2019/05/04

プッシャー、スマグラー IN HAWAII ④ 「BU」12/28/2013

俺はビザの切り替えをする為に、一時帰国することになる。
その時に日本へ送ったドラッグは、
パカ=8oz、LSD=300枚、コーク=7.5g(エイス)、クエルーズ=100錠

懐かしの赤ペン


直接大阪には帰らず、東京に降り立った、
理由は、コークの送り先が東京だったために一旦東京の桜新町という所に落ち着いた。



東京には、ハワイで知り合った奴らら多くいたので、
俺が帰ってきたと言うことを聞きつけた連中が、
毎夜毎夜パーティーを開いてくれ、
気が付けば、2ヶ月も東京の街を堪能していた。



ドラッグには事欠くこと無かったが、持って帰ったコークは1円の金になることなく
消え去ってしまった。




大阪へ帰った俺は、持ち込んだドラッグをサバク準備をした。


パカは、1.5gパックを作り、¥10000で売ることにした。
グラムあたり、¥6667 oz売りは、¥15万、グラムあたり、¥5357
全部で224g
全部売れるのには一ヶ月もかからなかった。


LSDは仕入れが一枚¥500程度を¥3000円で売ったがあまりに強烈過ぎて
売れ行きが良く無く、100枚程余ってしまい自分で食う羽目になった。



毎日毎日食ってると効きが悪くなってきて、1回に3枚食いだした、
そんな状態が1ヶ月も続くと、頭がおかしくなって来だし、
脳みその中を虫が這いずり回る様になって来て、
とうとう精神科のお世話になるようになってしまった。



それは、現在までにも至っている。



クエルーズ(メタカロン)も1錠、\3000で売り
トータル1.5ヶ月程で、200万以上の金を手にした。その金は貯金して
俺は再びハワイへと舞い戻っていった。



何度となくそんな事をくり返し結局2年間、行ったり来たりを繰り返し
プッシャーとスマグラーとしての俺が出来上がった。



その頃には、貯金は1000万近くあった。一番華やかし頃っだったように思う。



帰国後も、ハワイのルートを使い、パカや、LSD等を
国際宅急便で送ってもらい、ディーラー業に精を出してた。



こうして生業としての俺の人生が決定づけられたのだ。



END

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