ラベル プッシャー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル プッシャー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021/11/01

Meth ヘロイン in HAWAII プッシャー NG

Meth ヘロイン in HAWAII プッシャー NG 


ナショナルジオグラフィック

ドキュメント

2021/10



2019/12/20

推薦ドラマ Braeking Bad USのポン中ドラマ(BU)

DATE: 01/20/2015


このドラマ、只今、hulu で、配信中。

現在2週間の無料お試し期間があるので、それを利用して、
視聴しよう。

アメリカ版ポン中ドラマ

これが、なかなか面白く
アメリカのメタンフェタミン、隠語
「クリスタル メス」

現状が描かれている。

USでは、風邪薬から自らで精製して作ると言う手法が日本にはない
カルチャー

誰の、作ったメスがいいんだ?

メスの精製を
クック
と言い。

普通の民家の地下室や、キャンピングカー等が、精製場所となる。
精製には危険が伴い、キラーガスの発生、
爆発の危険。

シェフ
の作るメスは
純度
99.8%

一度味わってみたい。

日本で出回っている覚せい剤は
売店にもよるが、

60-80%

アベレージ

しかし、ヘロイン衰退国のこの日本
ヘロインの純度

俺が、現役であった頃は、
90%up
アベレージ

で、先進国の中では、高純度であった。

USなどの、ヘロインは純度

16%-60%

と言う話を耳にしたことがある。

そやから、昔タイからスマッグラーした
純度、98%の

ヘロイン
1g

タイ国内価格は約

3000円弱

それが日本国内では、スマッグラーから、
プッシャーに

30000円
と10倍になるが、
末端での取引は、

0.1g-10000円
で、取引されるが、混ぜものや、割増等は行わないのが
ルール。

しかし、それがNYのディーラーの買い付け価格は、
g-20万円
で、買い取ってくれると言う話があり、
チームを組んでいた女が、日本経由で運んでいた。

ハワイでも、俺らの運ぶ
ヘロインは評判で、ディーラーから、よく注文を受けたが、
運べる量には限界があり、

USのディーラー達には迷惑をかけた。

彼らは、純度98%…

何故、純度が分かったかと言うと、
タイでパクられた仲間の裁判で、刑期を決めるのに、量
ではなく、

純度で計算する
その時仲間が持っていた
ヘロイン

の純度が

98%

だった。

話は戻り、US野郎は、その
ヘロインを4倍に薄めるという。

25%程度になるが、USでは、急に純度を上げると死人が出るからだと言う理由

1gが80万円になる、

それを、バルーンと言う風船の中に入れ
口の中に隠せるようにパックする。

普通のバルーンと、ビッグバルーンがある。

1バルーン、40ドルで
0.1g

ビッグバルーン、80ドルで
0.25g

グラム換算すると320ドル

1280ドル

当時のレートが、280円

358400円になる。

1g売ると、158400円の儲けである。

20万円で仕入れても、十分儲かる仕組みになっている。

さて、話は完全にそれたがこの
Breaking Bad

流石、に違法薬物の精製・販売となると、
チカーノギャング・マフィアが登場する。

ジャンキーの世界は狭く、純度の高い商品が出回ると
必ず、噂が広まり、争いごとが発生する。

死人もでる、

そんなハードな世界に身を置いた、高校の化学の先生が主人公で、
その家族にまつわる話が展開してゆく、

俺もまだ、20話位までしか見てないんで、
なんとも言えんが、全話、68話あり、まだまだ、話の展開がどうなるかは分からない。

暇を持て余してえいるいる人、いない人
このブログに興味あるなら、是非見て欲しいドラマの紹介です。

このブログの、最初の頃投稿した
ジャンル・未設定で、
「キャンディー」

と言う映画を
紹介してる。

これも、リンクが切れてなかったら、このサイト内で見れるので
視聴して欲しい。

話はそれからである。

以上

2019/12/19

去年の1月の事件だが、おもしろい「スレ」発見。(BU)

DATE: 01/20/2015


マクドナルのドライブスルーで
ヘロインの密売
US、ペンシルベニア

合言葉は、ハッピーセット

Could you sale me Happy Set ?

何故、1年経った今頃、2chが炎上してるだろうか?
俺のアラートは殆どが
マクドナルド、ヘロイン混入で埋まっている。
50件

スレ
http://blog.livedoor.jp/misopan_news/archives/51986077.html

ど素人共が、好き勝手なトークバトルしとる。
結構おもろいやないかぁー

興味ある人は覗いたって。


2019/07/17

IN New Osaka Last 6 of 6(BU)


何事にも変化があるのが、世の常である。

俺の周りにも変化が現れていた。

続々と周りの人間がパクられて行くのだ
それには原因があった、

犬だ

府警本部と近麻の犬が何人かいる。



当時の新聞をも賑わした、ヤクザが関係しない不良だけの
ヘロイン密売グループ
104人逮捕される。と、言う事件
大阪のグループは壊滅状態にあった。



ヘロインの供給が経たれた残った人間はヘロインの調達にてんやわんやして、あっちこっち走り回っていた。



ヘロイン中毒の性、自分にもデコの手が迫っているのにも関わらず、ヤクを辞めることができないのだ、


明日の逮捕より、今のヘロインが優先されるのだ。悲しいかな。


神戸グループが難を逃れ、生き残っていたので、俺自身は調達の苦労はなかったが、供給量が少なく満足いく量が手にできなかった。


家の電話がジャンジャン、けたたましく、俺をいらだたされる、
普段かけて来ないような奴はまだましだ、何処で聞いて来たのか
全く知らない奴からも電話が鳴る。



酷い状態になって来たで、
いちいち相手してたら切りが無いので相手にしなかった。

大阪の街中で、持ってるのはDだけだとヘロイン中毒の間では、噂になってると言うではないか、えらい迷惑な話だ。


電話に出ないでいたら、
ある日

ピンポン、ピンポン

と、チャイムが鳴りだした。


ヘロイン中毒者が家まで押しかけて来た  シックで鼻水を垂らし、嘔吐しながら
ボロ布のどう見ても乞食が、ドアを叩いている。



ヘロインの世界には、ヘルプと言う言葉があり、持ってる者は、シックでヘルプしてくれと言う奴を助けると言う、暗黙のルールの様なものがある。



それは、ギブ&テイクで自分が逆の時にヘルプして貰えないからだった。
俺もヘロインの世界で生きる人間、乞食の様になって頼って来られたら、
助けないわけにはいかない。

2019/07/16

IN New Osaka ⑤ 5 of 6 (BU08/18/2014)

 


タイでヘロインを入手するには、俺が行ってた頃は、比較的簡単に手に入れるができたが、
現在は取り締まりが厳しく
なかなか、手に入れるのは面倒みたいだ。


しかし、タイも変わったな、

今は、ヘロインに変わりメタンフェタミンが、その座に取って変わってるんやから、
タイもアメリカに取り込まれた、ちゅー
こと言うわけや。


俺のジャンキー仲間に、某国の領事館に勤めてたAと言う奴がいた。
前回の下手うちで、俺は Aと組むことにした。


タイでの仕入れ先は、バンコクでは、
ガーナ人、チェンマイでは、トムと言うタイ人と、某ゲストハウス
500gが大体、25万バーツ位が相場やった。



2010年頃、始めてタイに品物を引きに行くと言う Tのアシストをしたことがあった。
ど素人のT、連れて行ったことを後悔した。
なんで、2回目飛びたいと言ったが、
俺は断ることにしたのだ。



Tはしょうがなく別の人間を探し、2人でタイへと飛びたったのだか。
話によると、ネタを仕入れバンコクに戻って、明日帰国と言う時に、路上で職質にうん悪く出くわし、
ヘロイン所持で2人共逮捕されてしまった。



2人共17年の刑を言い渡され、そのまま帰らぬ人となった。
2年頃した頃、Tが自殺したと言う訃報が入った。


バカな奴だ! 


ちなみに一緒にパクられた1人は、2008年くらいに、恩赦と金で帰ってきょった。
ヘロインをやりたいのなら、ヨーロッパ方面へ行こう、

アフガンのネタが大量に流れ込んでいるんで、そんなに高く無いと思う。
最後に、某国領事館のAはどうなったかと言うと、近麻のSにチクられて逮捕され、領事館はクビになりました。



To be conti---

2019/07/15

HAWAII LEMON Rd Apt is King of Kick in


1985年頃のハワイは今の
ハワイとどれだけ違うのか俺には
今のハワイがどんな感じなんか解らんので
なんとも言えんが、


俺が住んでいたカピオラニ公園近くにある
レモンロードと言う通りにある
Apt

俺はこのAptでパカとコーク、プーを売っていた
このアパートの凄いことは
アパート内で全てのドラッグが揃うこと

そう、あらゆるドラッグこのアパートで揃っていまうのだ

ヘロインだけはカピオラニ公園へ買いに行ってたが
それ以外は全て揃う


その噂が広がり
客もやってくるようになった


ストリートガールやプッシャーやミュージシャン

そして、数ヶ月が過ぎた頃
俺たちはギャングに襲われたが殺されはしなかったので
アパートを離れることなく
ギャングに数十ドル払うことで
商売を続けていたのだが

その数カ月後
イミグレーションがガサに入った、
俺はその時その場にいてなかったので難を逃れたが

友達数名が捕まってしまった。

そして俺達はそのアパートを去るしか選択肢が無かったので
必要に迫られ
アパートを後にした。

続く

2019/07/04

プッシャー スマッグラー IN New OSAKA④ 4 of 6(BU)04/19/2014


タイからスマッグラーしたヘロインとメタドン
保険でせしめた保険金を元に
俺は本格手にヘロインの密輸に手を染め出した。



その頃の関西圏ではヘロインの密輸に携わるグループが少なくとも
5つはあった。


神戸、東大阪、市内、北大阪

俺はその中から信用のおける2人とを組み3人で交代でタイに飛ぶと言うものだった。

密輸の手口はボディーパックキングである


30gのまゆ状のヘロインの塊を肛門の穴の中に押し込むと言うやり方で
合計5個、150gを詰めて持ち帰る方法と、

2gにパックしてあるボール状のヘロインを150個、300gを経口投入するというやり方だ。


大概は、150g止まりで3人で分け合う1人50g
飛んだ人間に1gにつき3万円渡すことになっている。

当時のヘロイン相場は1g、6万円だったので
3万で買ったヘロインを6万円~10万円で捌いていた。


これを3人交代でタイに飛ぶのだが、
サイクルとしては、1ヶ月に1回程度誰かが飛ばないと
ヘロインは回らなかった。


下手して飛ぶ時期がずれるとほかのグループから6万で買わないといけなくなるので
金銭的にきつくなるのは言うまでもない。


そこで、俺は経口で300g持ち帰ったがそれでも2-3ヶ月に1回は飛ぶ羽目になっていた



そんなある日だった、仲間内の1人が行く時期を見誤り、
俺に泣きつてきたのでしょうがなく俺は、16gのヘロインをそいつに貸したのだ
そいつは難を乗り越え無事にタイへと飛んだのだが、
帰りにバリ島に寄り帰ってくることになった。


当時、バリでもヘロインは重宝され売るところは幾らでもあった。
そいつはバカンスをかねバリでヘロインを売り
伊丹に戻ってくることになったのだが



到着当日、伊丹まで迎えに行った俺は信じられねい事態に遭遇する。
そいつが、いつまで経っても到着ロビーに現れないのだ。
3時間、4時間 これはタイムリミットだ
頭をよぎる、パクられたのだ。



その後、そいつの妹から連絡が入り空港でパクられた事が判明した。
大きく予定が狂ってしまった。


これからどうするか考えなければならなかった。
貸した16gは戻ってこない
俺の手持ちはもういくらもなかった。


最悪だ。


次なる手段を講じなければならない。
俺は途方にくれた。


To be continued

2019/07/03

プッシャー スマグラー NEW OSAKA③ 3 of 6 (BU01/27/2014)


気が付けば
俺はヘロインにどっかりとハマっていた。



Yの作戦にまんまと引っかかったのである。

それに付け加え、パキスタンをバックパックしていたツレが帰ってきた。
それも、ヘロイン300グラムと1キロのチョコを持って。
これも、俺がヘロインにハマる大きな要因となっていた、



仕事は順調なのだが、ヘロインに消費する金が毎日3万円いるよになっていた。
仕事しても追いつかない、



この頃、俺の回りはコカイン中心だったのが、覚せい剤に取って変わろうとしていた。
コークより効きも、時間も長い覚せい剤が流行りだしてきたのだ。



価格も安かったのが要因とも言える。

必然と俺も覚せい剤を買うようになった
ヘロインと覚せい剤代、これが俺の商売を圧迫し始めだした。



この時俺はヘロインの買い先を2箇所しか持っていなかったので
相手の言い値で買うことになる、比較しようがないのだから。

ヘロインと覚せい剤を2年も続けると
俺の商売はガタガタになってしまていた。



最悪な状態

自分の商売の仕入れ代もない状態でどうしようかと考えてるようで
頭の中は、ヘロインで一杯一杯だ。



そんな時、たまたま買った宝くじ、と言ってもレジャークジと言うもので、
1等が、30万円のクジに見事に当たってしまった。




臨時収入が入ったので、嫁はんとも相談して、
ヘロインを抜きにタイへ行くことにした。
と言っても、本当の理由はメタドンとヘロインを持ち帰るのがホントの理由だが、
回りの人間には、抜きに行くと言う事で通していた。
棚からぼた餅の30万

運気が回ってきたのか?

タイへ着くと、(ちなみにこの時タイへ行くのは初めてである)
その足で、クロントイにあるカルナピタックホスピタルへと向かった。



そして、そのまま入院することになる。
当然メタドン治療のための入院である。



病院は思ったより清潔で、何より看護婦の制服が何とも可愛いのだ。
下はタイトスカートで、色は、ピンクと紫の2種類ある
上は肩にぼんぼりの付いたこれまたタイトな制服だ
ミョーにセクシーなのだ。



部屋は嫁はんと2人部屋で、1泊500バーツだった、当時のレートで約1500円
ホテル並みの設備が整っていて、シャワーや応接セットまである
当然エアコンも完備している。



しかし、外出は禁止された、

理由はヘロインを買いに行くから、と言うもので、
すぐ近所の露店にいくにも許可が必要で、その点は不自由した。



今回はメタドンを貯めるのが目的なので、先生には症状を大げさに申告しておいた。
結果、朝、75cc、夜、75cc、昼(頓服として)35cc
の量が2人に出されることになった。



これは、半端なく多い量で、素面の人間が飲むと死ぬかも知れない量だった。
実際にヘロインを抜くのには、朝出される75ccの半分を飲み、
後は、2人で貯めて行った、37ccで十分シックもなくヘロインをストップすることができるのだ。



10日経った時1回目の請求書が来た、
なんと、2人で日本円にして10万程の請求が来て腰を抜かしそうになった
のを覚えている。



思ったより高かったので、退院して通院でメタドンをもらうことにした。
退院したのはいいが、10日間寝っぱなしだった俺たちは、
何のあてもなく、バンコクの街に放り出された。



いざ、街中を歩いてみるとフラフラで、それもそのはず
10日間の禁薬生活、本来なら歩くことすらままならない状態なのに
メタドンの力で何とか歩けてるという感じだ。



額からは汗が流れ、排気ガスは目にしみた。

適当なホテルにチェクインして荷物を置き、

俺達は、早速ヘロインを買いにカオサンロードまで船で向かった。
何故、船を使ったって、陸は自動車の停滞がひどくいつ着くとも知れないバスになんか
乗れないのだ。



船なら交通渋滞もないし、涼しいし、言うことなし。
今も存在する超有名なゲストハウス


VSゲストハウスでヘロインをゲットした。


ストローとボトルがあって、


ストローは400バーツ、ボトルは1gで1600バーツだったように思う。
当然ボトルをゲットして宿へと向かった。



久しぶりのヘロインに2人は歓喜しその夜はぶっ倒れるまでヘロインを吸った。
明日から2人で300ccのメタドンを貯めることができる。



残り11日間なので3ℓ以上のメタドンを手にすることになる。


この10日間で貯めた量が2ℓ近くあったので合計5ℓにもなる
これは、商売ができそうだ、当時大阪ではオロナミンC1本6万円で流通してるのだ。
この旅行にはもう1つの目的があった、



それは、海外旅行保険の携行品保険だ。

1人60万ずつ、計120万の保険に入っていった。
それで、ツーリストポリスに出向き、置き引きにあったと被害届を出して
日本で保険を使う事を告げると、タイ語を英訳した被害届の証明書を出してくれる


俺達は満額もらうために、ヤワラートにある金屋さんで買った金のアクセサリー
を全部取られたことにした、これだけで50万の損害だ。

後、70万分はブランドのバッグやカメラ電子機器など思いつくままに申告した。



香港のメタドン、コレはかなりよく効くし
値段も安く手に入れれる
コレを手に入れたのは
2010年の春




結果どうなったかは、後日お伝えすることにする。


ある日、夕方頃俺1人で屋台で飯を食っているとき、ガーナ人の
ラバーと言う奴と知り合いになった。



このラバー、よくよく話をしてみるとヘロインの
売人をしているという、

値段を聞いてみると1g、1000バーツだと言うではないか、

VSより600バーツも安い

それに、30gの値段を聞くと、日本円で7万で良いと言うこれは持って帰るしかないと
その時強く思った
運が回って来たかのような錯覚を起こしていたのに・・・



懐かしの赤ペン




2019/07/01

プッシャーの周りの奇怪な面々② (BU01/26/2014)


こうして俺はしょうがなく尿検査に応じたのだ。

それはイコール逮捕と言うことだ。

前回逮捕され執行猶予をもらっていた俺は、執行猶予期間は消費してたものの、
つい先日銃刀法違反でパクラレ罰金刑を受けている。



今回は懲役は免れないとこの時は思っていた。
科捜研の結果が出るまで帰らさせてくれたことは本当に
ラッキーだ。



2週間後位に警察から電話があった。

刑事「陽性出たから出頭してくれるか。」

俺「今、うちのオカンが癌で入院してるんで、もうちょっと待ってくれませんか?」

刑事「おーそうか、それは大変やな、いつ頃来れる?」

俺「来月には行きますわ」

刑事「わかった、何かあったら連絡くれるか?」

こんなやりとりだったように思う。



なんやかんやで俺は、6月に捕まり翌年の8月まで出頭しなかった。

どうしても、ヘロインがやめれないでいたのだ。


警察も迎えに来たらしいが、俺達は別の場所に逃げていたので
なんとか、難を逃れたのだった。



危ない危ない、入れ違いや。

闇雲に逃げていた訳ではなく、常時警察には連絡を入れていた。
そして、1年2ヶ月後に俺はヘロインを抜いて、出頭した

刑事に、やっと来たか、などとからかわれながら、
調べ室に入った。



協力的な刑事さん。

俺の担当刑事は、生活安全課の課長で、

開口一番、「執行猶予もらえるようにしたるから安心せえ」

と、言ってくれた。



ダブルになるけどもらえるんかいなと思いながら、その時は聞き流していた。

調べが始まり、ネタ元を聞かれたが
覚せい剤も、ヘロインも、草も、全部イラン人で通した。



課長のはからいで、最後に覚せい剤を打った場所の
引きあたりの時、

課長「わしら、あんまり遠くに行きたないから、適当な場所しとけよ」

と言うので、

適当に近くのコンビニの駐車場にした。


すると、「時間余ったわ。」と別の刑事が言うと

課長「飯でも食いに行くか」

デニーズへ連れて行ってくれた。



本当に面倒見のいい課長で、
調書は課長の言うまま巻いてもらった。



その結果、裁判ではダブル執行猶予という離れ業で
懲役2年6月の執行猶予4年、保護観察付きと言う
判決を受けた。



シャバの奴らは、ダブルで出てきた俺を犬扱いしよった。

まー思われてもしゃーないか、1年以上出頭伸ばして
挙げ句の果てに、ダブル執行もろてんもんな。



商売には影響することなかったのがせめてもの救いである。
この時留置書で俺が載乗っていたR33を盗んだと言う窃盗団のボスが捕まっており。
車に関しては、なんのお咎めもなかったのだ。


窃盗団のボスが自供調書を巻いてくれたのだ。
窃盗団のボスは、なかなか男前のええ男やった。

高額万びき団


化粧品や医薬品の高額なものを万引きして、買取屋に買い取ってもらうと言うシノギをしていた
グループがいた。



奴らは、買取屋から買取比率の書かれている資料を元に、
郊外や、百貨店などに入っている、大型薬局店をターゲットに
ホテルを転々として、へろいんや、覚せい剤を貪る生活をしていた。



万引きと馬鹿にしてはいけない、1日の上がりは、10万以上になるのだから。

ホテルに1.5万円、食事に1.5万円、ヘロインが7万円
毎日10万かかる、

男3人女3人の6人グループだ。



ヘロインの量もそれなりに必要なのだ、
奴らの狙うのは、高額な化粧品、や、アリナミンなどの高額なサプリ。
3チームに分かれて行動に入る。



時間は限られている、買取屋が午後7時が最終なのだ、
取引は、尼崎まで行かねばならない。



行く時間を入れれば6時には仕事を終わらさなければならない。
1チームのノルマは4万円
7時に買取が終わると俺に連絡が入る、注文だ
お得意さんなので、毎回配達してやる、今日はどこどこのホテル、
北が多かった。



ヘロインをゲットするとみんなで均等に分けるが、親分らしい男がその権利を持っている。


親分の一挙一動に全員の目が品物に集中する。

均等に分けるといっても、今のように、デジタル秤などなかったので
目分量で、分けるのだ。


1グラムのヘロインを6つの山に小分けする
どれも同じくらいに見えるが、選ぶ順番はジャンケンで決める。



勝ったもの順で選ぶのだが、みんな真剣である、俺にはどれでも一緒に見えるのだが
わずかな違いを感じ取り慎重に選んでいるのだ。


窃盗団の生活ぶりはすこぶる良いものに見えた。
ある事件が起こるまでは・・・


ある日、3チームある1チームが捕まったのである。

店側もアホではない、そう毎回毎回パクられていたら、対策を考えるもんだ。
2人は窃盗と覚せい剤で逮捕された、
ヘロインはその当時はパクられても検査しないのであった。



またしたとしても、代謝が早いので陽性になることは希であるからだ。
2人は初犯だったので執行猶予で出てきた。


そして、再び元のグループと合流したが、
その時には薬局を狙う万引きができなくなるほど厳しくなっていた。
収入の道を絶たれた窃盗団は金に詰まりだし、ヘロイン仲間を騙し、
金を横領し始めた、俺のところにも通達が来た、
姿を現したら連絡するように。



ある日、イラン人のところにボスが現れた、イラン人にも通達が行っていたので
ボスはじめ仲間みんなが、騙された連中に捕まり、
袋叩きに合うという事件が起きた。


最後は警察署の前に放り出されそのまま御用となってしまったのだ。
それ以降このグループの誰一人として見たことがない。
今日に至るまで。
以上

2019/06/30

プッシャーの周りの奇怪な面々 (BU01/26/2014)



プッシャー全盛期の頃
俺の周りにはまともな人間は一人としていなかった様に思う。
一番多かったのがドロボーで、
高額万引き犯、車上荒らし、車の窃盗団、窃盗団、置き引き犯、事務所荒らし、空き巣
数え上げたらきりがない。
皆、色々な事をしてシャブ、ヘロイン代を工面してやってくる。
空き巣犯のB、Bは空き巣に入った家で必ずうんこをして
腹ごしらえをすると言う。
Bは、現金しか狙わなかったので、助言してやった。
パソコンや、カメラカード類は買い取ったるから持ってこいやと。
クレジットカードは1万円で買い取った。
当時は使い道が色々とあった、
新しいカードは盗難から1-2日は買い物が出来た。
新幹線の回数券、目一杯まで買う。
そのあとは、限度額がなくなっても、トミヤマや千林商店街などでは買い物が出来た。
トミヤマでは必要もないのに靴をごっそりと買い、車でアメ村に持ってゆき
路上販売をした。
これが、よく売れるのだ、当時はスニーカーの収集が流行っていたので
1日に3-4万は売れた。
トミヤマ、千林に限界が来ると、次はコンビニである、
コンビニは当時はPOSのシステムも発達しておらず
1万以内では承認はなかったので、1万以内の買い物をてんこ盛り出来た。
コンビの次は、タクシーである今のように通信回線を使ったCatもなかったので
「ガッチャン」と言われる器具だけだったので、これも1万円以内
1万を超えると1度精算してもう1度切り直す作業をして乗り継げる。
運転手も承知の行為である、
どこに行くにもタクシー移動だ。
1度万博の遊園地にタクシーで乗り付け、遊んでいる間タクシーを待たせて
遊んだ経験がある。
また、タクシーでトミヤマ廻りをしたこともある。
あとは、ガソリンである、これも当時は盗難カード承知で入れてくれるスタンドがあったが
今、そんなことをしたら直ぐに捕まってしまう。
最後の最後にそのカードをタクシーカードとして1万円で売るのである。
1万円で仕入れたカードが何十倍にも、何百倍にもなるのである。
ドロボーはそれを知らないのと、足がつくのを恐れて使わないのだ。
車上荒らしのA
Aはやり手の車上荒らしだ。
狙いはキャッシュカードとクレジットカードで、
現金はおまけみたいなものである。
Aは、1ボックスカーで獲物を狙う、
カバンが置いてある車を見つけると所構わず、
緊急脱出用のハンマーで窓ガラスを叩き割る。
カバンをいただく、本の1分ほどの早業である。
1度Aの車上荒らしに付いていった事がある。
Aはキャッシュカードを発見し、医者の診察券にある生年月日を打ち込んだ、
ビンゴ
残高照会ができる。
残高は240万
3回に分けAはATMから現金を引き出す、
俺は運転していただけにもかかわらず、分け前70万手の上にした。
その日は、仕事は休業で、ミナミの南署の近所のホテルつの
スイートルームにチェックイン
ヘロインをしこたま買い俺はホテルに籠った。

2019/06/28

まだまだ浄化されない芸能界の“薬物汚染” (BU01/22/2014)



覚せい剤や大麻でこれまで芸能界から多くの逮捕者が出ているが、発売中の写真誌「フラッシュ」(光文社)が複数回にわたり、20代後半のギャル系モデルが覚せい剤を購入する現場を撮影した様子を掲載している。



 同誌によると、そのモデルは20代後半で、以前はギャル雑誌のモデルやラウンドガールをつとめていたという。彼女が薬物を常用しているという情報をもとに昨年12月に張り込んだところ、都内の駅前のコンビニで20代とみられるサラリーマン風の男と落ち合い、まるで恋人同士のように歩きながらわずか5分ほどで取引を終えたという。さらに、今月上旬まで複数回にわたり、同じ男から覚せい剤を購入していたという。



 詳しくは臨場感あふれる同誌のスクープ写真をご覧いただきたいが、芸能界の“薬物汚染”は相変わらずだというのだ。



 「つい最近も、急に事務所を辞めたあるモデルが激やせしていたことなどから、薬物使用疑惑がネット上で話題になった。『フラッシュ』が取引現場を押さえたモデルとは違うようだが。某有名ファッション誌なんかでも数年前に誌面から消えたモデルが大麻で逮捕されていたこともあった」(週刊誌記者)


 09年はすでに執行猶予期間を終えた酒井法子、別の事件で実刑判決を受けて服役中の押尾学受刑者が相次いで薬物事件で逮捕され芸能界を震撼させたが、相変わらず狙われている大物もいるという。



 「俳優・Xは数年前から当局に狙われているが、海外に行って薬物を楽しむことが多く、なかなか尻尾を出さない。そのうちボロが出ると思うのだが…」(同)


 芸能界にはいつまで経っても懲りない面々が多いようだ。





前回ぱくられた時も、芸能人の情報を欲しがってたな、
そう言えば。

芸能人捕まえると、ポイントが高いみたいだ。

俺らみたいな、コシャ捕まえてもしゃーないのに、
ポイント制度があるから、コシャでも何でも捕まえよるんやな、
警察は、
ホンマ、大した組織やで。

国民の皆さん、私は関係ない何か言うてられへんで、
あんたらも、交通違反で捕まったことあるやろ。

あれも、国家権力の横暴ややで、ちゃんと
知っとかないらん反則金払わなあかんねんからな。

ここでは載せへんけど、今度機会があったら、
反則金99.9%払わんでええ方法載せるから
楽しみにしといてちょうだい。

では、今日はこの辺で・・・

2019/06/27

プッシャー スマグラー NEW OSAKA② (BU 01/22/2014)


5グラムのヘロインは俺の人生を変えた。


Yが帰ってから毎日0.1gのヘロインを消費した
消費する度にヘロインの飛びは変わってゆく。
10日も立つ頃には少量のヘロインを取るだけではアッパーな効き方がして
躁状態になり、舌は饒舌になり、話がしたくてしょうがなくなる。
興奮状態である。

少し量が増えると、ダウナー状態になり体が動かなくなり、
何をするにも億劫で、鬱状態である。

そんな状態が1ヶ月半くらい続いた、

急なキックアウト、

症状は、インフルエンザと、腸炎と、自律神経麻痺とが同時に訪れたような感覚、
耐えられないほどではなかったが、


切れ目から2日目
不快な電子音で神経をかき乱される。

キリキリキリ、脳が痛む、

切れ目か、本当の病気なのか区別がつかない。


電子音の正体を探ると、電話だと言うことに気づく。
電子音を止めるため、脳のキリキリを止めるため、
電話の受話器をむしり取る。


そこには、Yの明るい声が響く、

「Dちゃん、調子はどう?」
俺「ん~、今一やねん」
Y「Dちゃん、プー買ってくれへん? g、3万でいいわ」
俺「しんどいから、持ってき来てーなぁー」
Y「わかった、今から行くは。」


これが、俺のヘロインの道まっしぐらのスタートだった






2019/06/13

プッシャーの性(BU01/19/2014)




何処で嗅ぎつけたのか、前の客から電話が鳴る
電話を取る

「今日どうしても欲しいねんけど、段取りでけへん」

「できるかい!!、今やめとんねん」

「ほんならどっか紹介してくれへんかな」

「あほか!知るかいな!」

ガッチャン
電話を切る。

こんな電話が何回となくかかってくる。

俺の虫もわくやないか


頼むからかけてこんといてくれ

今は、そっとしておいてくれ!

ドーパミンでナチュラルハイ