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2021/11/01

Meth ヘロイン in HAWAII プッシャー NG

Meth ヘロイン in HAWAII プッシャー NG 


ナショナルジオグラフィック

ドキュメント

2021/10



2021/03/16

2G Heroin JAPAN High Quality VIDEO {dooopindog 2008}

DATE: 12/06/2015 06:30:17


ヘロインをテレビとか映画、YouTubeとかで
見ているヘロインは茶色いものが
多いが

No4ヘロイン
(チャイナホワイト)
と、呼ばれる純度の非常に高いヘロインは
真っ白で、当たりも、飛びも
非常に上品である

この動画は映画でも、テレビでもなんでもない
中毒者の日常動画やな





2020/04/20

ドラッグ戦国時代生き残り南の島で余生を生きる


俺は現在インドネシアの小さな孤島で
余生を謳歌している

バリ島と違うで
!!


ここまでホンマに
良く生き残ったとつくづくそう思う

そしてインドネシと言う国は
とんでもなく適当な国で有ることも俺にとっては
申し分ないんやな

この島では
ジャカルタなどと違いまだまだ賄賂が効く
効く、効果満点

例えパクられても数十万で開放されてしまう
んやで


俺ら犯罪者にとっては天国の様な島や


今回のコロナ騒動でも3万にの
薬物犯罪者が開放された
刑務所内の蔓延を防止するための処置らしいが
街中は一挙に治安が激悪


政府はそんな事気にも止めていないのが
現在の現状である


現在他国からこの国への入国は中々難しいが
入れないことはない

俺はかれこれ
この島に3年住んでいる


えええ~!
どうやってぇ~~

金に決まってるやろ、金さえ出せば
どんなビザでも取れるのが
現状やで

後、2年で永住権が取れてしまう
大統領が変わっていらんことをせえへん限りやけどな


薬物を断ってかれこれ10年になるが

この間何回かスリップした事があるねんけど
とある実験をしたことがある

シャブ、1gを2日で食って
元の体調に


何日で戻るかを検証したことがある
それが、おおよそ1週間で戻る

それを10日間続けても、元に戻るのは
1週間である


ヘロインでも同じことを
試してみた

コレが結果はシャブとは違い遥かに早い
そう、3日以内には戻る

一ヶ月続けても
戻るのはほぼ3日間で戻る


コレは俺の年齢や個人差が十分に有ると思うが
薬物を断薬中は
この、3日_~1週間

非常に不愉快極まりない、そのままズッと行くなら
何の問題もないが


俺は治療中の身、
それが、元で今では全く薬物に手を出すことは無くなった

たまにキノコは食うが
誰でも
普通にキノコくらい食うやろ

20分別世界に・・・・


てな、感じで
俺は余生を送っている

ドラッグで困った事があれば是非連絡を頂きたい
俺には日本のネットワークがあるので


止める為の解決策は無数にあるから
気軽にメールを願うばかりです


皆んなも、ドブネズミの様に這い回るのもええが
余生は南国で暮らしたいやろ
アドバイスはいくらでも受けるので

是非、連絡を

ほな。

2020/04/11

コロナウイルス 人類への警鐘!!

今回、今年のイヤイヤ

去年から始まっているコロナウイルス問題


俺は以前からこのブログで
ある警鐘を鳴らしてたんやが、知っとるケ?

2018年人類は滅亡論
この滅亡は
種が絶たれる滅亡では無く
人類の今までのシステムの崩壊を意味すると言う
滅亡

で、あって
なにも、人類が消える訳ではないのじゃ

既に18年からスタートした地球規模の異常な現象に始まり
その流れからの今回の

コロナウイルス
となって来ている

このコロナウイルス100%人口ウイルスと言うのは
殆どの人が知ってるやろと思う

そして、本日までに変異、もしくは種類の違う
物が5種類確認されているもの
各種メディアで報道されているから
ご存知かと思うが

(その情報が迅雷で来ての話)

現在までの世界での感染者数
100万人超えています

死者

死亡した人は10万376人と、10万人を超えました。

コロナ、コロナ、コロナ、

日本の人はコロナのことで大騒ぎ
アホ丸出し
ノー天気に買い物、パチンコ通勤??

頭おかしいとか思えへんねんやね

俺の知り合いの医療関係者がFBで知る限りの情報を発信
しているが

本日現在で医療現場は崩壊するカウントダウンです
病院名は都内の超有名な大きな大学病院です

他の施設も既に崩壊しているかもしれない
状況を


呑気な日本国民は分かってるのんでしょうかね
??

医療法するとどうなるかを

病院がなくなる、もしくは行けないと言う
事実を

今まで普通に有って当たり前の病院全てが
行けない状態

わかる??

ボケボケの日本人ども!!


コロナ以外の病気や、怪我、事故、持病を持っている人
全ての事が起こっても
病院では見てくれない

さて、どうなる??


たかだか縫う程の怪我をした、病院行けない
縫えない、自力で治す、破傷風の予防注射受けれない

破傷風なりました、病院行けない
体に菌が回り死ぬ

又は切断、それも自分で
しかし、その後が大変

子供がアレルギーの発作を起こしました
救急車を呼びます、
当然来てくれません、来てくれたとしても
受入れてくれる病院がありません

子供はアナフィラキシーショックで死にました


次に火葬場

毎日の死者の数は半端ないモノになります
病院には置いておけない
家と言っても、火葬場もフル稼働しても追いつかない

貴方の大切な人はビニールバッグに入れラテ
仮設の死体置き場に置きっぱなし、


アメリカの様に保冷車を用意してくれれば
保冷車で保管できるが
余りにもの死体の数に間に合わず

野外テントで保管、これから気温が上がって来るので
死体は防腐処理されるが
当たりは異様な匂いに包まれる

これは、現にアメリカや、イタリア、スペインで既に
起こっていることなので

日本だけは、私だけは大丈夫??

あんたらはアホか、狂人としか言いようがない

このウイルスで俺は数千万人が死ぬとみている
俺もその例外ではない
と言うておく


そして、もう一つ考える事がある

いつまで続くのか?

それは、明確にはワクチン、治療薬ができれば良いが
俺が思うにこのウイルスは
暑さや、湿気には関係なく増殖している

データを見ればそう出ている


と言う事は
少なくとも来年の一杯は間違えなく続く
都市部では落ち着いているやろが

アフリカや南半球、南米

そして、その次には変異型が現れ、さらなる、薬や
ワクチンを開発しなければならない

このウイルスは
人類の選別のためのウイルスで
人類の数を極端に減らし選別し、新たなシステムに対応するよう
開発されとしか俺には思えない

選別された人は何処にいくのか

トランスヒューマノイド
と、言う言葉をご存じか?

調べて自分でどうなるかを判断して欲しい
俺が、判断できる問題ではない

日本はココまでの危機的状況に来ているのに
未だゴチャゴチャやっている

俺は海外に居てそれを見ていて
日本はもう終わったなと痛烈の感情を抱いてしまう
のは、


ここの読者なら十分理解出来やろ

いやいや、ポン中には無理かな
明日のネタ、今日のネタの為に走り回ってると思う

俺が昔しそうやった様に
完全に世間の蚊帳の外に居てるからな

外室自粛要請でおそらく職質が
めちゃくちゃ多くなるはずなんで

くれぐれもヤク中諸君は頑張ってくれ

一般市民はそお言う訳なんで
医療崩壊への絶対のさせてはダメだとの認識をもうべきである


長なってしもた
朝から白熱や、しんど、タバコでもすうは
ほな、


2020/04/06

コロナで揺れる、ヘロイン、覚せい剤市場

俺は現在インドネシアに居るので
日本の状況を、現役の友達に聞いてみたが

まずぞの前に現地の情報を少し書く

ココではヘロイン、覚せい剤共価格の高尚してるものの
手に入らないことはない

しかし、俺は別に今は欲しいとも思わんし
ココの質の悪さには、参ったするから手は出すはずもない



では
日本の状況うだが覚せい剤については
価格が若干上がった様だが
供給薄になってる訳では無さそうである
現在、国内のストックは十分確保されている模様で
しばらくは無くなったり、ストップすることはないとの情報
である


ヘロインについては
国内では既にストップしている状況で
各グループ内での供給しかなくなり
それが外部の人間にまで
販売されることは

完全にストップしてる

グループ外のヘロイン中毒者にとっては死活問題である
こんな時は普段なら簡単に香港やタイに
買いに出かけれたが
今回はそお言う訳にはいかず


キツイ切れ目を現在も味わっている
患者が多いらしい


今回の日本の情報はあくまでも
人からの伝聞で
俺が肌で感じた実感ではないのでどこまでが
本当なのかは定かではないが


今回のコロナ騒動で

覚せい剤の価格も上昇し
ヘロインは市場からなくなるのは
もはや、時間の問題であろうと俺は思う

この様な状況を俺の時代には化現したことがないので
なんとも言えないが

グループ、コミュニティ内での
ヘロインは確保されて居ると
俺は、思う

地方の状況がわからんので
コメントや、メールで知らせてくれたら
俺が、代弁してこのブログで伝えて行くので
宜しく

ほな、

2020/03/06

मी komori वकील कार्यालय ईमेल आला (BU)


[この手記を読む方に]
ここに紹介するのは、覚せい剤による幻聴に追い詰められ、鉄道に飛び込んでしまった、ある人の手記です。
彼は当初、生き延びてしまったことをうらみ続けたそうです。しかし今、彼は、車椅子の生活のなかで、さまざまな後遺障害と闘いながら、将来を必死で模索しています。
これからの人生を前向きに生きるために、苦しみながら、この手記を記しました。
語れないほど重い体験をことばにするのに、長い時間がかかりました。それは、書くことで、忘れたいあの日を繰り返して経験するという、過酷な作業でした。
覚せい剤は危険な薬物です。しかし、乱用者の大半は、手記の筆者のような体験をすることなく、乱用から離れているのが現状です。また、覚せい剤による幻覚・幻聴の内容は人によって様々で、手記の筆者のように恐ろしい体験をするひとは、むしろ稀だと思います。
この手記から「覚せい剤を使うと、こんなに恐ろしいことが起きる」という、メッセージだけを受け取るのは、早合点だと思います。彼の悲劇には、多くの要因が関係しているはずです。引き金をひいたのが、覚せい剤によってもたらされた幻聴だったのでしょうか。
2004年3月
source元
KoMoRi弁護士
---______________________________________---
<b>友達に突然「覚せい剤やってみない?」と言われたら、普通なら断るはずです。中には、「一度くらいなら大丈夫だろう」と手を出す人もいるかも知れませんが。
私が覚せい剤を使用した、最初のきっかけからお話したいと思います。</b>
私が24歳頃の出来事です。
私は風邪を引き、寝込んでいたところに、近所に住む友達が遊びに来たのですが、熱も有り、咳も止まらないので、とてもじゃないけど遊びになど行けないと伝えると、その友達は、「すぐ治る薬が有るから今持って来てやるよ!」 と、透明な液体の入った一本の注射器を持ってきました。
私は、不審に思い
「お前それなんだよ?」と聞くと、
「解熱剤だよ!何の心配もないって!俺の女房が、病院から持って来た物だから大丈夫だよ!」と言われ、そういえば友達の奥さんは、病院の、しかも、内科の看護婦さんをしていたことを思い出し、言われるままに自分の腕を出していたのです。
友達は、私の腕に注射し終わると、
「本当は、静脈注射といって、血管に注射するのが一番早く効くのだけれどプロじゃないと出来ないから筋肉注射が無難なんだって。10分もすれば十分効果が出るから大丈夫だよ!」
などと、もっともらしい事を言い、
待つ事10分もしなかったと思います。
咳も止まり、妙に身体が楽になり始め、何とも言えない爽快感を味わい始めていたのです。
その時の気分は、今でも鮮明に覚えています。ひとことでは、言い表すことが出来ないほどの爽快感を覚えていたのです。咳き込んでいたのが、信じられないほどピタリと止まり、気怠くてしょうがなかった身体も不思議なくらい軽くなり、元々テンションの高い私では有りましたが、更にテンションが高くなり、何故か一晩中起きていながらも次の日は、仕事に行くことが出来ていただけでなく、その日の晩も、疲れを忘れたかの様に、遊び歩いていたのです。
それから1週間くらいたった頃だったと思います。その友達が、また薬を持って遊びに来たのです。その時の私は、さすがに不審感を抱き、「おまえ、それ一体何だよ!俺の納得できる説明してくれよ!」と、問い質し、その時初めて私が使用した薬物が、「覚せい剤」であることを知ったのです。
友達に、「別に副作用とか、禁断症状が出るものではないし、俺もここ数ヶ月使用しているけど何でもないよ!見ていて分かるだろ。」等と言われ、友達の言うように、禁断症状も無く、確かに気分爽快になったことも間違いの無いことで、納得してしまいました。
その当時の私は、「覚せい剤」というものは、薬が切れると禁断症状が出たりする、恐ろしいものだと思っていたので、実際使用してみて「何でもないではないか!」と、思うと同時に「覚せい剤を、静脈注射したらどんな気分になるのだろう?」等と興味を持ち始めてしまったのです。
「覚せい剤」と知りながら使用した2度目は、静脈注射。
それは、私にとって衝撃的なものでした。2度目の使用から、3度目と、使用することになるまでは、2週間もかかりませんでした。始めの頃は、1ヵ月に2~3回程度のものでしたが、それがやがて、遊びの感覚で、使用する回数が増えていったのです。
使用をためらう気持ちなど、全く有りませんでした。覚せい剤は、ただで手元に入ってくるし、仕事がおろそかになったり、体調を崩すなど、薬の悪影響はほとんどありません。「やめようと思えば何時でもやめれる。」と思う気持ちのほうが、強かったのです。
しかし、いくらただで覚せい剤が、手に入れられるからと言って、あまり頻繁に持ってきてもらう事には、多少のためらいは、有りました。
何故なら、依存していると、思われたくなかったからです。
当時の私は、「依存」ということも良く知らず、「たかがクスリを止められないなんて、弱いやつだ」という意識があったので、私がクスリに頼っているように思われるのは心外で、他人に、あまり弱みを、見せたくなかったのです。ですから、「風邪を、ひいた」とか、「歯が、痛い」等と、口実を作っては、「覚せい剤」を持ってこさせ使用していたのです。
1年ほどたった頃には、覚せい剤だけではなく、あらゆる薬物に興味を抱くようになっていました。薬物なら何でもかんでも試して、過ごした時期でした。
私が使用した薬物の中には、ことばにならないほどの、戦慄を覚えるものも数多く有りました。そういった薬物は身の回りから遠ざけ、自分の感覚で「これなら大丈夫」と思うものを、いつも手元に置いておくという、生活を送っていたのです。
所持していた薬物は、「非合法」なもの、「合法」とされているもの、様々でしたが、その頃の私は、異様なまでに薬物に対して執着していたのです。
そんな生活を、送っているのですから当然の事ながら私生活も少しずつ乱れ始め、物事の考え方も乱れ始めていたのです。まず、私が「覚せい剤」を使用して、初めて不安な気持ちになった時のことを、お話しておきます。
それは、思うように身体が動かなくなってしまったのです。
元々、私は機能障害を抱えていた事も有ったのですが、そんな身体なのに薬物を、乱用していた訳ですから当然の事なのです。しかし、その当時には、体調が悪ければ覚せい剤を使用することで、「何とかなるだろう!」等と思ったりもしていたのです。
その頃から、週に、2~3度使用する様になっていました。
1日に、2~3回使用する事も有りました。使用方法は、直接血管に注射する「静脈注射」ですが、そのような方法で覚せい剤を、乱用することに対して私の身体は、正直でした。今まですんなり血管に注射できていたのに、思うように血管に入っていかなくなっていたのです。
正直言って、不安でした。
 「このまま使用し続けて、本当に大丈夫なのか!」
 「以前のように、1か月くらいは、インターバルをとったほうが良いのでは?」
等と自問自答する日々が、続いていました。
しかし、薬をやることにためらいを感じるのではなく、薬を止めることに躊躇を感じるようになっていたのです。
何故なら、急に止めたらどうなるか想像する事が出来なかったからです。
そこで、私は、「急にではなく、徐々に回数を、減らして行けば大丈夫だろう。使用する回数が多いから身体に負担がかかるのだから」等と思い、薬と決別することを考えず、回数を減らすことだけを考え使用しつづけていたのです。
<b>
気が付いた時には、周りには、暴力団、いわゆる「ヤクザ」との付き合いが多くなっていました。私に覚せい剤を教えてくれたのもそのうちの一人でした。</b>
当時の私は、昼と夜の顔を持つ、生活を、送っていました。
昼は、正業に就く一般の社会人として。
夜は、今の言葉で言うと「企業舎弟」です。
薬物の売人こそやってはいませんでしたが、それはもう好き勝手に遊び歩き、その遊び歩く為なら、人のやれないことも、やらないことも、金の為なら何でもやっていたのです。
私が薬物を使用していることを知っていたのは、ごく一部の人だけでした。私に覚せい剤を届けてくる仲間にも、私が乱用していることを、固く口止めしていたのです。何故なら、薬物の乱用者と、思われる事が、自分のプライドが許さなかったのです。
仲間内が集まる席や、仕事場に置いては、細心の注意を払い、行動していました。
当時の私は、物事全てが、自分中心でなければ気がすまなくなっていました。
「人前に出る時だけ、きちんとしていれば何の問題もない。」と、本当に身勝手な生活を、送り続けていたのです。物事全てに対する考え方が、確実に狂い始めていました。
いくら若いと言っても体力にも限界は、有ります。全てが思うように事が運ぶわけが有りません。外で、人に会うときや、仕事の時には、普通にしていられたのですが、家に帰ればその生活たるもの、目に余るくらいの堕落した日々が続いていたのです。
確実に狂い始めていたのが、自分が一人になったときです。
それは、家族の前であったりするわけですが、私にとっては、唯一、気を使わなくてもいい場所が、一人で遊び歩いているときか、自宅に戻り、一人で部屋にいるときなのです。そんな私の生活は、家族の前では、別人のような生活を、送っていました。いわゆる「シャブよれ」です。薬物の乱用により普通の生活が、送れなくなっていたのです。
人一倍、猜疑心も強くなり、親や、兄弟に対しても、事ある度に反発し、何が「正義」で、何が「悪」なのか、現実を見極めることが出来なくなっていたのです。
<b>
乱用者の中には、おかしな行動をする者もいました。誰が聞いても理解することの出来ない発言や、不可解な行動をする者など、その内容は様々ですが、そういった仲間達には、幾つかの共通点が有りました。</b>
その共通点とは、誰が聞いても「嘘」だと分かる話を、真顔で延々と話し続けたり、待ち合わせの時間に必ずと言っていい程遅れて来たりするのです。
薬物を使用している事がばれたりすれば、手痛い制裁を受けなければならない者も仲間の中には、いましたし、放って置けば自分達の首を、自分達で締める事にもなり兼ねないので、仲間内で制裁を、加える事もしばしば有りました。
しかし、私の場合は、公の場で失敗したり、仲間に咎められる事無く行動していたので、当然の事ながら「自分だけは、他の連中とは、違う!」と思い込んでいました。
薬物を乱用するようになって、約2年程過ぎた頃だと思います。
「特別な自分」を、作り上げていた私にも、心の片隅には、多少の「罪悪感」は、有りました。
付き合いのある仲間達の堕落した姿や、信用を無くして行く姿を見て
「やはり私自身このままでは、本当にまずいことになってしまうのでは?」と、一時期本当に悩んだことも有ります。
その為に何をしたかと言うと、よく新聞などに載る「人生相談」のようなものなどに電話をかけて、私自身のこととは言えないので、「友達が、覚せい剤に手を出し、困ってるけれど、どうしたら良いですか」等と何か所も電話をかけたことが有ります。その時の私は、「ボランティアで、本気で相談に乗ってくれるところなどあるわけなど無い!まあ、自分なりにセーブしながらコンデションを整え、行動して行く他に道はないのだろう」と、結局は、薬物に手を出す事を止めず、堕落して行く日々が続いていったのです。 
しかしそんな自已中心の私をほっておくほど、世の中、決して甘くは、有りませんでした。体調を崩し寝込んでいたところに、8人ほどの警察官が、家宅捜査令状を持って、自宅に押しかけてきたのです。警察官に乗り込まれたときは、余りにも突然だったので、一体自分の身の上に何が起きたのか、状況を把握することが出来ず、組織のトラブルに巻き込まれたものと勘違いしてしまい、反射的に襲いかかる始末で、8人掛かりで押さえつけられ、その時はじめて相手が警察官であることを知りました。
普通なら拘留された時点で、反省するものなのでしょうが、「天上天下唯我独尊」と、自分自身の中に、本当にふざけた大義名分を作り上げ、全く反省することなど無く、「誰が、何の目的で警察に通報したのか?」等と私を陥れたものへの復讐ばかりを考え、日々の生活を送っていたのです。
言葉を置き換えて言うならば、「後悔」だけの生活で、そこには、何の学習も、本当の意味での向上心もなかったのだと今にして思っていますが、その当時の私は、刑務所で生活することだけが私に与えられた償いなのだと思い、過ごしていたのです。
当時の私の思いは、「俺を警察に突き出したのは、赤の他人ではなく実の親じゃないか!通報する前に何故自分に問いかけてはくれなかったのか?何故俺のことを赤の他人に話したりするんだ!」そんな思いが完全に自分の心を支配していたのです。
そんな気持ちを持って生活しているのですから、私自身の行動は、徹底していました。
一言で言うなれば、「家庭崩壊」です。
刑期を無事終えて出所して待ち構えていたのは、自分が想像していた世界とは、まるで別ものでした。そこには「犯罪者」としてみられている自分が、現実のものとして立ちはだかっていたのです。
出所したとき、私は、薬物に手を出す事無く真面目に生きてみようと思っていました。ところが、何をするにつけても過去の話を持ち出し、何も事件を起こしてもいないのに、警察官がまるで様子を伺うかの様に突然訪ねてきたりなど、私にとっては、本当に息苦しい日々を送っていたのです。そんな生活がだんだんと嫌になり、反省などと言う思いは完全に消えていったのです。
周囲の冷ややかな目線や、親への反発心が募り全てを捨てて「復讐」と言うことだけを考え始めていたのです。その思いを行動に移すまでには、それほど時間は、掛かりませんでした。自分の身を信頼できる組織に身を置き、後の事は自分やりたいように思うがままと、生活する様になっていたのです。
それでも、薬物には手を出す事無く生活を送っていました。
正直言って、何度も手を出しそうになったことも有りますが、薬物で失敗した後ですし、それ以上に、ひとりの女性との出会いが有ったからです。
私と同じような境遇の者に出会うことも、しばしば有りました。しかし、薬物と縁を切ることが出来ず、潰れていく者が多く、そんな連中を目の当りにして、やはり、薬物に手を出せば自分も同じ道をたどることになるのだろうし、組織に身を置いてる以上薬物に手を出す事は、自分で自分の首を自ら絞める事になる事を把握していたので、断ち切っていました。
正直に言えば、手を出しそうになったことは、何度もありましたが、誘惑を乗り越えることができたのは、自分自身に、守るものが出来ていたことが一番の理由だったのです。私にとって守らなければならない物とは、組織であり、自分のすさんでいく心に安らぎを与えてくれる女性であったのです。
しかし薬物には手を出すことなく過ごしていても、悪行の数々を積み重ね生活しているわけですから、本当の意味で安らげる生活など、まともに送れる訳がありません。再び厚いコンクリートの壁に包まれた中での生活を余儀なくされたのです。
最愛の妻との離別を選ばなければならなかった、自分自身の不甲斐なさ。そして、その道を選び歩き続けて行くことに戸惑いを感じながらも、あえて「全ては自分自身が覚悟を決めてきた事」と自分自身に言い聞かせ、反省も後悔もする事無く収容生活を送り、そして再び出所後、組織に身を置く生活が始まっていたのです。
当然ですが、組織に身を置くものとして誰もが思うことなのですが、大金を手に入れそしてその組織の頂点に上り詰めたいと野心を持ち歩き続けるものが多いのですから、生存競争もそれは激しいものなのです。私もそのうちの一人では有りましたし、それなりに自負も有ったのです。
ですが、どうしても譲れないことが有り、このまま組織に身を置いていたら統率が取れなくなってしまう事になる状況になると思い、正直後ろ髪を引かれるような思いでしたが、組織から抜けることを決意したのです。
自分が今まで歩き続けた道を否定しなければならない現実と、何もかも失ってしまった事を思うと、本当にやりきれない、そして、憤りを感じる毎日がしばらくの間続いたのですが、これからは本当の意味で真面目に生き抜いてみようと、決意し就職先を探し、働き始めていたのです。
不思議なもので、正業に就き働くと言う事が、ものすごく新鮮に感じたものでした。収入は、本当にたいしたことはなかったのですが、ごく普通の暮らしが案外、一番幸せなのかも知れないと、過去の自分とを照らし合わせ初めて「後悔」ではなく「反省」と言う気持ちを持ち始めていたのです。
正業に就き、これからが大事な時期だと自分自身に言い聞かせながら過ごし、少しずつ生活も落ち着き始めた頃です。私にとって転機が訪れたのです。
知人が「今の仕事を止めて一緒に仕事をしないか!」と声をかけてくれたのです。
その知人は唯一本当に信用できる人で、私が組織から抜けて正業に就き、働いていることを知り、私を信用し声をかけてくれたのです。
その知人のもとで働き初めて、半月ほど過ぎた頃です。
私は、いっしょに働く同僚の住まいの一室を間借りして、生活をしていました。
仕事を終え帰宅すると、その同僚の様子が、何時もと明らかに違うのです。その時私の脳裏をかすめたのは「覚せい剤」でした。
私を仕事に誘ってくれた知人は、元々は組織に身を置いていた事が有り、人望も厚く絶対に薬物には手を出すことの無い人でした。その部下が覚せい剤を使うことなどあり得ない、自分の勘違いであってほしいと思っていたのですが、間もなく、その同僚が私の予想通り薬物を乱用していることが明白になってきました。
ですが私も居侯の身、その同僚にも義理が有るのです。私を信用し、仕事をさせてくれている上司にも打ち明けることもできず、何時しか板挟みの生活を送っていたのです。
その月の給料日のことです。。帰宅すると、同僚の友達が遊びに来ており、何やら覚せい剤を買いに行く相談をしているのです。そして私に対し「たまには一緒にやりませんか?久しぶりでしょ!」と声をかけてきました。
正直ものすごく複雑な気持ちでした。ですが、心の片隅で声をかけてくれるのを待っていたのだと思います。長いこと封印していたものが、その同僚の一言で弾け飛んでしまったのです。
ためらいながらも、誘惑に負けてしまっていました。
覚せい剤を使用したとき、憤れない仕事で疲れきっていた身体も楽になり、遊び歩いていた頃の自分が妙に懐かしく思いだし始めていたのです。
しかし、その反面「裏切ってしまった」と言う罪悪感と、初めて味わう違和感のようなものを感じたのですが、久しぶりに手を出してしまったと言うことも有り、違和感についてはさほど気に止めることもなく、罪悪感を抱きながらも覚せい剤の魔力に取り付かれてしまっていたのです。
しかし、再び覚せい剤に手を出してしまった自分の意志の弱さと、私を信じてくれている者への裏切りと言う思いが、こみあげてきました。
「これじゃ俺は、まるで張り子の虎じゃないか!」と心の中で眩いていたのです。
裏切ってしまったという気持ちと、薬物に再びおぼれていく自分。自分の潜在意識の中で罪悪感と自分自身のふがいなさが入り混じって、複雑な環境を作り出していたのかも知れません。
初めは、隣で同じように覚せい剤を使用している同僚の声とばかり想っていました。
自分のペースで生活を送ることが出来ないものでしたから、同僚をのこしたまま、自分は部屋を出て遊びに出かけたのです。
久しぶりに味わう爽快感と裏腹に、何か何時もと違う感覚に捕らわれながらも、
気のせいだと言い聞かせながら、歩き慣れた町の中を遊び歩いていたのです。
誰かに尾行されているような気がしたのは覚せい剤を使用して1週間位経ってからのことでした。
もっと詳しく言えば尾行というより、監視されていると言ったほうが、良いかも知れません。
自分が起こす行動全てを誰かが見ていて、報告する声が聞こえ始めたのです。
初めは自分の部屋の中でその現象が起きました。
聞こえるか聞こえないか本当に小さい声が、聞こえ始めたのです。
最初は、同僚の友人でも来て話をしているのかと思っていましたが、聞き耳をたてて見るとどうやら、自分のことを言っている様に聞こえたのです。しかもその話し声は聞き覚えの無いものでした。
どこかにカメラがしかけてあるのか?それとも、盗聴器が仕掛けてでも有るのか?
何故こんな思いをしなくてはならないのか、自分自身に問いかけながらこのところまともに睡眠を取っていないから仕方がないのか?
自分自身に言い問いかけてていました。
しかし、その声は自分をあざ笑うかのように激しさを増していったのです。
覚せい剤を使用していたならまだ、これは幻聴であるとか思える自分がそこにいたかもしれません。ですが、最後に打った覚せい剤から1週間以上もたっていたのです。
自分を見失いつつ有りました。相談は出来ないし、一人で悩みくるしみました。
現実なのかそれとも覚せい剤の後遺症なのか?
自問自答しながら、日々の生活を送っていました。
同僚はまだ薬を持っている!思い切ってもう一度薬を手にしてみようかとも思いました。
しかし、ここで完全に冷静さを失ったらどうなってしまうのか?考えただけでも恐怖感を覚えていたのです。今までにも完全におかしくなった人達や、仲間を嫌になるほど見てきていたものですから、ここは一旦仕事を休んで身体を休めてみようなどと後先のことを考えず、部屋を飛び出していたのです。
自分の気のせいであって欲しい!そう願いながら部屋を飛び出しサウナに行ったり映画を見たり、お酒を飲んだりと、気分転換に徹底したのです。
何故か人ごみの中にいると、尾行されている感じが全然しないのです。
唯の気のせいなのか?仕事を休んで遊び歩いていたら、そう思えるようになって来ました。
だが、無断欠勤をしている訳ですから、部屋に帰るわけにも行かず、ホテルやサウナで寝泊りするようになっていたのです。
お金は持っていましたので、生活は大丈夫ではありましたが、一人になるとまた、何処からともなく不思議な声がしはじめたのです。
今度ばかりは幻聴ではない。誰が、何の目的で・・・?そればかりを考え始めていました。
姿なき相手、顔でも素性でも分かればいくらでも話を付けることは簡単だと思っていましたが、声だけの相手に成す術はなく、どうしたら、この尾行から逃れることが出来るのか?色々な方法を考えながら、聞こえてくる声には決して答えたりせず、聴こえていない振りをしていました。
今にしてみれば馬鹿なことをしたなーと思うのですが、ある大学の教授に電話をかけ、衛星を使って人間一人を見張るとすれば何処まで探すことが出来るのか?などと、真剣に聞たり、
知り合いの探偵事務所に電話をかけ、自分のこととは言わず、尾行をされたときの回避の仕方等も聞いたことも有ります。
実際問題、衛星を使えば、地下であっても相手が何の防御もしなければ、見張っている事は可能であると聞かされました。但し、それこそ、莫大な資金がかかるとも言われましたが、コンピュータの発達した今、幾らでも人を追跡することくらいある程度の知識と専門家がやろうと思えば出来るんじゃないか?等とその時は自分自身を完全に見失っていたのです。
ひょっとしたら、自分の知らない間に、無線機がしかけられているのでは?
そう思ったときには、持っているもの全て処分してしまっていました。
持ち物の中には、今の生活では買えない様な時計やら、MDプレーヤ等もありました。
唯一持っていたのは財布と携帯電話だけでした。
着替えの洋服も、全部新しいものに換えましたし、一応、護身用としてサバイバルナイフまで購入して、一歩間違えば殺人事件まで起こしかねない状態でした。
どうすれば良いのか自分では判断できない.
本当に今だから言える事ですが、危ない状態のとき携帯に電話が入ったのです。
相手は自分を雇ってくれた、信頼置ける人からの電話でした。
私は躊躇う事無く、正直に今までの経緯を話し、一旦その人のもとへと出向いたのです。
いずれにせよ、信用で働かせてもらったのですから、けじめは自分で付けるしかないと思いながら、
電車に乗り約束の場所へ向かいました。待ち合わせの場所で、今までの不義理を謝り、経緯を話すと、今のままでは仕事にもならないだろうと、安定剤を貰い、実家に帰ることを勧められました。
しかし、実家では、当然の事ながら良い顔はせず、今更帰って来たところでと、ののしられるばかりで、落ち着くこともできず、翌日には家を飛び出していました。
不思議なことに、家を飛び出し、サウナの仮眠室で寝泊りして2日後には、貰った薬が効いたのか、理由ははっきりとしませんが、ぴたりと人の声が止まったのです。
あの声は一体何だったのだろう?
本当にもう聴こえてくることはないのだろうか。
その日のうちに、半端なことをする私の面倒を見てくれた人のところへ顔を出しました。
本来なら恥ずかしくて顔など出せるような物ではないのですが、けじめだけはつけておきたくて仕事場まで出向いたのです。
謝ってすむ問題じゃないのですが、恩人は今一度私にチャンスをくれました。
正直、不安と言う言葉の中に身を置きながら、翌日から朝5時におきては、現場通いの生活を始めました!
家族も、本当にやり直す気が有るならば態度で示せ、といってくれたのです。
過去を振り返れば、身体が悲鳴を上げるような仕事もしてきたし、それに似た状況はいくらでも有りましたから、仕事を続けていくことに苦痛を感じる事無く、働いていました。
これで、本当の意味で更生出来る!そんな風にも感じていたのです。
しかし、待ち受けていたのは、想像を超えた悪夢のような現実でした。
再び、聞こえてこないはずの声がはっきりと耳元できこえはじめていたのです。
その時はもう、自分を完全に忘れ、その声に答えていました。
「俺に付きまとう目的は、一体何だ?」
まるで待っていたかのように、得体の知れないその声は、様々な事を要求してきたりしました。
当然の事ながら、自分を働かせてくれている恩人にも、その事を話し、相談もしました。
警察に出頭して、しばらくの間刑務所で頭を冷やしてくるか、
それとも本当に頭が狂ってしまったのか調べて貰う為に病院へ行ってみるか?そんなことも考えました。
しかし、恩人は、警察にもいく必要はないし、多少のことなら仕事をしながら頑張ってみなよと、言ってくれました。
これもすべて己との戦いと信じ、そんな状態で、一ヶ月近く働いていました。
自責の念に駆られたことも有るのか、毎日毎日、同じ声が自分のしてきたことを責め続けるのです。
前を向いて襟をただし、正直に歩いていこうとすればするほど、その声はひどくなりました。
何故声に踊らされてしまったのか?
声の要求に従って行動すると、必ず、声が指摘したとおりのことが、起きたからなのです。
さらに、自分の行動が全て読まれているように、偶然とは思えないような出来事が、次から次へと起きたからなのです。
ある日ついに、私はその声と勝負を付けるしかない、と考えるようになっていました。
その声に責められ、追い詰められ、決着を付けるには、自分で自分の命を絶つしかないと思えたのです。
死んで花見は咲かぬものの、もはや他に道はない、そんな思いでした。
仕事に行く日の朝、私は家族に対し、
今まで本当に迷惑をかけて申し訳なかったとだけ書き残し、
止る事のない急行電車に飛び込んだのです。
線路の中央で、まるでスローモーションのビデオでも見ているかのように、電車に弾かれました。
その後は意識を失い、自分が今どうなっているのかさえ分からない状態でした。それはほんの数分だったのでしょうか。
やがて、「まだ生きてるぞ」と言った人の声が聞こえ、
体中に激痛が走り、
声をあげることも出来ず、うめいていたのを今でも、覚えています。
死ねなかった!
このまま、生き抜いてしまうのでは?
激痛のなかで、こうなってしまった以上、身元を隠して、最後まで黙って通すしかない、などと考えていました。
警官が来て、
「誰かに押されたのか?」などと、色んな質問をされ、
病院に運ばれ、
「しっかりしてください」と看護婦さんに声をかけられ、
しかし私は、全てに答えず、ただただ沈黙をつらぬいていました。
身体中に走る痛み、
今、この身体は、どんな状態なんだろう?
このまま生き抜いてしまうのか
それとも、後わずかの命なのか?
手術が終わり、主治医から
「もう大丈夫。でも、両脚の切断だから、しばらくは絶対安静にしてください」
といわれたのは、ぼんやりとわかりました。
リョウ アシ セツダン 
何だろう どうなっているんだろう
その後、意識がはっきりとし、冷静に戻るまでは約一月半の時間がかかりました。
これが、私の経験した、覚せい剤による悪夢のような体験です。
「夢であって欲しい!」、何度も何度も心の中で呟いていました。しかし、両足切断という状況は、否応なしに認めなければならない現実だったのです。意識が戻って、治療も順調に進み、これからの事を考えて行かなければならない自分が、重くのしかかって来るのです。
逃げ出したくても逃げ出せない自分。これから何を頼りに何を目標に生きていけば良いのか?どうしようもない寂しさと不安の中に、身動きもとれずたった一人で苦しみました。
一ヶ月以上も寝たままで、ついていた筈の筋肉も落ち、手すりにつかまり身を起こすことも出来ず、車椅子に乗り移ることすら出来ない状態でした。体力が完全になくなり、毎日のリハビリに行くことすらきつい物でした。その上、悪いことが重なるもので、肩が上がらなくなり、エレベーターのボタンすら押せなくなっていたのです。
何度も何度も、死にたいと思うことが有りました。このまま生き恥をかいて生きて行くのなら、本当に死んでしまったほうがどんなに楽か!そう思う片側では、生きてこそ本当の自分の真価が問われるのでは、とも思っていたのも事実です。そんななかで、担当の看護婦さんが本当に親身になって世話をして下さり、前向きになれなかった自分の中に、少しだけ前を向いて歩いて行こうという気持ちが沸いて来ました。
 
事故を起こしてから4年目です。ここまで来るのに、本当に一言では言えないことが沢山ありました。励まされ、望みをつないで来られた事も多々有りました。まだまだ苦しみぬかなければならない事も、事実です。でも、本当に苦しい思いをしたのは誰だったのでしょうか?私は家族ではないかと思うのです。この様に身体になって、見舞いに来たことは一度もない家族が、一番苦しんだことと思っております。
覚せい剤に限らず、薬物は人生を確実に狂わせます。その場はなんでもなくとも、後遺症に悩む者もいれば、信頼関係を失う者も、家族を苦しめ続ける者もいます。薬物を使うということは、自分と他の人をつなぐ「絆」を自分で断ち切ってしまうことなのです。人が人として生きていくに当たって、大切なものとは一体何か?『絆』です。事情はどうであれ、薬物には絶対に手を染めない。もし、周りに手を出しているものが居るのなら、心を鬼にしてでも止めさせるべきだと。私は強く思っています。
私の経験は、薬物を乱用する者達の、誰にでも起こることではないかもしれません。ですが、覚せい剤を使って幻覚や幻聴を経験したことのある者は、多いと思います。しかも、当時の私は薬物を常用していたわけではなく、覚せい剤から完全に離れて10年近く絶って、魔がさしたというか、気がゆるんだというか、たった1回使った覚せい剤が原因で、始まったことだったのです。
薬物を使った影響は、いつ、どんな形であらわれるか、わからないと言う事を知って欲しくて、私は自分の恥を晒してでも手記を書いてきました。「自分の身体に何をしようが自分の勝手だ。誰に迷惑がかかるわけじゃあるまいし」。本当にそれで済む事なのでしょか?「自分はまだ大丈夫」、「少しだけなら心配ない」などと言い訳しながら薬物を使っている人たちに、私は「薬物を甘くみるんじゃない」と伝えたい。
正直に言うならば、薬なんて二度と手を出さないと思っている私でも、夢の中で覚せい剤に手を出してしまう自分が居たり、本当にしつこいくらいに付きまとわれるものなのです。
今の私は、生き抜くことで精一杯の生活を送っています。慣れないパソコン相手に頭を使い、思うように動かぬ指先に苛立ちを覚えながらも、これも私が生きて行く最後の道だと信じ、必死で毎日を過ごしております。
本当に死に物狂いで物事に立ち向かう時、大きな壁が立ちはだかりますが、その壁を乗り越えてやると覚悟を決めると、真の協力者に出会えるはずです。そしてその壁を乗り越えることに必ず手を差し伸べてくれます。その時は気がつかなくとも、後になってみれば「あの時、もしあの人と出会う事が無かったら!」という感じでね。
自分は、車椅子で一生過ごして行かなければなりませんが、目標が叶うまで絶対に諦める事無く、何度でも挑戦し続け、最後は協力して下さった方々と、声を張り上げ笑って過ごしたいと思っております。
当たり前のことですが、諦めることは簡単です。簡単なことは誰でも出来ます。難しいことに挑戦してこそ、進歩し、人としての真価が問われると思うのです。苦しくなったり、逃げ出したくなったり様々ですが、負けない、諦めないと思っております。生きている限り、やり直すに遅い事など何も有りません。失敗は取り戻せるのです。そう信じて私は逃げ出す事無く頑張って過ごしていく覚悟です。
最後に、この手記を載せて下さった、関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。また、ここまで気持ちを持ち直せることに協力を頂いた皆様方にも、この場を借りて心より感謝の気持ちを込め、お礼申し上げて、ひとまず手記を終了させて頂きます。

2020/02/08

おもろい動画見つけたわ。(BU)



おもろい動画見つけたわ。
>>  Kids, THIS Is What Happens When You Do Crystal Meth #Say NotToDrug <<
まぁー、簡単に訳したら

「子どもたちよ見よ、これがこれがポン中の成れの果てだ!!『ドラッグは NOと言おう』 」

こんな感じかな。

俺の知ってる(昔の事)
神戸コネクションの一人に
『小梵ちゃん』(仮名)
言う奴がおって、そいつは誰もが知っている大企業の会長の息子で、
家の大きさときたら半端ではんく、
1ブロックが家、それも
神戸の有名な一等地で
小梵ちゃん、自身は単なる消費者なんやが、
1回の覚せい剤の購入量がパケ屋に負けず劣らず何と、


50g


それでも、2週間程で食いよる、
計算すると、1日

3.5g


も食いよるんからそらおかし成るわな。
小梵ちゃんは、
関西では1番と言われる偏差値の高い
中学、高校


そして大学も国立名門を卒業
その後、
大手某有名商社に入社
と輝かしい経歴を持つ、超ハイソな
エリート
だった。だった。だった。だった。だった!!!!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・////


品物の食い方は、ニードルは使わず、
その頃は、今のように
「クラックパイプ」
なるもんが無かったんで、
炙りの奴は、アルミホイル20ミクロンと言う分厚いホイルを使い
炙っていた。


小梵ちゃんはと言うと、当時から自作のガラスパイプを使っていた。
それが何と、クリプトン球
(普通よりかなり小さいが、ハロゲン並に明るい電球)
を使い

電球を一旦全部バラシ
シリコン樹脂の様な物を使い
東急ハンズで売ってるガラスの筒と球のガラスの部分とを繋ぎ合わせ
今の「ガラパイ」
原型の様な優れた機能を持った自作パイプを
愛用していたの鮮明に覚えている。


当時は、誰もそんなパイプを使ってる人間などおらんかった。
IQの高さを感じた
瞬間でも
あった。


俺は、その頃神戸コネクションとは密に接触していたので
小梵ちゃんと出会う時がよくあった。
そして、いつも
小梵ちゃんは
任天堂スーパーデラックス
サッカーゲーム
髪の毛をむしりながら熱中している場面を強烈に記憶している。



最近のYoutube動画の様に
会う度に
小梵ちゃんの風体は変化して行くのが
違和感として残っているのだ。


毎回、会う度に
「何かが違う」
そんな、違和感を感じていた。
そして数ヶ月後
小梵ちゃんは、会社を辞め、1ヶ月で


100g


食う、大虎になっていた。

髪の毛はほとんど毟り取られ、目玉が飛び出し
外観から頭蓋骨がハッキリと分かる
人体標本の様になっていた。


後にも先にも
こんな大食らいを目の当たりにしたのは
小梵ちゃんは
だけである。ある意味、超ーエキスパー
トドドドド怒怒怒

ポン中
の中でも、


No1
ある日、小梵ちゃんはの乗る
スーパーカー
エンティオフェラーリ
に、本人が言うには、当時では珍しいと言うか、初めて見たが
「GPS」
なるモノが付けられてると、発見した器具を見せられた。



それは、そうやな、
タバコの箱の半分位の大きさで
真っ黒いボディーに
「GPS」
刻印された初めて見る代物やった。


最初は、
こいつ、グルっておかしな事を言い出しよった、あー、面倒くさいなぁ~思てたが、
「GPS」本体を見せられたら、
これ、疑いようが無いやないか、
一体、
デコでは無い、
何でかって?


そんなモノ付けたら違法になり、証拠にはならないからだ、
しかし例外もあるのか?
イヤイヤ、それはない、
そしたら、
近麻


以外に思い当たるフシは無いが、
デコ
と同じく、証拠の能力はないが、動向内偵で使ってる可能性が


大大大

小梵ちゃんは
全然へちゃらで、GPSの分解に取り掛かっており
普通のポン中なら
グリグリ


に成る事間違いなしの事態に
普通では無い、大虎は
チラシの裏に回路図らしきものを書き始めよったんには、
俺の目が、


この、大虎俺の知ってるポン中とは全く違い、

ホントに頭のオカシイ奴なんか、
これが、

<<<<<<>>>>>>IQ<<<<<<<<<<<<

の高い奴なんか、
判別する事が出来ないでいた。
俺の方が、


・・・・・・・・・・・・・・グリグリになってきた。・・・・・・・・・・・・・

本人は自慢気に製造番号が分かったと大喜びである。



当時は携帯もままならない時代に
DSP回線で
この
小梵と言う
男は
ネットの環境を持っていた。
当時、今では当たり前の
ネット
俺には、理解に苦しむ世界の話、
数日後
小梵ちゃんと会った時に奴は恐ろしい事を
俺には理解不能
口にした。


○○データベースから
何とかを、どうにかして、付けた犯人を見つけた
と言う、
な事を吐いたんや。


犯人は
某興信所、そう探偵会社に付けられたモノやと
言いよった。

100%

間違いなしと、本人はその興信所に乗り込んだ様で、
どうも話によると、親が頼んでいたらしく、
そら、この風体を見たら誰でも心配するわ。
街を歩く
小梵ちゃんの姿は、
ブラックホールが移動している様なかなりヤバい

負の
オーラを
放っていた。


人体標本が黒い魔物を背負い
手には
大きなカマを持ち、歩いてる姿を想像して欲しい
俺の、知る範囲の向こう側に別の世界が存在する事を俺は、
この
小梵と言う
に知らされる事になった。


ある意味、
神(紙)
asid
の領域で、
決して犯してはいけない別の次元の出来事のように思えた。
見る影も吸い込む強力な


・・・・・・・・・・・・・どドッドドドドドドドドド・・・・・・・・・・・・・
ポン中の

この男を
尊敬するしか俺には出来る事は無いと思い知らされた。
では、これを
読んだ後に、ユーチューブ動画を見てやってくれ
俺の、孫よ、いや、
ひ孫か、ひひ孫か兎に角俺のDNAを受け継いでる
諸君
感想はどうかな?


良かったら、
涅槃の俺への連絡方法が確立出来てる世界になったかな。
その方法を使い
今、お前が生きる時代での
感想を早く聞きたい。
俺は
眠る、お前らの世界ではな。


Have a enjoy another spacce When im living lightnow.
-----






お前には何が見えた?
Good luck.for ur life.

2020/02/05

メキシコ麻薬戦争 最新 METH MAYHEM “It’s difficult to find a part of LA now where there’s not needl.


METH MAYHEM “It’s difficult to find a part of LA now where there’s not needl.



METH MAYHEM: “It’s difficult to find a part of LA now where there’s not needles on the street.” In a shocking FOX 11 investigation, we went to Skid Row to reveal just how bad the homeless meth addiction crisis has become. DEA Los Angeles tells FOX 11 they believe California's Prop 47 is enabling this addiction epidemic. bit.ly/2GKCXVI





2020/01/30

地元の後輩の相談からとんでもない展開に ②(BU)

DATE: 03/18/2015

その時は突然やって来た、

ピピピピピピピピぴぴぴーーーー」」」」」」
鳴りびくPhone

Y、からの着信音が
俺を現実の世界に引き戻そうとする。


出るべきか、否か。

俺は、現実の世界には戻らず、カプセエルの中に逃げ込んだ。

ピピピピピピピピピピピピピピピーーーーーー」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

つんざく、電子音
俺は、俺は、俺は、


Y、はかなり利己的で人の陣地にズカズカと土足で上がる様なところがある。

俺は電話に出るより他の選択肢はなかった。
「何や!!っ」

Y、「D ちゃん、行くでぇ→」
俺、「何処へや?」
Y、「車屋やんけ、すぐにH君所に来てや。」


何と、自分勝手な奴や、俺の予定は関係なしかいな。
ホンマやってれんわ。


車を持ってるのは俺だけで、
絵図は俺の中にあり、俺以外の3者を加えてこのミッションを完結することは出来ない。

自分で言うのも何やが、
俺は
時間に正確だ。


これは、昔からで
いくらヨレても、時間を遵守する、人間だ。


夢の世界から戻った俺は、ゼリーの中に居るような感覚で
身支度を整え、このミッションが始まる事への
不安と、希望
を胸に留め、愛車のエンジンをかけた。


H君の住む
大国町に到着。

着く前にコールしてすぐ出れるようしておけ、
と、釘を指してたんで


部屋に上がる事なく、ミッションをスタートさすことに成功。
部屋に上がると、またなんや、かんやと
ほやいてしまうんで
それだけは避けたかった。
そうなると、ミッションはスタートする事はない。
何故?
そんな事もわからん奴は、どっか行ってくれ!
それが、ヤク中
ポン中、プー中言うもんや。


まともな人間は、こんなクソ溜めの何の役にも立たんジャンクな人間に
大事な事を任す気にはならん。
それは、俺も大いに賛成する。


その中に俺も入ってる事など忘れ、俺は
己で、己を
否定している事にその時は気がつくはずもなかった。


そんな、出処が訳もわからん、
自信に
満ち溢れていた。


「「「「「さーっ、これから始まる未知の出来事」」」」」」」


3人の乗った
ジャンキー3は、18時に目的の場所に
「茨木の中古車屋」
到着した。


今日は営業中である。


俺が、まずは先行をカマシに店内へと入って行った。
店には、従業員らしき、若い奴が1人
店番をしてた。

俺はそいつに、責任者を出してくれと、聞きたいことがあるんで
と言い・・・・・
店番は、今、外出中やとの返答、
急な話やと、後輩櫻井の名前を出し、クラウンの件やと伝えろと・・・・


店長も、事態がわかったようで、
30分で戻るとの返事。


その間、店番に木村の事をそれとなく聞き出した。
木村は、20歳代後半の今時の若者と言うより、
真面目なサラリーマン風やと言う
店には、木村以外は来たことがない。
櫻井も来た事がないと言う、車を買う本人が来店してないと言うのもおかしな話や。


この、店番によると
店長は予め木村がキャンセルする事を知っており、
現金を用意していたらしい、



これも、おかしな話で、普通振り込むやろ、ちゃうか?
現金でやりとりは、記録に残らない、
流石、詐欺グループ、
ぬかりはなさそだ、


ジャンキーワイルド3は、そんな詐欺グループから金を引き出そうとしてた。
今思うと、何と無茶な事をしてるんやと、背筋が寒くなる。
身の程知らずと言うか、ホンマのドアホの塊か、
その事件当時は、単なる仕事の一部としてしか見てなかった。


その事件は、
後に、

拉致監禁、強盗傷害事件へとなるとは
自分らのしてることが、そんな大それた事とは全く思いも巡らす事もなく
RPG
のミッションコンプリート


リセット。

ゲームオーバー


続く

2020/01/14

ODで死にかけている奴を捨てる悪女


今、この話を急に思い出したので
書くが、(BU)記事の中にも有るかもしれないので
ダブっていたらスマン
!!


今ではどうなのか知らんけども
1990年代半ば当時

大阪では結構有名な焼き肉店の
娘が、強烈なヘロイン中毒患者で


ヘロインが大阪からなくなると
まさかこんなこんな所で出会うとは言うくらい
ヘロインの執念は強烈で


ある時は、山梨県、ある時は、福岡県
また、ある時は、横浜と


大阪のヘロイン中毒者がほぼほぼ知らないであろう
ルートに出食う会う程の
ヤバい女の話なのだが


この話は俺が実際に見た訳ではないので
聞伝えの話になるが


当時は、その件で警察も動いたほどの
事件になったので


まんざら作り話ではないと思うので
書くことにする


その女の事をAとしておく


Aの家は当然金持ちであったが
ヘロインのために使う金を自分の家の焼き肉チェーンから
何回も盗み、当然親からは見捨てられていた状態の時に
俺は知り合った


Aのしのぎは、自分が免許がないので
ヘロイン初心者をヘロインで釣り運転手にさせて
郊外にあるドラッグストアー荒らしをやっていた

荒らしと言ってもただの万引やが
コレが結構侮れないのだ


買取屋からリストを貰い
高価なアリナミンや、女性の高額なクリームなどを
ピンポイントで盗んで


なんと、1日の売上は軽く10万を超えていた
Aはホテルを転々とし
ヘロインを仕入れては、毎日を凌いでいたが


ヘロイン初心者の開拓にも余念がなかった


そんなこんなでヘロイン初心者にヘロインを覚えさせては
イラン人よりも遥かに高額で売っていた時の事


Aが寝ているスキに、連れ回していた
もう、ヘロインにはめられて子分と化していた1人の奴が

ヘロインを盗み、ODになってしまった


この時Aはまだ寝ており
Aが起きた時にはそいつは完全にOD状態だったので


AはODへの対処の仕方を全く知らず
俺に助けてくれと電話があったが俺はそれを断った


当然である、俺が何のためにわざわざそんな
ヤバい現場に足を運ぶ必要があるのか

そう、思うやろ
!!


そんな電話があってから
Aの運転手にその後どうしたかを聞いた俺は
話を聞いてびっくりしてしまった


運転手いわく、Aと運転手で
一番近い市民病院の入り口に捨てたと言うではないか


そいつが死んだかどうかは定かではないが
後日、Aは警察から手配がかかり

俺の前からは姿を消して
4年後くらいに再び姿を表したが


会う間もなく

Aは刑務所から出てきたその次の日に
ODであの世へと行ってしまった


これこそ、因果応報やと
俺はつくずく、そう感じた出来事であった

女は恐ろしい
マジで

!!

2019/12/14

覚せい剤を長期使用していると(BU)


覚せい剤を長期間使用して、身体に起こる変化がある。

多分個々により症状は違うと思うが、
俺に現れる症状は

一番感じるのが
末端神経への影響

まず、歯ぐき、
殆ど歯が無くなってしまった。

頭の毛の生え際
前髪の生え際からどんどん毛が無くなる
つまり、M字に禿げて来る。

指の先
爪の周りの皮膚が角質化しカチカチになる。

過食

異常な食欲、
体重が15k程増えた。

以上が
俺に現れる症状である。


精神的症状

普通の場合医学的には、
覚せい剤精神病として、

統合失調症

と、されるが

俺に関しては当てはまらない。
症状としては

根拠の無い自信、
強力な自信が湧いてくる。
効き目でも平気で警察署に出向く事も
ためらいを感じ無い。

職質はゲーム感覚で、
言葉の切り返しが楽しめ、警官を謝らせる事で、ゲームオーバーと
している。

多弁になる

警戒心が強くなる、
家中防犯カメラや、センサー防備
家の周りの変化に敏感。
品物の管理は徹底している。
マル秘の隠し場所がある。

気が短くなる。
すぐ炎上、後先考えない。

大体こんな感じです。

よく聞く、
時間にルーズになったり
部屋が散らかる
ヒソヒソ話し
見られてる、
着けられている
周りの目

この様な症状は、無い。

覚せい剤の良し悪しとは、

個人により効き方も違い、
症状も違うんで
一概に良い、悪いは、
決めれないが、
やはり、メタンフェタミン純度
100%
と言うのが、ええ品物と言う事です。

法律的な名称は
フェニルメチルアミノプロパン

通称、覚せい剤、シャブ、エス、スピード、アイス、上、早見君、早いの、ガンコロ、スピ、品物、

など、と呼ばれ取引される。





2019/12/13

Slip 覚せい剤 狂いホルモン(BU)


DATE: 01/09/2015 12:00:00


不思議に思う事がある。
それは、

覚せい剤と言う違法な薬物
日本国中
北は、北海道
南は、
沖縄

まで、
覚せい剤が、出回ってない都道府県はないのではないか?
言う疑問なんやが、

大昔、ある麻薬取締官の言葉を
思い出した。

結論から言えば、
アメリカによる、CIAと、DEA
工作だと言う事、

戦後昭和46年(定かではない)
頃まで、
覚せい剤は、ヒロポンとして
薬局で売られていた。

これまでにも、規制する法律はあったが覚せい剤取締法が出来たのが、
この辺りの年代になると思う。

A氏曰く、

40年ほど前は
合法
であった。

日本国は、戦争に
覚せい剤を使う為に増産しており、

原爆で急速に戦争が終り、
大量の覚せい剤が余剰在庫として
倉庫の中に山のようにあった。

日本国が日本国で無くなった
アメリカに侵略され、

アメリカの統治下におかれた。

俺は、日本人やが、
本当の日本国と言う国を知らない。

アメリカナイズされた、
日本しか知らない。

戦勝国は、侵略した国を
どうにでもできる。

CIAは、大量に余った覚せい剤に
目を付けた。

この国を建て直すには、
覚せい剤

利用

大麻の規制

今の世界を見ても良くわかる。
後進国から発展して行く上で、
メタンフェタミンが
必ずしも
流行している。

アメリカは、新日本国には、
アメリカにとって、
利益ある国でなければ
ならない。

ヘロインは生産能力を
落とす。

覚せい剤は、
24時間働けますよ!


GHQは、
覚せい剤を野放しにしていた。

そのおかげで、日本は、
急激な経済成長をとげ、

安く出回っていた、
覚せい剤に規制をかけ出した。

日本には、ヘロインを入れるな!

DEAが受けた
プロジェクトの一環

麻薬取締官が、言うには
ヘロインで逮捕されると
DEAに登録するそうだ。

DEAは、日本国内の
ヘロインの流れを常にリサーチしているのだ。

理由は、

ヘロインは
国をも滅ぼす力があるからだ

現在、世界の80%生産する
アフガニスタン
ヘロインコントロールしているのは、
CIA
なんやからな。

そんな訳で、日本では、
殆ど、ヘロインの流通がない。

しかし、

覚せい剤

こいつは、

日本の隅々まで、
年齢も、性別も、
幅広く、

こんな現象、誰かが操作
無しには、ありえへん。

今は、危険ドラッグ
新種の、合成ケミカルが、
問題になってるが、

ヤク中プロは
絶対に手を出せへん。

あんな、訳の解らん
科学合成の
実績のないもん、
怖て、よーせん、

LSD
でも、初めて取る時は
添乗員が、必要やのに、

さーぁー、
何を書いてるんか、わからんよー
なって来た。

1月5日に
正直言うと、

Slip

やってもて、

それが、使用期間が、20年以上
と、言う事もあって、

クリアーな時の自分は、
精神病患者

ポンを入れると、
本来の自分に戻ると言うか、

これに、ヘロインがあれば、
元の自分にもどれるんやなぁ、

と、

完全な、逆転生活、

今、そんなんで、
自分を、見失ってる状態です。

話しはかわるが、

やめとこ、

しんどなって来た。

また、更新しま。

2019/12/08

薬物、一体何が悪いのか?


このところテレビ等では
違法薬物を目の敵にしているが


違法薬物の一体何が悪いのかと俺は
思う

諸君達は違法薬物の一体何を知っているのか


このブログの、1st、2ndの読者なら
俺の言いたいことが何かを理解していると思うが


違法薬物を見たことも、使った事もない
奴らは

違法薬物の何を知っているのかを
まず


俺は知りたい
!!


俺は、違法薬物に携わり35年もの間
多種多様に渡る違法薬物を
自分なりに研究していた結果から


違法薬物の悪いところは

法律に違反しているということのみに尽きる
付け加えれば

闇資金になるくらいで
その他には

アル中がたどる道のりとほとんど変わらない


アルコールも薬物とするなら
俺が今まで見てきた中毒患者で一番酷い末路をたどるのが
アル中


言っても過言ではない
!!


違法薬物と言っても色々とある
薬物を知らん奴らは
みんな同じと勘違いしている奴らが多いが

それぞれ全く違うものである


そして、一般人も知らぬうちに摂取していることすら
気が付いていない奴ら
ガタガタ抜かすなと

思う


風薬には、覚醒剤の元である

エフェドリン

ヘロインの同種の

リン酸コデインが入っている

咳止めシロップに至っては、風邪薬の何倍も含有されているので
咳止めシロップの乱用が無くならないのであろう


俺は、断薬してかれこれ
10年
になるが、依存症と言う病気は未だに治ることはなく
双極性うつ
と言う、別の病まで発症


おまけに、C型肝炎まで持っているが
体は至って健康である

嘘のようやが・・・(笑)


10年違法薬物は断っているが
精神科薬に
この10年依存してしまっている
本末転倒である


国家によって薬物中毒にされしまっているのが
現状である


違法欲物の中で俺の一番のお気に入りは
間違いなく

「ヘロイン」

である


何故か

ヘロインは人生とは何かを身を持ってわからせてくれる
ヘロインは死とは何かをわからせてくれる

それと

「LSD」

である

LSDは生命とは何かを分からせtくれる
LSDは異次元の世界の存在は脳に存在する事を分からせてくれる


2nd
の、読者であれば
違法を除けば、アルコールも、タバコも医薬品も
全て同じものだと言うこと
知ってると思う


話をまとめることにスル

薬物について何の知識もない奴がとやかく言うな
と言うことだ
!!


違法薬物と同じ成分は己の脳内にも存在すると言う事を
忘れるな
!!


俺は、コレまでの人生を全く後悔などしていない

しかし、違法とされる薬物にはそれなりの
理由があるのも事実で


安易に、素人が手を出すことは勧められない
乞食になるは、頭が壊れるか、死ぬか
逮捕

されるのが、待ち受けているからだ

俺は俺なりに
ほぼ、全ての薬物を経験し追求し結論を出したので
今後、することはないが


フラッシュバックは死ぬまで続くであろう

ほな、な

2019/11/20

沢尻容疑者、の情報を流した M とは?

女優の沢尻エリカ容疑者(33)が
合成麻薬MDMA

所持したとして逮捕された事件で、
警視庁が逮捕当日に採取した尿の検査結果が、


いずれの違法薬物についても陰性だったことが20日、
捜査関係者への取材で分かった。

同容疑者は取り調べで、MDMAなど複数の薬物の使用を認める供述をしている。

有名人逮捕のたび「私も危ない」 沢尻容疑者「大麻、コカインも」―警視庁




 MDMAの陽性反応が出るのは使用後2~3日までといい、
同庁は引き続き入手経路や使用の実態などを調べる。
 

捜査関係者によると、同庁は沢尻容疑者を逮捕した16日、
任意で尿を採取し、科学捜査研究所で鑑定していた。

MDMA以外にも、大麻や覚せい剤など違法薬物として指定されているもの全てについて検査したが、いずれも使用を示す陽性反応は出なかった。



 沢尻容疑者は16日、
東京都目黒区の自宅でMDMAを含む粉末を所持したとして、
麻薬取締法違反容疑で逮捕された。MDMAについて

「私のものに間違いない」

と話し、

「10年以上前から違法薬物を使っていた。
これまでに大麻やMDMA、LSD、コカインを使用したことがある」

などと供述している。

______________________________

さて、今回沢尻がパクられたのは

誰が情報の発端かと言うと

先日、書類送検された

道端アンジェリカ

と、一部情報が漏れてきているが

俺が実際に裏を取った訳ではないので
あくまでコレは噂と言う話し

まぁ、親しい人物に売られたのは間違いなさそうである



2019/11/05

ヘロイン過剰摂取の写真が拡散した母 「息子のために」薬物を断ち3年経った心境語る(米)


今から3年前、ヘロインの過剰摂取で意識を失った女性の写真が警察によって公開され、世界中のメディアが伝えて拡散した。女性はその後、ヘロインに溺れた母親しか知らない息子のために心を入れ替え、薬物を断ってから丸3年を迎えたという。『Inside Edition』『TODAY』などが伝えている。




米インディアナ州バーソロミュー郡在住のエリカ・ハートさん(28)は2016年10月22日、ディスカウントストアの前にある駐車場で車の運転席に座ったまま意識を失っているのを地元警察によって発見された。後部座席には当時10か月だった息子のパーカー君が泣いており、エリカさんはヘロイン摂取に使ったと思われる注射器を左手に握りしめたままだった。




へロインの過剰摂取だったエリカさんは、救急隊員に麻薬拮抗薬のナルカン(ナロキソン)を投与されて一命を取り留めたが、後に児童虐待などの罪で懲役6か月、執行猶予2年の判決を受け、ドラッグ依存者のためのリハビリ施設への入所を強いられた。またこの時のエリカさんの写真は地元警察によって公開され、世界中のメディアがこぞって取り上げた。




それからちょうど3年が経った今年の10月22日、エリカさんはFacebookにパーカー君と一緒の写真を投稿した。笑顔のエリカさんが手に持っているサインには「ナルカンが私の命を救った」、もうすぐ4歳になるパーカー君のサインには「それで僕はママを取り戻した」と書かれており、次のようなメッセージが綴られていた。



「3年前、私はヘロインの過剰摂取で意識を失い、息子や母、そして母のパートナーが見ている前でナルカンを投与されました。家族にとっては思い出すのも辛い出来事ですが、もう今となってはそれは重要なことではありません。今の私にとって一番大切なことは、私がナルカンによって救われ、ドラッグに依存せずに生きるチャンスを与えられたことです。もしあの時救われなかったら、息子は母親を知らずに生きいくことになったでしょう。3年前は息子がいても薬物の誘惑に負けてしまった自分がいました。でも今は、息子の存在がまっとうに生きる心の支えになっています。薬物を断って3年を迎え、こうしてシェアできることを心から嬉しく思います。」



エリカさんが薬物に手を染めたのは、今から13年も前のことだった。ブドウ球菌感染症を患ったエリカさんは、医師に処方された鎮痛剤の有効期限が切れると路地裏などでオピオイド鎮痛剤(医療用麻薬)を購入して使用し続けた。まだ15歳だったが、そのうちより強い薬を求めるようになり、19歳になる頃にはヘロインに手を出した。その後ヘロイン購入のため盗みまで働くようになったエリカさんは、21歳になると薬物依存でリハビリ施設への入退所を繰り返すようになった。そして2016年10月22日、25歳の時にヘロインの過剰摂取で意識不明に陥ったのだった。

エリカさんは現在、薬物やアルコール依存者のためのミーティング「Celebrate Recovery」に週3回ほど参加しており、薬物を断つ動機となったパーカー君のことをこのように語っている。



「3年前の私は一日に4回はヘロインを摂取し、いつもぼんやりしていました。母親としてパーカーと遊んだことも気遣ってあげたこともないばかりか、ドラッグディーラーのもとに連れて行ったことさえありました。拘留されていた時にパーカーが面会にやってきたのですが、息子は私の膝に座ろうともしなかったのです。パーカーは私が誰なのかも、どう振舞っていいのかもわからず困惑していました。私はパーカーの1歳の誕生日も、初めての感謝祭も、最初の一歩を歩いた時もそばにいてあげることができませんでした。そしてパーカーのためにドラッグを断とうと心の底から思ったのです。」




「薬物を断ってやり直した今の私に、パーカーはべったりくっついて離れません。私を頼りにしているパーカーを裏切ることなどできません。パーカーがいてくれるから私も頑張ることができるのです。」




「3年前の写真は今見ても辛いです。当時は恥ずかしさと屈辱感でいっぱいでした。でも落ちるところまで落ちたことで、自分を奮い立たせることができたのです。あの写真がなかったら今の私はいないでしょう。」






画像は『Inside Edition 2019年10月31日付「Mom Behind Viral Heroin Overdose Photo Celebrates 3 Years of Sobriety」(Ali Elizabeth Photography/Keywords Co)』のスクリーンショット(TechinsightJapan編集部 A.C.)

2019/09/23

人気海外ドラマ「ブレイキング・バッド」の新作映画「エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIE」







2008年から2013年まで放送された、人気海外ドラマ

「ブレイキング・バッド」

の新作映画である

「エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIE」

の予告編が初公開された。



「ブレイキング・バッド」は、平凡な高校教師ウォルター・ホワイト
(ブライアン・クランストン演)
が、



ガン宣告を受けたことをキッカケに麻薬製造に手を染め、
のちに麻薬王となり転落していく様を描いた
ブラック・コメディ。エミー賞を複数獲得するなど、


高い評価と人気を獲得し、
昨年11月に、待望の映画版の制作決定が報じられた。


また同作で、悪事の片棒を担ぐジェシー・ピンクマン役を演じたアーロン・ポールも続投することが決定。




そして今回、

「ブレイキング・バッド」

の続編を描いた新作映画

「エルカミーノ: ブレイキング・バッド THE MOVIE」

の予告編が、米時間9月22日に開催された、米テレビ界最高峰の祭典「第71回エミー賞授賞式」のコマーシャルで初公開された。




映画はドラマ本編の最終回直後を舞台が描かれており、
公開された予告編では、夜の薄暗い野原に

ジェシー・ピンクマン

が乗った車が一台止まっている。


真剣な表情のジェシーは、ラジオから流れるニュースを聞いている。
ニュースではアナウンサーが

「速報です。複数の被害者たちの恐ろしい映像です。
近隣住民たちが何百という銃の発砲を聞き、
アルバカーキ警察が駆けつけた時、
何度も撃たれて被害に遭った9人の男性たちを発見。

ベテラン警察官はおどろくような虐殺だとコメント。
リモートコントロールによるマシンガンが使われた模様です。
捜査当局は現場から逃げたと思われる人物を捜査中。
この件に関する情報に心当たりのある方は、
すぐに警察へご連絡ください」



と殺人事件の速報ニュースをアナウンスしている。


SOURCE元
https://www.tvgroove.com/?p=19569



2019/09/05

執念のチクリ 整体師のおっさんが見た、大阪府警と密売屋のからくり。(BU)


今日、機会があり、以前の[doopdays]を見る事になったんで、
整体師のおっさんが、日本の裏のシステムに
気がついた、決定的な記録を発見したので
今日、
早速更新します。

既存記事の続編をお楽しみしている方は
今しばらく、辛抱せい、
何事も、辛抱が大事や。

_______________________________________

この記事は
2003年頃に書かれたと思われます。
doopdays
投稿日は2007/11/18


浪速署の「S」、ゲーム屋・密売所
被害おっさんの
記事
長いけど読む価値はあるんとチャウかな

覚醒剤を打っている現場や計って袋に入れているビデオを見せても
「インシュリン注射とちゃうか」といって取り合わず、
覚醒剤の今日の価格と売った個数を答えている会話テープを聴かせても無視。
「ゲーム賭博店には事前予告でガサイレしたうえに、従業員と客は捕まっても責任者にはお咎めなし。


井口辻子さん(五八歳)が、四年にわたって集めた数々の証拠・資料を提供しても捜査しない浪速警察署には、
摘発しない隠された理由があった!

覚醒剤密売人・ゲーム賭博経営者=広野(仮名・五九歳)は、警察の情報屋=Sだったのだ。



情報屋ゆえに覚醒剤密売を黙認する浪速警察、
そしてそれを見越して堂々と犯罪行為を続ける闇世界。
警察と闇世界の持ちつ持たれつの
密接な関係を告発する手記が届けられた。


手記には、覚醒剤密売現場ビデオ、ゲーム賭博の店内映像・刑事との会話記録なども同封されている。



「広野(警察のスパイ)は、自分の懐を肥やすために警察を利用した」
「広野は、兵庫県警のアミだから、手を出せない」
大阪府警・浪速署刑事は、こんなこともしゃべっている。



井口さんは、危険を侵して隠しカメラで覚醒剤密売の模様を撮影し、
数々の物証を添えて警察に告発した。


にもかかわらず警察はこれをを無視し続けただけでなく、
スパイ=広野に「井口って誰や?」とそのことをバラし、これが原因で井口さんは、広野や暴力団から脅迫暴行を受けたという。


犯罪は、社会を映す鏡である。
また、光があれば影ができるのは当たり前で、
影があるがゆえに立体感や奥行きも生まれる。
影のない社会は逆に病んだ社会といって差し支えない。



井口さんの手記掲載は、麻薬犯罪を云々するためではない。
あくまで正義ヅラした警察のヤミ世界との密接な関係を暴露するためである。
以下井口さんの手記を要約して警察のスパイの実態をレポートする。
警察官の役職・氏名はすべて実名。その他は仮名にした。


覚醒剤と賭博ゲームの溜まり場


まず、私と覚醒剤密売人である広野との関係を説明致します。
私は一九九三年、整体師の仕事を通じてH夫妻と親しくなり、Hさんから広野を紹介されました。


その後Hの負債をめぐり私は、広野に事務所の使用権と運転資金二〇〇万円を貸し、
その後も数回、手形証書で金を貸しましたが、利息込みで全額返済されました。


このため私は、「広野は信用できる」と思い九九年一月から四月迄の間に一五〇〇万円を貸しました。


ところが貸した手形証書が不渡りにされたので、
手形証書を借用証書に書き替えさせ、私は集金することに専念し、広野の事務所に毎日行くようになりました。


こうして事務所に出入りするようになると、
広野は警戒感がなくなったのか事務所で覚醒剤を密売してることも隠さなくなり、
これを知った私は広野を怒鳴り喧嘩になったこともありました。


広野は、「自分は前科者であるが、大事件起こさない限り警察は逮捕することはないので心配するな」と言いました。


私は「深入りするべきでない」と考え、この事務所を解約しましたが、
広野が借家名義人となり、契約金五〇万円は暴力団のPが払い、
賭博ゲーム機を置きました。こうして事務所は、覚醒剤密売と賭博ゲームの溜まり場となりました。


1200万円諦め警察に告発


私は、犯罪のお金と知りながら集金するのは、私自身犯罪者になるのではと思い、
広野への借金残額=一二〇〇万円は諦めました。


そして悩んだ末、私は大阪府警浪速署に広野を覚醒剤密売と賭博ゲームで告発し、
取締りを依頼しました。


担当の藤井刑事から生活安全課・隅田刑事を紹介されました。
隅田刑事との会話で何となく広野が警察の情報屋かもしれないと感じるようになりました。



九九年八月、私は府警本部相談係・南署生活課にも広野の
覚醒剤密売の取締りを依頼し、
近畿麻薬取締官事務所にも行き、密売の様子を詳しく説明しましたが、
「今すぐ捜査は無理」との返事で、一向に動く気配はありませんでした。



ガサにいく変な物は置くな
こうしたなかで広野は警察のスパイであり、
警察は広野を取り締まるつもりはないのだと確信した私は、
二〇〇〇年一〇月諦めていた広野への貸金残額一二〇〇万円を再び集金することに決めて、
毎日広野事務所に集金に行くことにしました。



二〇〇一年三月、広野と暴力団・Pが共同経営していた西成の賭博ゲーム店に、家宅捜索が行われました。


ところが西成署風紀課・有馬刑事はガサの前日、「明日、家にガサイレに行く。
部屋には変な物置くな」と広野の携帯電話に連絡していたことが、
広野自身の話からわかったのです。


私は、有馬刑事に抗議しましたが、刑事は「子供が可哀相だから」と弁解しました。
「広野は覚醒剤を密売してる」ことも話しましたが、「課が違う」と言う始末です。


同年九月二七日、広野は、賭博ゲームで禁固一年、執行猶予三年の判決でした。
兵庫県警薬物課・中野刑事が、わざわざ広野を訪ねて事務所の下の喫茶店に来たことがありました。


「刑事が賭博ゲーム店に出入りするのはやばいので、
下の喫茶店で会うことになった」と広野は言っていました。
この頃から広野の携帯電話に中野刑事から頻繁に電話がかかるので、
私は広野に中野刑事のことを尋ねると、
「中野刑事は以前からの友達」とのことでした。
私は兵庫県警に電話し、中野刑事に事務所の様子と覚醒剤密売をしてることを話しました。



中野刑事は、「知っている」とのことでした。
「それなら直接会って話したい」と申し入れましたが、
直後に中野刑事は広野に、「井口を知ってるか、俺に会いたいと言って来たが、俺は会いたくない」と
電話したというのです。



私は、これが原因で警察に告発していることがわかってしまい、
広野の面倒を見ている暴力団のPから脅されました。


私は兵庫県警苦情係と薬物課浜本刑事(中野刑事の上司)に電話をして、
覚醒剤密売の件と「中野刑事は犯罪者の味方であり、
刑事の言動で私の身に危害が及んだ時は責任取」るよう抗議しました。
その後も私は、中野刑事に電話をかけ、
「広野から情報をもらっていたのでしょう?」と問いつめると、
「半分以上はガサネタやった」と、広野が中野刑事の情報提供者であったことを認めています。



捨て身で証拠集め
私は、ずっと警察の捜査を待ち続けましたが、何の進展もないので、
「話だけではだめなので、物的証拠を示そう」と思い、
二〇〇二年二月から四月までの間、広野事務所で、
客が覚醒剤を打ち、賭博ゲームをする様子や
広野と従業員達が覚醒剤を計る様子を隠しカメラで撮影し、
浪速署薬物課・白井刑事に見せて、広野事務所内の出来事を説明し、
取締りを依頼しました。



白井刑事はビデオを観て「良く撮れてる」と感心しましたが、
上田刑事は「ビデオは証拠にならん、インシュリン注射と違うか」と言いました。
私が広野に手形証書で貸した一五〇〇万円、それから広野の保証人で貸した
二〇〇万円、

合計一七〇〇万円。
私は、一九九九年五月から二〇〇二年一一月の間、
毎日広野の事務所に通い集金しきりました。
私と広野との金銭貸借は済みました。



〇二年一一月、兵庫県警中野刑事と浪速署知能犯課・中村、菱川刑事達の言動が発端となり、

広野事務所で、私と広野とが言い争いになりました。
広野が、「警察に麻薬やゲームのことをしゃべった」と私を責め立てたからです。
口論の末、深夜T(広野の仲間)の車に乗ってしまい、家の近くで振り落とされて大怪我を負い、
病院に入院しました。


私は兵庫県警の中野刑事と浜本刑事に電話で「この責任を取れ。
広野は警察の協力者だが、これ以上広野を庇うな」と抗議しました。
浪速署・中村刑事は「あんたの名前は言ってない」との一言でした。



一方大阪府警浪速署生活安全課は、隅田刑事から中野課長(兵庫県警・中野とは別人)に担当が代わり、
私は中野課長に「浪速署は、広野の覚醒剤密売賭博ゲームを本気で取り締まる気持があるのか」と詰め寄りました。
中野課長は、「時間はかかるが取り締まる」との返事でした。



告発者の口封じする浪速署
私は、できる限りの証拠を提出し、浪速署の菅野副署長に直接会って捜査を依頼。
谷田署長にも内容証明で捜査願いを出しました。


広野は昨年一〇月二一日、恐喝と傷害で浪速署に逮捕されましたが、
同年一二月二二日、二〇〇万円で保釈されています。
しかも広野は、捜索後も覚醒剤売買を続けています。


浪速署は広野の覚醒剤売買・賭博ゲーム店、
全て把握しているにもかかわらず庇い、黙認しています。


このような犯罪に対する対処が罷り通る警察のあり方、
特に浪速署には憤りを感じます。黒田副署長は、
「浪速署は特別に忙しい、警察官も足りない、下の者を捕まえても喋らないので、
上の者を捕まえるのは難しい」と言います。


浪速署・藤田刑事に捜査の経過を聞いても、
「近い内に取り締まる」と言うばかりです。


二〇〇〇年四月に私が浪速署に広野の犯罪を告発してから、
もう四年が経過しました。この間、広野の事務所に三回家宅捜索が行われ、
広野の従業員と客が覚醒剤使用と営利目的で逮捕されました。


ところが覚醒剤密売を指示した広野はおとがめなしです。


今まで、私と携わった刑事達は平気で嘘を吐いて言い訳して、
広野の犯罪を見逃し庇い続け、広野は保釈中にもかかわらず、
暴力団のPと結託して違法な賭博ゲーム店を営業し、
西成のドヤで、覚醒剤密売を続けています。


広野は警察の協力者の名の下で悪事のし放題です。
覚醒剤密売は、どんな理由があろうと、犯罪です。


犯せば取り締まるのが、警察の職務です。
取り締まる側の警察が犯罪者の味方をして、私の告発を無視し、
私の口を塞ぐ言動があったことは、言語道断です。



このような警察のあり方に、私は抗議します。

______________________________________


と、記事は締めくくられてます。

この広野と言う男、相当な情報屋なんやろう、
管轄外の兵庫県警も、ましてや近麻も手を出せないとは
かなりの大物です。

最近でも、堂々とゲーム屋の看板をあげ、
営業してるゲーム屋があるけど
あれも何かからくりがあるんやろな。

今でこそ、危険ドラッグの取締きつなったけど、
昔は、マジックマッシュルーム何か、その片ですぐ買えたもんな。

大阪にある、大麻堂、
店主も逮捕経験あるが、タバコ喫煙具販売名目で
明らかに、パカや、シャブ吸うパイプ売っとるからな。

ネットの大麻販売業者

「骨折堂」

こいつも、一向に捕まる気配なし、
営業の仕方も上手いけど、
あれだけ、ネットに晒されて、叩かれてても
無料サンプル配るなどして
営業しとるからな。

たいしたもんや!


これでいかに日本の警察組織に裏があることを理解できたでしょうか?

まー、親方日の丸は、こんなもんですは!

異常(いじょう)

2019/08/12

バキバキのポン中を眠らせる方法



ははは、

ブチきまりの
ポン中を


速攻で眠らせる

処方薬の組合せとは、とは、とは
??
_________________

ロヒプノール 2mg


セロクエル 200mg

__________________

レボトミン 100mg


ピレチア

__________________

この組合せで
落ちない奴はおらん


一昔前やったら

ベゲタミンがあったんやが


今は、

販売中止になってもたからな


上の組合せを


ヘロイン
初心者に投与すると残念ながら
死んでしまうので
偽装自殺に使える


何人かは


ヘロイン
精神科薬


死亡
!!


くれぐれも量を間違うな!!


ほな、

方法でした