着いた。


30分ほどしてアトゥが帰って来て、話を聞くと
金で話を付けたというではないか
バイクの奴はかなり怪我をしていたらしかったが
さすがのアトゥ、金でホッペタを叩いて
事故をなかったコトにした。



アホの太一やが、一発打って倒れている、
アトゥにとりあえず、10Gのヘロインを貰い
注文した、ヘロインとメタドンの金を渡し次の約束をして
俺は、フラフラの太一を抱えタクシーでメーピンまで
帰った。



そんなこんなで、日本に帰国した俺は
太一と二度と関わりを持ちたくなかたんで
着拒にして俺は俺の商売をしていたが


回り回って太一が俺と連絡を取りたがっていると
小耳に挟んだが放っておいた


太一は再びタイに仕入れに行きたいらしく
俺に連絡を取りたがっていたらしいが、もう
ごめんやった俺は無視を決め込んだ


すると、田中と言う中堅スマグラーと太一が
何故か知り合うことになり
2人してタイへと旅立ったと言う話を耳にした


そして、その後、2週間ほどして
2人がカオサン近辺で職質に合い、パクられたという話が
飛び込んできた。


そして、2人に下った判決が
・・・・・


チョット待った、その職質で少量のヘロインが出てきたんやが
泊まってるホテルの部屋のガサで
100g以上のヘロインが出てきて逮捕され
下った判決が17年と言うものだったらしく


金のある田中は中では結構な暮らしをしていたと言う話を聞いたが
太一は金もサポーターもなく
乞食のような暮らしぶりやったと


その、数カ月後、太一が首を吊って自殺したと言う話が
舞い込んできた。



俺の目には狂いが無かった
太一と居るとパクられると言う俺の感は見事に的中した


下手したら俺が犠牲になっていたかもしれなかった。


田中は、どうやったんか知らんが
8年ほどしてから釈放され日本へ戻って来た
電話で少し話したが、会うことは無かった。


太一が招いたバイクを跳ね飛ばす出来事から
その危険性を察知してから
10年目の出来事だった。


ほな、