2019/05/18

プッシャー、スマグラー IN NEW OSAKA ① 「BU、 01/04/2014」

当時24歳の俺は、ハワイから帰国し
大阪市内北部に部屋を借りた。



そこを拠点に、大麻、LSD,コカイン、クエルーズの密売を始めた。
品物のルートは全てハワイからのスマグラーによる密輸である。
方法は色々あるが、あえて詳しくは書かない

受取方法には工夫ををした


それは、まず、東京と大阪に私書箱を借りて、まず、荷物を国際宅急便で東京に送り

その荷物を、


大阪の私書箱に転送してもらう



そしてまた、その荷物を今度は知り合いのアパートの空家に転送してもらい

お届け通知を受取り、

宅配業者までその荷物を受け取ると言う
何ともめんどくさい話であるが、当時は、自分の中で、

完璧だ
と思っていた。
4年間やっていたが、バレたことは1度もない



華やかし頃だったように思う。


ところがである。
24歳のある日、タイから友人の女の子Yが帰国してきた。

Yはその足で、俺の部屋にやってきて

「お土産、お土産」

と言いながら白い粉をたんまりと取り出した。


ヘロインだ。




ヘロインを見るのは2回目で、
1回目は18歳の時にバリに行った時
お遊び程度にヘロインは経験済みだったが、
ヘロイン
のホントの怖さはその時はわからなかった。
今回目にするヘロインは真っ白で
「プティ」略して
「プー」
と呼ばれていた。
聞くところによると、スリランカで「プティ」とは白、と言う意味しかった。
パカ10gパックと上に写っている黒とか緑のストローはヘロインと覚せい剤
コーク&スピードボールのパケ
Yはアルミホイルを取り出しヘロインをホイルに乗せ


ホイルで作った筒状のストローで

下からライターで炙って立ちのぼる白い煙を吸い込んで見せた。


チェイシングドラゴン

である。

俺も同じように立ちのぼる白い煙を

胸一派に吸い込んだ。

息を止める。

頭の中で電気信号が、パチパチと音を立てて

異次元へと入れ替わる

ギュルルんと音を立てて血液が流れれる。

7服ぐらい吸った頃には動けなくなっており、

酷い吐き気に襲われ出してきた。




立ち上がるのも困難な状態で、キッチンまでたどり着きシンクに
胃の中のものを一気にぶちまけた、。

気分は悪かったが、爽快な感覚が全身を駆け巡った。

嘔吐するのに気持ちよさを覚えたのは初めてだった。

その後、何度も吐き散らし、動くこともできず、その日は深い深い眠りに落ちたのだ。

これがヘロインの初と言っても良い飛んだ日の話である。

この時は、ヘロインが俺にもたらす影響などこれっぽっちも考えてなかった。

大阪での、プッシャー、スマグラーとしては上場だとさえ思っていたのである。


Yはお土産と言って5g程のヘロインを置いていった

これが俺の人生を狂わすとは、

夢にも思わなかった。
②へ続く






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