2020/03/28

メタドンクリニック 香港 2015 23ヶ所(BU)


香港
2015年最新
メタドンクリニック
23箇所をモーラした最新地図






この画面では
10件しか表示されません。

23ヶ所全部見るには、地図を拡大
左端にある・・・をクリックし検索結果の
下にある矢印をクリックで次のページが
表示される。

EARTHがあるなら、EARTHで
バーチャル香港ツアーにでも行って下さい。


なかなか、使い方によってはハマりますよ。

ストリートビューにしてクリニックの周りにタムロってる奴らは、
皆んな、ジャンキーたちですわ。

ほほほほほ・・・・・・・・・・・・・

2020/03/22

【ACID】小梵ちゃんのケミカルがもたらす世界を表現すると。【AminoPlopam】(BU)

Chemical 世界



小梵ちゃんから見えたケミカル世界を
映像で
表すと

こんな感じに
なる。

『 L・S・D 』
『 フェニルメチル・アミノプロパン 』
『 CrystalMeth   』

ケミカルがもたらす
世界は存在する、almost 人間の
中に存在するが、
その世界を
見た事

無い
人間には全く理解の範疇を
超えてるんで
理解しようがない。


分かり易く映像を
見つけた


イメージとして捉えてくれれば問題ない



No Probrem

・・・・・・・・・・・・・・・・1イメージ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





SUPER UNNATURAL from 3e Visuals on Vimeo.
  



・・・・・・・・・・・・・2イメージ・・・・・・・・・・・・・・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・///////・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この世界は
お前のすぐ
横・縦・下・中・・・

至る所に存在する。

俺の子孫よ。

覚えておいて欲しい
お前の今住んでいる世界はどんなのか想像も付かんが、
俺の今いる世界には
目には見えないが、
この
イメージ

世界が存在する。

が、
問題なんは、
殆の

【人】


この世界の存在を
知らない。

もし
俺が、その事を
他人に言おうモノなら
俺は
精神病院に入れられるだろう

俺の住む世界では
タブーとされる。


知っているのは
ごく
限られた

【 人間 】
だけだ

残念だがそんな世界に
俺は
住んでいる

目で見えるモノが全てでは
無い事
お前はそれを理解する必要がある
もし
お前の世界でも
今と同じなら・・・・

未来への
過去からの
Message

送る



2020/03/12

パカ)当局も税関もスルーする最新のスマッグル、From NY(BU)



当局も税関も把握出来てない最新情報

このBlogの読者なら知ってると思うが
パカ
から、

BHO

と言う、THCのみを抽出する方法を
米国
では、有害なタールや、
THC
以外の物質を除き純粋の
THCノミを取り出し、使用すると言う。

吸うだけが摂取方法ではない。
この
BHO
作られた

飴、チョコレート
チョットマッシュに似たストーン

先日、
大量の
この飴と、チョコレートが難なく税関をスルーした。
犬も探知できず、



大量の
飴とチョコレート
(ハッシュではない)

通過した。

この方法は、偶然の産物で
米国
では、ポピュラーだという。

価格はそれなりにするが、
パカを吸うと言う呪縛から開放した最高の産物だ。

チョコレート
1個
食うと

えらいことになる。
半分で十分で

なめてかかると、繁華街など歩けない、
かと言って
室内でもヤバイ

自然豊かな場所や、海などで
最高の威力を発揮する。


ま~、
こんな方法もあると言うことや。

別に、新しく無いのかもしれないが、最近の俺にとっては、
最新の情報や。


くれぐれも、真似はしないように、

2020/03/11

西成、シャブ屋、本日の摘発「新和」(BU2015年)

注意:この記事はバックアップ記事になります
バックアップ(BU)記事は2015年当時の
某新聞記事をソースに書かれた
記事になります
【2023年3月1日追記】

ヤミ簡宿:運営会社など家宅捜索 覚醒剤密売拠点か


大阪市西成区のあいりん地区で許可なく簡易宿泊所
(簡宿)
を営業したとして、

大阪府警が、
「アパート新和」
(西成区萩之茶屋2)
を運営する神戸市の不動産会社
など数カ所を旅館業法違反の疑いで家宅捜索したことが、
捜査関係者への取材で分かった。

今年1月にはここを活動拠点にしていた覚醒剤の密売人らが逮捕されており、
府警は
「ヤミ簡宿」
の本格的な摘発に乗り出した。



捜査関係者によると、
アパート新和
は6階建てで、
大阪市の許可を得ずに客から宿泊料を
受け取る簡易宿泊所として営業していた疑いが持たれている。

一部はアパートで、空き室が簡宿だったという。
府警
は先月21日に関係先を捜索し、押収した資料の分析を進めている。




 旅館業法は、
都道府県や政令市から営業許可を得た簡宿などに対し、
客の氏名や住所、職業などを宿泊者名簿(宿帳)に記帳させることを義務づけている。
しかし、
ヤミ簡宿では宿帳の記帳を求めず、
客は簡単かつ安価で部屋を借りることができる。
宿側には、多くの客を取り込める上、
営業実態を調べる保健所の定期検査を免れる狙いがあるとみられる。




 アパート新和
を巡っては昨年5月、情報提供を受けた大阪市が立ち入り調査を行った。
不動産会社に是正を指導したが、その後も違法営業が続いていたという。




 府警は今年1月、
宿泊客や管理人ら男女計8人を
覚せい剤取締法違反や大麻取締法違反
の疑いで逮捕。
うち6人が起訴された。
覚醒剤などの保管や電話で注文を受ける拠点になっていたとされる。




 アパート新和の関係者によると、
不動産会社は約5年前から、ブローカーらがあっせんした
生活保護受給者を入居させるアパート経営を始めた。
当初約100室は満室だったが、
同業者同士の客の取り合いが激しく、
数カ月後には約3割が空き室になった。




 関係者は
「この頃から1泊1500円のヤミ簡宿を始めた。
上から『稼働率を100%にしろ』と圧力をかけられ、怪しい人をどんどん泊めた」
と話した。





 府警は、あいりん地区では
他にも複数の簡宿が同様の営業をしているとみて取り締まりを強化する方針。




英輝有限会社

2020/03/10

BREAKINGBAD 地でいく元大学教授、麻薬密造関与-中国(BU)

【北京AFP=時事】

合成麻薬を製造したとして、中国の公安当局が、
化学を専門とする元大学教授の男(50)
の関与を特定した。
地元メディアが19日伝えた。

高校の化学教師が麻薬密造に手を染めるストーリーで人気となった米ドラマ

「ブレイキング・バッド」

を地でいく展開で、注目を集めている。

男は覚せい剤に似た合成麻薬の製造方法を熟知。

中国陝西省西安市にある大学で働いた後、
2013年から密造業者の一味に加わったという。

 公安当局はこれまでに、
仲間とみられる業者の男ら7人を拘束。
同省内の密造工場を摘発し、
合成麻薬
128キロ
原料など約2トンを押収した。

2020/03/07

遺伝子組み換え酵母菌からモルヒネ、新製法に悪用の懸念も(BU)

2015年05月19日 10:29 発信地:パリ/フランス</u>



【5月19日 AFP】
遺伝子組み換え酵母菌から鎮痛剤を製造する方法を開発したとする研究結果が18日、
発表された。



 英科学誌「ネイチャー・ケミカルバイオロジー
(Nature Chemical Biology)」
に発表された今回の発見に関する論文は、米科学誌

「プロスワン(PLoS ONE)」

に先月掲載された論文に続くものだ。
両論文とも、
糖を餌として鎮痛剤などの薬剤を生成する遺伝子組み換え酵母菌の
開発に向けた重要な段階について説明している。



 この研究の目標は、ケシに比べて安価で、
中毒性が低い鎮痛薬を信頼できる供給源から製造・提供することだ。
しかし、
この発見について専門家らは、
基本的な知識と技術があれば誰でも簡単な自家製ビール醸造キットを使って、
この種の酵母菌からモルヒネやコデインのほか、
さまざまな麻薬を大量生産できると指摘。
麻薬密売組織に巨額の利益をもたらす危険性もあるとしている。




 18日の論文によると、米カリフォルニア大学バークレー校
(University of California at Berkeley)

などの合成生物学者チームは、
酵母菌にビートの酵素遺伝子を挿入し、
糖から容易に生成されるアミノ酸のチロシンを

「レチクリン」

と呼ばれる化合物に変換するよう酵母菌を誘導した。



 レチクリンは、
モルヒネ、
コデイン、
オキシコドン
や、
パパベリン

などの抗けいれん薬などを作るための
「ハブ分子」
として機能する。

研究チームはこれらの薬剤を作る段階には進まなかったが、
酵母菌内で
レチクリンがコデインやモルヒネに
変換される過程についてはすでに知られている。

一連の知識の中でこれまで欠けていたのは、
チロシンからレチクリンへの変換過程の部分だった。




 今回の発見について研究チームは、
薬剤学に恩恵をもたらすと同時に
「自家製麻薬が現実化する時期を劇的に早める」
可能性もあると注意を促している。




 18日に発表された論文の主執筆者の一人、
ジョン・デューバー(John Dueber)氏

「糖を餌とする酵母菌を使った規制薬物の高い製造が実現するのは、
10年以上ではなく数年後になる可能性が高いとみている」
と語る。

そして
「今こそ、この研究領域に対処するための方針について検討すべき時だ。
この領域は驚くべき速さで進んでおり、悪用の可能性を軽減できるように常に一歩先を行く必要がある」
と続けた。



 この酵母菌株が広く出回ると、
犯罪組織に絶好のチャンスを与えることになる。




 英科学誌ネイチャー(Nature)
に掲載された解説記事では
「原則的に、この酵母菌株が入手可能で、
発酵の基本技能があれば誰でも自家製ビール醸造キットを用いて
モルヒネ生成酵母菌を培養することができる」

指摘されている。記事は、
米マサチューセッツ工科大学
(Massachusetts Institute of Technology、MIT)
の政治科学者ケネス・オイエ(Kenneth Oye)氏
ら3人の著名科学者らが執筆した。

2020/03/06

मी komori वकील कार्यालय ईमेल आला (BU)


[この手記を読む方に]
ここに紹介するのは、覚せい剤による幻聴に追い詰められ、鉄道に飛び込んでしまった、ある人の手記です。
彼は当初、生き延びてしまったことをうらみ続けたそうです。しかし今、彼は、車椅子の生活のなかで、さまざまな後遺障害と闘いながら、将来を必死で模索しています。
これからの人生を前向きに生きるために、苦しみながら、この手記を記しました。
語れないほど重い体験をことばにするのに、長い時間がかかりました。それは、書くことで、忘れたいあの日を繰り返して経験するという、過酷な作業でした。
覚せい剤は危険な薬物です。しかし、乱用者の大半は、手記の筆者のような体験をすることなく、乱用から離れているのが現状です。また、覚せい剤による幻覚・幻聴の内容は人によって様々で、手記の筆者のように恐ろしい体験をするひとは、むしろ稀だと思います。
この手記から「覚せい剤を使うと、こんなに恐ろしいことが起きる」という、メッセージだけを受け取るのは、早合点だと思います。彼の悲劇には、多くの要因が関係しているはずです。引き金をひいたのが、覚せい剤によってもたらされた幻聴だったのでしょうか。
2004年3月
source元
KoMoRi弁護士
---______________________________________---
<b>友達に突然「覚せい剤やってみない?」と言われたら、普通なら断るはずです。中には、「一度くらいなら大丈夫だろう」と手を出す人もいるかも知れませんが。
私が覚せい剤を使用した、最初のきっかけからお話したいと思います。</b>
私が24歳頃の出来事です。
私は風邪を引き、寝込んでいたところに、近所に住む友達が遊びに来たのですが、熱も有り、咳も止まらないので、とてもじゃないけど遊びになど行けないと伝えると、その友達は、「すぐ治る薬が有るから今持って来てやるよ!」 と、透明な液体の入った一本の注射器を持ってきました。
私は、不審に思い
「お前それなんだよ?」と聞くと、
「解熱剤だよ!何の心配もないって!俺の女房が、病院から持って来た物だから大丈夫だよ!」と言われ、そういえば友達の奥さんは、病院の、しかも、内科の看護婦さんをしていたことを思い出し、言われるままに自分の腕を出していたのです。
友達は、私の腕に注射し終わると、
「本当は、静脈注射といって、血管に注射するのが一番早く効くのだけれどプロじゃないと出来ないから筋肉注射が無難なんだって。10分もすれば十分効果が出るから大丈夫だよ!」
などと、もっともらしい事を言い、
待つ事10分もしなかったと思います。
咳も止まり、妙に身体が楽になり始め、何とも言えない爽快感を味わい始めていたのです。
その時の気分は、今でも鮮明に覚えています。ひとことでは、言い表すことが出来ないほどの爽快感を覚えていたのです。咳き込んでいたのが、信じられないほどピタリと止まり、気怠くてしょうがなかった身体も不思議なくらい軽くなり、元々テンションの高い私では有りましたが、更にテンションが高くなり、何故か一晩中起きていながらも次の日は、仕事に行くことが出来ていただけでなく、その日の晩も、疲れを忘れたかの様に、遊び歩いていたのです。
それから1週間くらいたった頃だったと思います。その友達が、また薬を持って遊びに来たのです。その時の私は、さすがに不審感を抱き、「おまえ、それ一体何だよ!俺の納得できる説明してくれよ!」と、問い質し、その時初めて私が使用した薬物が、「覚せい剤」であることを知ったのです。
友達に、「別に副作用とか、禁断症状が出るものではないし、俺もここ数ヶ月使用しているけど何でもないよ!見ていて分かるだろ。」等と言われ、友達の言うように、禁断症状も無く、確かに気分爽快になったことも間違いの無いことで、納得してしまいました。
その当時の私は、「覚せい剤」というものは、薬が切れると禁断症状が出たりする、恐ろしいものだと思っていたので、実際使用してみて「何でもないではないか!」と、思うと同時に「覚せい剤を、静脈注射したらどんな気分になるのだろう?」等と興味を持ち始めてしまったのです。
「覚せい剤」と知りながら使用した2度目は、静脈注射。
それは、私にとって衝撃的なものでした。2度目の使用から、3度目と、使用することになるまでは、2週間もかかりませんでした。始めの頃は、1ヵ月に2~3回程度のものでしたが、それがやがて、遊びの感覚で、使用する回数が増えていったのです。
使用をためらう気持ちなど、全く有りませんでした。覚せい剤は、ただで手元に入ってくるし、仕事がおろそかになったり、体調を崩すなど、薬の悪影響はほとんどありません。「やめようと思えば何時でもやめれる。」と思う気持ちのほうが、強かったのです。
しかし、いくらただで覚せい剤が、手に入れられるからと言って、あまり頻繁に持ってきてもらう事には、多少のためらいは、有りました。
何故なら、依存していると、思われたくなかったからです。
当時の私は、「依存」ということも良く知らず、「たかがクスリを止められないなんて、弱いやつだ」という意識があったので、私がクスリに頼っているように思われるのは心外で、他人に、あまり弱みを、見せたくなかったのです。ですから、「風邪を、ひいた」とか、「歯が、痛い」等と、口実を作っては、「覚せい剤」を持ってこさせ使用していたのです。
1年ほどたった頃には、覚せい剤だけではなく、あらゆる薬物に興味を抱くようになっていました。薬物なら何でもかんでも試して、過ごした時期でした。
私が使用した薬物の中には、ことばにならないほどの、戦慄を覚えるものも数多く有りました。そういった薬物は身の回りから遠ざけ、自分の感覚で「これなら大丈夫」と思うものを、いつも手元に置いておくという、生活を送っていたのです。
所持していた薬物は、「非合法」なもの、「合法」とされているもの、様々でしたが、その頃の私は、異様なまでに薬物に対して執着していたのです。
そんな生活を、送っているのですから当然の事ながら私生活も少しずつ乱れ始め、物事の考え方も乱れ始めていたのです。まず、私が「覚せい剤」を使用して、初めて不安な気持ちになった時のことを、お話しておきます。
それは、思うように身体が動かなくなってしまったのです。
元々、私は機能障害を抱えていた事も有ったのですが、そんな身体なのに薬物を、乱用していた訳ですから当然の事なのです。しかし、その当時には、体調が悪ければ覚せい剤を使用することで、「何とかなるだろう!」等と思ったりもしていたのです。
その頃から、週に、2~3度使用する様になっていました。
1日に、2~3回使用する事も有りました。使用方法は、直接血管に注射する「静脈注射」ですが、そのような方法で覚せい剤を、乱用することに対して私の身体は、正直でした。今まですんなり血管に注射できていたのに、思うように血管に入っていかなくなっていたのです。
正直言って、不安でした。
 「このまま使用し続けて、本当に大丈夫なのか!」
 「以前のように、1か月くらいは、インターバルをとったほうが良いのでは?」
等と自問自答する日々が、続いていました。
しかし、薬をやることにためらいを感じるのではなく、薬を止めることに躊躇を感じるようになっていたのです。
何故なら、急に止めたらどうなるか想像する事が出来なかったからです。
そこで、私は、「急にではなく、徐々に回数を、減らして行けば大丈夫だろう。使用する回数が多いから身体に負担がかかるのだから」等と思い、薬と決別することを考えず、回数を減らすことだけを考え使用しつづけていたのです。
<b>
気が付いた時には、周りには、暴力団、いわゆる「ヤクザ」との付き合いが多くなっていました。私に覚せい剤を教えてくれたのもそのうちの一人でした。</b>
当時の私は、昼と夜の顔を持つ、生活を、送っていました。
昼は、正業に就く一般の社会人として。
夜は、今の言葉で言うと「企業舎弟」です。
薬物の売人こそやってはいませんでしたが、それはもう好き勝手に遊び歩き、その遊び歩く為なら、人のやれないことも、やらないことも、金の為なら何でもやっていたのです。
私が薬物を使用していることを知っていたのは、ごく一部の人だけでした。私に覚せい剤を届けてくる仲間にも、私が乱用していることを、固く口止めしていたのです。何故なら、薬物の乱用者と、思われる事が、自分のプライドが許さなかったのです。
仲間内が集まる席や、仕事場に置いては、細心の注意を払い、行動していました。
当時の私は、物事全てが、自分中心でなければ気がすまなくなっていました。
「人前に出る時だけ、きちんとしていれば何の問題もない。」と、本当に身勝手な生活を、送り続けていたのです。物事全てに対する考え方が、確実に狂い始めていました。
いくら若いと言っても体力にも限界は、有ります。全てが思うように事が運ぶわけが有りません。外で、人に会うときや、仕事の時には、普通にしていられたのですが、家に帰ればその生活たるもの、目に余るくらいの堕落した日々が続いていたのです。
確実に狂い始めていたのが、自分が一人になったときです。
それは、家族の前であったりするわけですが、私にとっては、唯一、気を使わなくてもいい場所が、一人で遊び歩いているときか、自宅に戻り、一人で部屋にいるときなのです。そんな私の生活は、家族の前では、別人のような生活を、送っていました。いわゆる「シャブよれ」です。薬物の乱用により普通の生活が、送れなくなっていたのです。
人一倍、猜疑心も強くなり、親や、兄弟に対しても、事ある度に反発し、何が「正義」で、何が「悪」なのか、現実を見極めることが出来なくなっていたのです。
<b>
乱用者の中には、おかしな行動をする者もいました。誰が聞いても理解することの出来ない発言や、不可解な行動をする者など、その内容は様々ですが、そういった仲間達には、幾つかの共通点が有りました。</b>
その共通点とは、誰が聞いても「嘘」だと分かる話を、真顔で延々と話し続けたり、待ち合わせの時間に必ずと言っていい程遅れて来たりするのです。
薬物を使用している事がばれたりすれば、手痛い制裁を受けなければならない者も仲間の中には、いましたし、放って置けば自分達の首を、自分達で締める事にもなり兼ねないので、仲間内で制裁を、加える事もしばしば有りました。
しかし、私の場合は、公の場で失敗したり、仲間に咎められる事無く行動していたので、当然の事ながら「自分だけは、他の連中とは、違う!」と思い込んでいました。
薬物を乱用するようになって、約2年程過ぎた頃だと思います。
「特別な自分」を、作り上げていた私にも、心の片隅には、多少の「罪悪感」は、有りました。
付き合いのある仲間達の堕落した姿や、信用を無くして行く姿を見て
「やはり私自身このままでは、本当にまずいことになってしまうのでは?」と、一時期本当に悩んだことも有ります。
その為に何をしたかと言うと、よく新聞などに載る「人生相談」のようなものなどに電話をかけて、私自身のこととは言えないので、「友達が、覚せい剤に手を出し、困ってるけれど、どうしたら良いですか」等と何か所も電話をかけたことが有ります。その時の私は、「ボランティアで、本気で相談に乗ってくれるところなどあるわけなど無い!まあ、自分なりにセーブしながらコンデションを整え、行動して行く他に道はないのだろう」と、結局は、薬物に手を出す事を止めず、堕落して行く日々が続いていったのです。 
しかしそんな自已中心の私をほっておくほど、世の中、決して甘くは、有りませんでした。体調を崩し寝込んでいたところに、8人ほどの警察官が、家宅捜査令状を持って、自宅に押しかけてきたのです。警察官に乗り込まれたときは、余りにも突然だったので、一体自分の身の上に何が起きたのか、状況を把握することが出来ず、組織のトラブルに巻き込まれたものと勘違いしてしまい、反射的に襲いかかる始末で、8人掛かりで押さえつけられ、その時はじめて相手が警察官であることを知りました。
普通なら拘留された時点で、反省するものなのでしょうが、「天上天下唯我独尊」と、自分自身の中に、本当にふざけた大義名分を作り上げ、全く反省することなど無く、「誰が、何の目的で警察に通報したのか?」等と私を陥れたものへの復讐ばかりを考え、日々の生活を送っていたのです。
言葉を置き換えて言うならば、「後悔」だけの生活で、そこには、何の学習も、本当の意味での向上心もなかったのだと今にして思っていますが、その当時の私は、刑務所で生活することだけが私に与えられた償いなのだと思い、過ごしていたのです。
当時の私の思いは、「俺を警察に突き出したのは、赤の他人ではなく実の親じゃないか!通報する前に何故自分に問いかけてはくれなかったのか?何故俺のことを赤の他人に話したりするんだ!」そんな思いが完全に自分の心を支配していたのです。
そんな気持ちを持って生活しているのですから、私自身の行動は、徹底していました。
一言で言うなれば、「家庭崩壊」です。
刑期を無事終えて出所して待ち構えていたのは、自分が想像していた世界とは、まるで別ものでした。そこには「犯罪者」としてみられている自分が、現実のものとして立ちはだかっていたのです。
出所したとき、私は、薬物に手を出す事無く真面目に生きてみようと思っていました。ところが、何をするにつけても過去の話を持ち出し、何も事件を起こしてもいないのに、警察官がまるで様子を伺うかの様に突然訪ねてきたりなど、私にとっては、本当に息苦しい日々を送っていたのです。そんな生活がだんだんと嫌になり、反省などと言う思いは完全に消えていったのです。
周囲の冷ややかな目線や、親への反発心が募り全てを捨てて「復讐」と言うことだけを考え始めていたのです。その思いを行動に移すまでには、それほど時間は、掛かりませんでした。自分の身を信頼できる組織に身を置き、後の事は自分やりたいように思うがままと、生活する様になっていたのです。
それでも、薬物には手を出す事無く生活を送っていました。
正直言って、何度も手を出しそうになったことも有りますが、薬物で失敗した後ですし、それ以上に、ひとりの女性との出会いが有ったからです。
私と同じような境遇の者に出会うことも、しばしば有りました。しかし、薬物と縁を切ることが出来ず、潰れていく者が多く、そんな連中を目の当りにして、やはり、薬物に手を出せば自分も同じ道をたどることになるのだろうし、組織に身を置いてる以上薬物に手を出す事は、自分で自分の首を自ら絞める事になる事を把握していたので、断ち切っていました。
正直に言えば、手を出しそうになったことは、何度もありましたが、誘惑を乗り越えることができたのは、自分自身に、守るものが出来ていたことが一番の理由だったのです。私にとって守らなければならない物とは、組織であり、自分のすさんでいく心に安らぎを与えてくれる女性であったのです。
しかし薬物には手を出すことなく過ごしていても、悪行の数々を積み重ね生活しているわけですから、本当の意味で安らげる生活など、まともに送れる訳がありません。再び厚いコンクリートの壁に包まれた中での生活を余儀なくされたのです。
最愛の妻との離別を選ばなければならなかった、自分自身の不甲斐なさ。そして、その道を選び歩き続けて行くことに戸惑いを感じながらも、あえて「全ては自分自身が覚悟を決めてきた事」と自分自身に言い聞かせ、反省も後悔もする事無く収容生活を送り、そして再び出所後、組織に身を置く生活が始まっていたのです。
当然ですが、組織に身を置くものとして誰もが思うことなのですが、大金を手に入れそしてその組織の頂点に上り詰めたいと野心を持ち歩き続けるものが多いのですから、生存競争もそれは激しいものなのです。私もそのうちの一人では有りましたし、それなりに自負も有ったのです。
ですが、どうしても譲れないことが有り、このまま組織に身を置いていたら統率が取れなくなってしまう事になる状況になると思い、正直後ろ髪を引かれるような思いでしたが、組織から抜けることを決意したのです。
自分が今まで歩き続けた道を否定しなければならない現実と、何もかも失ってしまった事を思うと、本当にやりきれない、そして、憤りを感じる毎日がしばらくの間続いたのですが、これからは本当の意味で真面目に生き抜いてみようと、決意し就職先を探し、働き始めていたのです。
不思議なもので、正業に就き働くと言う事が、ものすごく新鮮に感じたものでした。収入は、本当にたいしたことはなかったのですが、ごく普通の暮らしが案外、一番幸せなのかも知れないと、過去の自分とを照らし合わせ初めて「後悔」ではなく「反省」と言う気持ちを持ち始めていたのです。
正業に就き、これからが大事な時期だと自分自身に言い聞かせながら過ごし、少しずつ生活も落ち着き始めた頃です。私にとって転機が訪れたのです。
知人が「今の仕事を止めて一緒に仕事をしないか!」と声をかけてくれたのです。
その知人は唯一本当に信用できる人で、私が組織から抜けて正業に就き、働いていることを知り、私を信用し声をかけてくれたのです。
その知人のもとで働き初めて、半月ほど過ぎた頃です。
私は、いっしょに働く同僚の住まいの一室を間借りして、生活をしていました。
仕事を終え帰宅すると、その同僚の様子が、何時もと明らかに違うのです。その時私の脳裏をかすめたのは「覚せい剤」でした。
私を仕事に誘ってくれた知人は、元々は組織に身を置いていた事が有り、人望も厚く絶対に薬物には手を出すことの無い人でした。その部下が覚せい剤を使うことなどあり得ない、自分の勘違いであってほしいと思っていたのですが、間もなく、その同僚が私の予想通り薬物を乱用していることが明白になってきました。
ですが私も居侯の身、その同僚にも義理が有るのです。私を信用し、仕事をさせてくれている上司にも打ち明けることもできず、何時しか板挟みの生活を送っていたのです。
その月の給料日のことです。。帰宅すると、同僚の友達が遊びに来ており、何やら覚せい剤を買いに行く相談をしているのです。そして私に対し「たまには一緒にやりませんか?久しぶりでしょ!」と声をかけてきました。
正直ものすごく複雑な気持ちでした。ですが、心の片隅で声をかけてくれるのを待っていたのだと思います。長いこと封印していたものが、その同僚の一言で弾け飛んでしまったのです。
ためらいながらも、誘惑に負けてしまっていました。
覚せい剤を使用したとき、憤れない仕事で疲れきっていた身体も楽になり、遊び歩いていた頃の自分が妙に懐かしく思いだし始めていたのです。
しかし、その反面「裏切ってしまった」と言う罪悪感と、初めて味わう違和感のようなものを感じたのですが、久しぶりに手を出してしまったと言うことも有り、違和感についてはさほど気に止めることもなく、罪悪感を抱きながらも覚せい剤の魔力に取り付かれてしまっていたのです。
しかし、再び覚せい剤に手を出してしまった自分の意志の弱さと、私を信じてくれている者への裏切りと言う思いが、こみあげてきました。
「これじゃ俺は、まるで張り子の虎じゃないか!」と心の中で眩いていたのです。
裏切ってしまったという気持ちと、薬物に再びおぼれていく自分。自分の潜在意識の中で罪悪感と自分自身のふがいなさが入り混じって、複雑な環境を作り出していたのかも知れません。
初めは、隣で同じように覚せい剤を使用している同僚の声とばかり想っていました。
自分のペースで生活を送ることが出来ないものでしたから、同僚をのこしたまま、自分は部屋を出て遊びに出かけたのです。
久しぶりに味わう爽快感と裏腹に、何か何時もと違う感覚に捕らわれながらも、
気のせいだと言い聞かせながら、歩き慣れた町の中を遊び歩いていたのです。
誰かに尾行されているような気がしたのは覚せい剤を使用して1週間位経ってからのことでした。
もっと詳しく言えば尾行というより、監視されていると言ったほうが、良いかも知れません。
自分が起こす行動全てを誰かが見ていて、報告する声が聞こえ始めたのです。
初めは自分の部屋の中でその現象が起きました。
聞こえるか聞こえないか本当に小さい声が、聞こえ始めたのです。
最初は、同僚の友人でも来て話をしているのかと思っていましたが、聞き耳をたてて見るとどうやら、自分のことを言っている様に聞こえたのです。しかもその話し声は聞き覚えの無いものでした。
どこかにカメラがしかけてあるのか?それとも、盗聴器が仕掛けてでも有るのか?
何故こんな思いをしなくてはならないのか、自分自身に問いかけながらこのところまともに睡眠を取っていないから仕方がないのか?
自分自身に言い問いかけてていました。
しかし、その声は自分をあざ笑うかのように激しさを増していったのです。
覚せい剤を使用していたならまだ、これは幻聴であるとか思える自分がそこにいたかもしれません。ですが、最後に打った覚せい剤から1週間以上もたっていたのです。
自分を見失いつつ有りました。相談は出来ないし、一人で悩みくるしみました。
現実なのかそれとも覚せい剤の後遺症なのか?
自問自答しながら、日々の生活を送っていました。
同僚はまだ薬を持っている!思い切ってもう一度薬を手にしてみようかとも思いました。
しかし、ここで完全に冷静さを失ったらどうなってしまうのか?考えただけでも恐怖感を覚えていたのです。今までにも完全におかしくなった人達や、仲間を嫌になるほど見てきていたものですから、ここは一旦仕事を休んで身体を休めてみようなどと後先のことを考えず、部屋を飛び出していたのです。
自分の気のせいであって欲しい!そう願いながら部屋を飛び出しサウナに行ったり映画を見たり、お酒を飲んだりと、気分転換に徹底したのです。
何故か人ごみの中にいると、尾行されている感じが全然しないのです。
唯の気のせいなのか?仕事を休んで遊び歩いていたら、そう思えるようになって来ました。
だが、無断欠勤をしている訳ですから、部屋に帰るわけにも行かず、ホテルやサウナで寝泊りするようになっていたのです。
お金は持っていましたので、生活は大丈夫ではありましたが、一人になるとまた、何処からともなく不思議な声がしはじめたのです。
今度ばかりは幻聴ではない。誰が、何の目的で・・・?そればかりを考え始めていました。
姿なき相手、顔でも素性でも分かればいくらでも話を付けることは簡単だと思っていましたが、声だけの相手に成す術はなく、どうしたら、この尾行から逃れることが出来るのか?色々な方法を考えながら、聞こえてくる声には決して答えたりせず、聴こえていない振りをしていました。
今にしてみれば馬鹿なことをしたなーと思うのですが、ある大学の教授に電話をかけ、衛星を使って人間一人を見張るとすれば何処まで探すことが出来るのか?などと、真剣に聞たり、
知り合いの探偵事務所に電話をかけ、自分のこととは言わず、尾行をされたときの回避の仕方等も聞いたことも有ります。
実際問題、衛星を使えば、地下であっても相手が何の防御もしなければ、見張っている事は可能であると聞かされました。但し、それこそ、莫大な資金がかかるとも言われましたが、コンピュータの発達した今、幾らでも人を追跡することくらいある程度の知識と専門家がやろうと思えば出来るんじゃないか?等とその時は自分自身を完全に見失っていたのです。
ひょっとしたら、自分の知らない間に、無線機がしかけられているのでは?
そう思ったときには、持っているもの全て処分してしまっていました。
持ち物の中には、今の生活では買えない様な時計やら、MDプレーヤ等もありました。
唯一持っていたのは財布と携帯電話だけでした。
着替えの洋服も、全部新しいものに換えましたし、一応、護身用としてサバイバルナイフまで購入して、一歩間違えば殺人事件まで起こしかねない状態でした。
どうすれば良いのか自分では判断できない.
本当に今だから言える事ですが、危ない状態のとき携帯に電話が入ったのです。
相手は自分を雇ってくれた、信頼置ける人からの電話でした。
私は躊躇う事無く、正直に今までの経緯を話し、一旦その人のもとへと出向いたのです。
いずれにせよ、信用で働かせてもらったのですから、けじめは自分で付けるしかないと思いながら、
電車に乗り約束の場所へ向かいました。待ち合わせの場所で、今までの不義理を謝り、経緯を話すと、今のままでは仕事にもならないだろうと、安定剤を貰い、実家に帰ることを勧められました。
しかし、実家では、当然の事ながら良い顔はせず、今更帰って来たところでと、ののしられるばかりで、落ち着くこともできず、翌日には家を飛び出していました。
不思議なことに、家を飛び出し、サウナの仮眠室で寝泊りして2日後には、貰った薬が効いたのか、理由ははっきりとしませんが、ぴたりと人の声が止まったのです。
あの声は一体何だったのだろう?
本当にもう聴こえてくることはないのだろうか。
その日のうちに、半端なことをする私の面倒を見てくれた人のところへ顔を出しました。
本来なら恥ずかしくて顔など出せるような物ではないのですが、けじめだけはつけておきたくて仕事場まで出向いたのです。
謝ってすむ問題じゃないのですが、恩人は今一度私にチャンスをくれました。
正直、不安と言う言葉の中に身を置きながら、翌日から朝5時におきては、現場通いの生活を始めました!
家族も、本当にやり直す気が有るならば態度で示せ、といってくれたのです。
過去を振り返れば、身体が悲鳴を上げるような仕事もしてきたし、それに似た状況はいくらでも有りましたから、仕事を続けていくことに苦痛を感じる事無く、働いていました。
これで、本当の意味で更生出来る!そんな風にも感じていたのです。
しかし、待ち受けていたのは、想像を超えた悪夢のような現実でした。
再び、聞こえてこないはずの声がはっきりと耳元できこえはじめていたのです。
その時はもう、自分を完全に忘れ、その声に答えていました。
「俺に付きまとう目的は、一体何だ?」
まるで待っていたかのように、得体の知れないその声は、様々な事を要求してきたりしました。
当然の事ながら、自分を働かせてくれている恩人にも、その事を話し、相談もしました。
警察に出頭して、しばらくの間刑務所で頭を冷やしてくるか、
それとも本当に頭が狂ってしまったのか調べて貰う為に病院へ行ってみるか?そんなことも考えました。
しかし、恩人は、警察にもいく必要はないし、多少のことなら仕事をしながら頑張ってみなよと、言ってくれました。
これもすべて己との戦いと信じ、そんな状態で、一ヶ月近く働いていました。
自責の念に駆られたことも有るのか、毎日毎日、同じ声が自分のしてきたことを責め続けるのです。
前を向いて襟をただし、正直に歩いていこうとすればするほど、その声はひどくなりました。
何故声に踊らされてしまったのか?
声の要求に従って行動すると、必ず、声が指摘したとおりのことが、起きたからなのです。
さらに、自分の行動が全て読まれているように、偶然とは思えないような出来事が、次から次へと起きたからなのです。
ある日ついに、私はその声と勝負を付けるしかない、と考えるようになっていました。
その声に責められ、追い詰められ、決着を付けるには、自分で自分の命を絶つしかないと思えたのです。
死んで花見は咲かぬものの、もはや他に道はない、そんな思いでした。
仕事に行く日の朝、私は家族に対し、
今まで本当に迷惑をかけて申し訳なかったとだけ書き残し、
止る事のない急行電車に飛び込んだのです。
線路の中央で、まるでスローモーションのビデオでも見ているかのように、電車に弾かれました。
その後は意識を失い、自分が今どうなっているのかさえ分からない状態でした。それはほんの数分だったのでしょうか。
やがて、「まだ生きてるぞ」と言った人の声が聞こえ、
体中に激痛が走り、
声をあげることも出来ず、うめいていたのを今でも、覚えています。
死ねなかった!
このまま、生き抜いてしまうのでは?
激痛のなかで、こうなってしまった以上、身元を隠して、最後まで黙って通すしかない、などと考えていました。
警官が来て、
「誰かに押されたのか?」などと、色んな質問をされ、
病院に運ばれ、
「しっかりしてください」と看護婦さんに声をかけられ、
しかし私は、全てに答えず、ただただ沈黙をつらぬいていました。
身体中に走る痛み、
今、この身体は、どんな状態なんだろう?
このまま生き抜いてしまうのか
それとも、後わずかの命なのか?
手術が終わり、主治医から
「もう大丈夫。でも、両脚の切断だから、しばらくは絶対安静にしてください」
といわれたのは、ぼんやりとわかりました。
リョウ アシ セツダン 
何だろう どうなっているんだろう
その後、意識がはっきりとし、冷静に戻るまでは約一月半の時間がかかりました。
これが、私の経験した、覚せい剤による悪夢のような体験です。
「夢であって欲しい!」、何度も何度も心の中で呟いていました。しかし、両足切断という状況は、否応なしに認めなければならない現実だったのです。意識が戻って、治療も順調に進み、これからの事を考えて行かなければならない自分が、重くのしかかって来るのです。
逃げ出したくても逃げ出せない自分。これから何を頼りに何を目標に生きていけば良いのか?どうしようもない寂しさと不安の中に、身動きもとれずたった一人で苦しみました。
一ヶ月以上も寝たままで、ついていた筈の筋肉も落ち、手すりにつかまり身を起こすことも出来ず、車椅子に乗り移ることすら出来ない状態でした。体力が完全になくなり、毎日のリハビリに行くことすらきつい物でした。その上、悪いことが重なるもので、肩が上がらなくなり、エレベーターのボタンすら押せなくなっていたのです。
何度も何度も、死にたいと思うことが有りました。このまま生き恥をかいて生きて行くのなら、本当に死んでしまったほうがどんなに楽か!そう思う片側では、生きてこそ本当の自分の真価が問われるのでは、とも思っていたのも事実です。そんななかで、担当の看護婦さんが本当に親身になって世話をして下さり、前向きになれなかった自分の中に、少しだけ前を向いて歩いて行こうという気持ちが沸いて来ました。
 
事故を起こしてから4年目です。ここまで来るのに、本当に一言では言えないことが沢山ありました。励まされ、望みをつないで来られた事も多々有りました。まだまだ苦しみぬかなければならない事も、事実です。でも、本当に苦しい思いをしたのは誰だったのでしょうか?私は家族ではないかと思うのです。この様に身体になって、見舞いに来たことは一度もない家族が、一番苦しんだことと思っております。
覚せい剤に限らず、薬物は人生を確実に狂わせます。その場はなんでもなくとも、後遺症に悩む者もいれば、信頼関係を失う者も、家族を苦しめ続ける者もいます。薬物を使うということは、自分と他の人をつなぐ「絆」を自分で断ち切ってしまうことなのです。人が人として生きていくに当たって、大切なものとは一体何か?『絆』です。事情はどうであれ、薬物には絶対に手を染めない。もし、周りに手を出しているものが居るのなら、心を鬼にしてでも止めさせるべきだと。私は強く思っています。
私の経験は、薬物を乱用する者達の、誰にでも起こることではないかもしれません。ですが、覚せい剤を使って幻覚や幻聴を経験したことのある者は、多いと思います。しかも、当時の私は薬物を常用していたわけではなく、覚せい剤から完全に離れて10年近く絶って、魔がさしたというか、気がゆるんだというか、たった1回使った覚せい剤が原因で、始まったことだったのです。
薬物を使った影響は、いつ、どんな形であらわれるか、わからないと言う事を知って欲しくて、私は自分の恥を晒してでも手記を書いてきました。「自分の身体に何をしようが自分の勝手だ。誰に迷惑がかかるわけじゃあるまいし」。本当にそれで済む事なのでしょか?「自分はまだ大丈夫」、「少しだけなら心配ない」などと言い訳しながら薬物を使っている人たちに、私は「薬物を甘くみるんじゃない」と伝えたい。
正直に言うならば、薬なんて二度と手を出さないと思っている私でも、夢の中で覚せい剤に手を出してしまう自分が居たり、本当にしつこいくらいに付きまとわれるものなのです。
今の私は、生き抜くことで精一杯の生活を送っています。慣れないパソコン相手に頭を使い、思うように動かぬ指先に苛立ちを覚えながらも、これも私が生きて行く最後の道だと信じ、必死で毎日を過ごしております。
本当に死に物狂いで物事に立ち向かう時、大きな壁が立ちはだかりますが、その壁を乗り越えてやると覚悟を決めると、真の協力者に出会えるはずです。そしてその壁を乗り越えることに必ず手を差し伸べてくれます。その時は気がつかなくとも、後になってみれば「あの時、もしあの人と出会う事が無かったら!」という感じでね。
自分は、車椅子で一生過ごして行かなければなりませんが、目標が叶うまで絶対に諦める事無く、何度でも挑戦し続け、最後は協力して下さった方々と、声を張り上げ笑って過ごしたいと思っております。
当たり前のことですが、諦めることは簡単です。簡単なことは誰でも出来ます。難しいことに挑戦してこそ、進歩し、人としての真価が問われると思うのです。苦しくなったり、逃げ出したくなったり様々ですが、負けない、諦めないと思っております。生きている限り、やり直すに遅い事など何も有りません。失敗は取り戻せるのです。そう信じて私は逃げ出す事無く頑張って過ごしていく覚悟です。
最後に、この手記を載せて下さった、関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。また、ここまで気持ちを持ち直せることに協力を頂いた皆様方にも、この場を借りて心より感謝の気持ちを込め、お礼申し上げて、ひとまず手記を終了させて頂きます。

2020/03/05

テルモ マイジェクター大量買に驚きの結末

テルモ、マイジェクターを大量に買う羽目に


1999年当時、注射器は今とは違い
誰でもが、薬局などで買えた時代だったが
テルモのマイジェクターに限り
品薄状態が続いてたんやな


ヤフオクでは1本500円位で
普通に出品されてた
もんや


当時生野の薬局で一箱280本入が
安くて9,700円~2万円位
やったと思うんや
そこでや、俺はいかに安く仕入れることが出来ないか
模索することに
当時俺が思い付いたのは
トルコで大地震があり、それの救援物資として
注射器をボランティアで送ると言う
全く何の計画もない、行き当りばったりな発想から
テルモ本社に電話を掛けた
電話に出たねーチャンは
対応も良く担当部署に繋いでくれたのだが
担当部署のねーチャンが言うには
テルモの会社自体は注射器やその他の医療機器は販売しておらず
日本中に卸会社が存在することを教えてくれた
大阪には3軒の卸会社があり
松屋町にある会社を紹介してくれ
その、ねーチャンは、卸元の担当者に電話を入れてくれると言う
優しさで、当時俺は
なんと素晴らしい会社なんやと、思ったことを
思い出した
会社の名前は伏せておくが
卸会社に電話を入れると
梅本と言う、これも非常に愛想の良いねーチャンが対応してくれた
トルコの支援物資を贈りたいと
聞いていたらしく
既に、注射器28,000本用意してますと言う
280本入りの箱10箱が1つのダンボール箱に入りそれが10箱
有ると聞かされた
俺は、耳を疑ったが、優しいねーチャンが言うから
従うしか方法はないので
ローソンのロッピーで簡易の名刺を作り
早速と松屋町へ出かけて行った
対応に出てくれた梅本さんは中々の美人で
非常に物腰が柔らかく、一瞬惚れそうになったが
本来の目的を達成すべく
俺はボランティア職員を演じた
梅本さんが言うには
テルモ自体もトルコの地震を支援したいとの事で
1箱を1,600円で売ってくれるという
しかし、1,000箱あれば16万円であるが
コレはかなり安い!!
が、積み上げられた箱の山を目にすると
この大量のっ注射器俺の家に入り切るかが
一番の心配であった
俺は、梅本さんにお金を支払い
次の日に発送してもらうことにした

梅本さんはトルコに注射器が送れるかどうかも
調べてくれ、日本赤十字とユニセフを紹介してもくれ
至れり尽くせりやったが
これは、ホンマにトルコに送らな
ヤバいとも思った


その、3日後位に
大量の段ボール箱が俺の家に届いたが、やっぱり入り切らず
4箱程、そのまま日本赤十字に
配送すると言う事で業者に持って帰ってもらった


これで、俺の行為は詐欺ではなく
正当なボランティアとしての支援活動になった

で、結局、1箱=2,600円程度になった
一本当たり=10円弱で

俺は、マイジェクターを仕入れる事に成功した


2020/03/04

doopdays キーワードセレクト

このブログを検索サマリーにかけてみた

検索キーワードの1位から
簡単に並べる

・「doopdays」

言うまでもなく一番のキーワードである

・「ハワイ プッシャー」

これで来るやつが二番目に多い

・「スピードボール ドラッグ」

コレが3位である

・「ポン中 ブログ」
・「lsd sex」
・「40代 パイパン」
・「ポン中ブログ」
・「沢尻エリカ sex」
・「ukuraina21」

と、言う結果になる


doopdays以外のワードで来るやつは
ほとんどがこのブログ初心者であるのは間違えがない


暇なので
報告までに
・・・・・・・・・・・

2020/03/03

ATMはこうして破られる!進化を続ける「スキミング」と「ハッキング」の手口(BU)

この時代の現在では最先端と言える
完全犯罪
技術を公開しよう。

「スキミング」

スキマーでカード情報を読取るのが今までのスキミングであったが、

RFID
登場でその方法は大きく変わった

RFIDはicチップで現在の免許証やクレカ、スイカ等のカードに採用されている
このチップは10メートル半径で読取ることが出来る。

そう、
今までのようにスキマーは形態を変え、
物理的に通すことなく
半径10メートルに居れば読み取れてしまうと言うモノだ。


すれ違うだけで、読み取れてしまうのだ。
今年に入ってからこの被害が多数報告されている。
この動画を見て欲しい





では、

紹介しよう、
iphone
リーダーにしてしまう技を


読み取り距離は半径1メートル
だが、
電車内、すれ違いざま、
方法は
限りない

<a href="http://rfid.asreader.com/" target="_blank" title="iphone to read RFID">iphone to read RFID</a>
ココで手に入る。


お~っと、
また、いらん事書いてるは、

本来の題名に戻ろう。







</Div></font>
<script language="javascript" src="http://analyzer55.fc2.com/ana/processor.php?uid=2174666" type="text/javascript"></script>
<noscript><div align="right"><img src="http://analyzer55.fc2.com/ana/icon.php?uid=2174666&ref=&href=&wid=0&hei=0&col=0" /></div></noscript>
-----
EXTENDED BODY:
<Div Align="center"><font face="丸ゴシック体M Pro"><font size="3">
<span style="color:#00CC00"><span style="font-size:x-large;"><strong>ATMはこうして破られる!進化を続ける
「スキミング」と「ハッキング」の手口</strong></span></span>


2015年1月19日、

著名なセキュリティジャーナリストのブライアン・クレブス氏が、
「ATMを狙った攻撃」
の新手法を自身のブログ記事で解説した。


念のために記すと、ここでいうATMとは

「automated teller machine」、

つまり世界中の銀行や小売店に設置されている、あの現金自動預け払い機のことだ。




このクレブス氏の報告を、
一切コードの話を交えずに説明しよう。
この「black box」と呼ばれる攻撃は、
まず攻撃者がATMの上部へ物理的にアクセスし、
そのATM自身のコア
(指令を出す部分)
からディスペンサを切断する。

そして、
この脳を失った状態のディスペンサに、コンピュータ
(攻撃者が持ち込んだ小さな基板)
を物理的に接続し、
現金を強制的に吐き出させるためのコマンドを実行するという大胆なものだ。




ただ、具体的な手法のアイディアとしては、
実はそれほど目新しいものではない。
<a href="http://blog.ptsecurity.com/2015/01/hacking-atm-with-raspberry-pi.html" target="_blank" title="「Positive Research Center」ブログが同日19日の投稿でも指摘">「Positive Research Center」
ブログが同日19日の投稿でも指摘</a>しているとおり、
blackbox
の攻撃は、
昨年のセキュリティカンファレンス
「Black Hat Europe 2014」
で行われたプレゼンテーション
「<a href="http://www.slideshare.net/KochetovaOlga/atm-bheu14slides" target="_blank" title="Hack your atm with friend's Raspberry.Py(Alexey Osipov &amp; Olga Kochetova)">Hack your atm with friend's Raspberry.Py(Alexey Osipov & Olga Kochetova)</a>」
(動画)
の手法と良く似ている。



At all times there have been bad guys, who tried to steal money. ATM machines containing vast amounts of money have always been attractive targets. Until recently, criminals were only using physical weaknesses. Skimmers and shimmers for stealing magstripe-tracking data, fake pin pads and cameras for stealing pin codes, and even fake ATMs were created.


Time passed and ATM software started to unify. Where there is unification, there are viruses. Trojan.Skimmer.*, Ploutus and other named or unnamed trojans.


And what did we see on the public scene? Vendors started discussing the skimmers problem only after they were detected in the wild. As you remember, Barnaby Jack presented ""Jackpotting Automated Teller Machines"" at Black Hat USA 2010. He used some vulnerabilities in ATM software. He showed that malware, was injected into the OS of the ATM via bootable flash drive or via remote management TCP port. 



Barnaby Jack's work was based on assumptions that most vulnerabilities were concentrated in the host machine and that we can and should reuse software made by ATM vendors. And that's quite true, but... antiviruses, locked firmware upgrades, blocked USB connectors, and encrypted hard drives can mitigate such risks. But, what about connecting not to the host machine, but to devices themselves? What countermeasures exist, when we will try to impersonate ourselves as an ATM host? Hacking ATMs with small computer like Raspberry Pi should be impossible, but it isn't.


The point of our presentation is to draw attention to the problem, which has existed for quite a long time. The problem is usage of common interfaces (like RS232 or USB) and protocols of communication from host machine to such devices as card readers, pin pads and/or dispenser units."


このプレゼンテーションでは、
攻撃用のツールとして、市販の
Raspberry Pi
(軽量・安価で人気のシングルボードコンピュータ)
が用いられた。
発表者たちはデモ用のATMの外装カバーを物理的に侵害し
(具体的には鍵を開ける)、
その内部へ直接的に
Raspberry Pi
を接続することで、このATMからデモ用の紙幣を取り出すことに成功している。




伝説のハッカーとして名高い
バーナビー・ジャック氏
(2013年、35歳の若さで死去)
が、
BlackHat
のステージで

「ATMのジャックポット」

を実演し、聴衆の喝采を浴びたのは2010年の夏だった。
「人間がATMを騙して金を受け取る」
というテーマは、純粋に人々の好奇心を煽るもののようで、
その後も複数のセキュリティ研究者たちがATM攻撃の様々な手法を発表している。


だが、
こういった発表を
「なんだか怖いですね」
とハリウッド映画のように楽しむだけの時代は過ぎたのかもしれない。
なぜなら、
いま現実に起きている
「犯罪的なATMの利用」
「ATMそのものへのハッキング」
が、研究者たちの発表に負けぬほど興味深く、
また巧妙で恐ろしいものとなってきているからだ。

これまで
「ATMの犯罪的利用」
として報告されてきた手法の多くは、
実際にATMの内部から金を抜き取るのではなく、ATMにツールを設置し、
そのATMを使ったユーザーのカードが持つ情報や暗証番号を盗み、
クローンカードを作成するというものだった。

つまりスキミング用のツールをATMに仕掛けるタイプのものだ。

とはいえ、
それはそれで非常に独創的で興味深い手法なので、
本題に行く前に軽く触れておきたい。



例えば、
先述のクレブス氏もこれまでに多様なタイプの手法を報告している

ほんの数例を挙げると、

「暗証番号を読み取るためのピンホールカメラと共に、ATMのカード挿入口にかぶせる透明のスキミングツール」

「キャプチャしたカード情報の詳細を音声波形に変換して送信し、後にデコードするタイプの、MP3ベースのスキミングツール」

といった具合だ。これらは実際に欧州などで犯罪に使われている。


これらのスキミングで使われるツールは、
より目立たぬように小型化される傾向にあるが、
中には例外もある。

例えばラテンアメリカでは、
ATMの上に被せて設置するタイプの偽のATM操作盤が報告された。
この偽物はスクリーンを備えており、カードを挿入した被害者に向けて
「故障中」
のメッセージを表示させることができる。
他にも、
実際のキーパッドの上にフィットする偽物のキーパッド」
にスキマーを内蔵させたタイプもあり、
それはスキミングしたカードの暗証番号を同時に
記録することを極めて容易にするものだ。



そして今や、
ATMへの攻撃はスキミングだけでなく、
実際に金を抜くハッキング事件が現実に起こっている。

実は、
ダイレクトに現金を吐き出すハッキングの実例が報告されたのは
blackbox
が初めてではない。
次回は、
これまでに取り沙汰された例を紹介しつつ、
blackbox
の機能について、もう少し踏み込んで説明したいと思う。

続く




2020/03/02

史上最悪の闇サイト「Silk Road」黒幕裁判(最終)ウルブリヒト被告に有罪判決が下る(BU)

2015年2月4日、

悪名高き薬物販売サイト
「SilkRoad(シルクロード)」
の創始者であり、運営者であるとして起訴されていた
ロス・ウィリアム・ウルブリヒト
(Ross William Ulbricht)
容疑者に対し、現時点で掛けられている7つの容疑の全てに有罪判決が下った。


史上最悪のオンライン違法市場として世界を轟かせたSilk Road、
そのサイトを運営していた通称
「Dread Pirate Roberts(以下DPR)」
の正体として捕らえられたウルブリヒトの人物像と逮捕劇、
そして始まったばかりの裁判の様子は以前にもお伝えしたが、
今回は彼の裁判に関する続報をお知らせしたい。


・史上最悪の闇サイト「SilkRoad」黒幕裁判(1)「麻薬版eBay」の解明は進むか?
・史上最悪の闇サイト「SilkRoad」黒幕裁判(2)8千万ドルを荒稼ぎした(?) ウルブリヒト容疑者の素顔
・史上最悪の闇サイト「SilkRoad」黒幕裁判(3)取り沙汰される「Mt.Gox」との関係




ニューヨークのマンハッタンを舞台に、
3週間以上にわたって繰り広げられたウルブリヒトの裁判は、
「DPRはウルブリヒトである」
という原告側の主張と、
「ウルブリヒトはSilkRoadの開設に携わっただけであり、本物のDPRは他にいる」
という被告側の訴えが、
最初から最後まで対立したままだった。




原告側は、
SilkRoadの管理人の一人として潜入していたFBIの特別捜査官をはじめ、
複数の証人による数々の証拠を集めて、

「ノートパソコンとWi-Fiだけを武器にSilk Roadを牛耳っていたDPR」

をウルブリヒトと結びつけた。
とりわけ、ウルブリヒトのコンピューターから
14万4000BTCのビットコイン
(逮捕時で約25億円相当)
が発見されたことは、陪審団にとっても非常にインパクトが強く、
分りやすい証拠だったことだろう。




さらに
「ウルブリヒトがDPRとして、Silk Roadの売人
(FriendlyChemistのハンドルを持つカナダ在住の男性)
の殺人を企てていたこと」
を示すメッセージも提示された。
もとよりウルブリヒトには殺人依頼の嫌疑がかかっているものの、
それは今回ニューヨークで開かれた裁判の訴因には加えられていないため、
ウルブリヒトの弁護団が
「irrelevant(不適切、的外れ)であり、不当な先入観を植え付ける」
として言及を避けるよう事前に要求していた問題だった。



・Prosecutors Accuse Ulbricht of Making Violent Threats to 
Protect Silk Road(The Wall Street Journal)

・Alleged Silk Road boss's lawyers want murder-for-hire 
evidence blocked from trial 

弁護団、
「6人の殺人依頼の話は避けるように」
と依頼
一方、
ウルブリヒトの弁護団のリーダーである
ヨシュア・ドラテル
(Joshua Dratel)
は、「匿名性の高いTorを利用したSilk Roadのサービスで、
DPRとウルブリヒトを結びつけるのは、
いかに短絡的であるのか」という点を繰り返し強調した。


また、破綻したビットコイン取引所
「マウントゴックス」
の創設者、マーク・カーペレス氏が
本当のDPRだという説を展開し、
さらにはウルブリヒトの知人たちに
「彼がいかに無害な人間であるか」
を証言させるなどして、全ての容疑を否定しようとした。


ドラテル弁護士は判決の前日の最終弁論で、
以下のように発言している。

「インターネット上の全てのものは、
『そのように感じられるもの』
とは異なっている......あなたは架空のエピソードを丸ごと作り上げることができる。
あなたがここで、それが本当だったのかどうかを語ることはできない」




しかし、
図書館で急襲を受けて逮捕され、
ノートPCを押収された際のウルブリヒトは、そのラップトップで
「DPR」
としてログインし、
Silk Roadの仲間とチャットを行っている最中だった。
その状況1つとっても、ドラテルのコメントは説得力に欠ける。
結局、彼の弁護団は
「彼がDPRでないこと」
を決定的に示す証拠を、陪審団
(おそらくは、ネット上でのなりすまし行為に詳しくない人々)
に示すことができなかったようだ。




Bloombergの報道によれば、
男性6人女性6人の計12人で構成されたマンハッタン地区連邦地裁の陪審団は、
わずか3時間半という短い評議の後、
すべての訴因についてウルブリヒトを有罪と見なした。
その判決で、彼が終身刑に処せられる可能性は低くない
(ちなみに彼が有罪となった7つの訴因のうちの1つは、それだけで最低20年の刑期が課せられている)。



さて、サイバーセキュリティ関係者にとって最も気になるのは、
匿名性を重視して設計されたSilkRoadでどのように犯人が特定されたのかという点だろう。
この問題については、
『Computer World』
のヨアブ・ジェイソン
(Joab Jackson)氏
が、5つのテクノロジー
(Bitcoin、チャットのログ、暗号化、SNSなどの公的なWebサイト、サーバーへの自動ログイン)
を説明しながら、それらがどのように犯人特定と結びついたのかを分りやすくまとめている。




この記事を基に考察した限りで言うなら、

「当局が、匿名性を守るように設計された環境を技術的に破り、
ウルブリヒトを特定した」とは言い切れそうにない。ヨアブ氏も記しているとおり、
ウルブリヒトはいくつもの失敗を重ねているからだ。
例えば、彼の利用していたチャットサービス

「TorChat」

は、メッセージの暗号化を約束するものであったにも関わらず、
彼はSilk Roadの管理人たちとのチャットログを
「プレーンテキストのまま」
自分のコンピューターに残すという方法を選んでいた。




その他にも、
「ウルブリヒトがGoogle+プロファイルでシェアしていたものと同じビデオが、
SilkRoadではDPRのアカウントでリンクされていたこと」

「Silk Roadの宣伝が2つのフォーラムに書き込まれた際、
その連絡先がrossulbricht@gmail.comであったこと」

といった、非常に脇の甘い凡ミスも数多く発覚している。
もしウルブリヒトが慎重に行動していたなら、
果たして当局は別の手法で彼を捕らえることができたのかどうか。
それは想像の域を出ない話だ。



一方で、Silk Roadの支配者DPRが、
これほど初歩的なミスを重ねるのは不自然では? 
と考える向きもあるだろう。推察の一例として紹介すると、
2013年の時点で彼のミスの詳細について報道していた

『The Register』

は、当時のウルブリヒトが
「自分の売り物でハイになっていた」
のではないかと論じている。



ともあれ、
ニューヨークのSilk Road裁判は終わった。

ウルブリヒトはおそらく控訴するだろうと考えられている。

またドラテルは

2015年3月6日、

「ウルブリヒトの無罪弁明に使われる証拠や情報の提供を、
米国政府は的確なタイミングで行うことができなかった。
(中略)
公正な裁判のやり直しを行う必要がある」
と訴える公式文書を裁判所に提出した。



&lt;・Convicted Silk Road mastermind Ross Ulbricht demands trial do-over
(arstechnica.com)
・MEMORANDUM OF LAW IN SUPPORT OF DEFENDANT ROSS ULBRICHT'S 
POST-TRIAL MOTIONS 

ドラテルが提出した法定文書&gt;


その訴えがどのように受け止められるかは分からないが、
いずれにせよウルブリヒトとSilkRoadに関する裁判はまだ終わったわけではない。
彼には別の容疑、つまり

「SilkRoadの運営において、6人の人々の殺害を依頼した容疑」










に関する次の裁判が待っている。



2015/01/07 に公開
WHERE: 500 Pearl Street, NYC 10007

WHEN: Begins Jan 13th at 9am (estimated to go on for a month, weekdays)

WHY: https://www.youtube.com/watch?v=osg2L...

WHAT YOU CAN DO: Report on the trial. Talk about the case. If you have a platform, push the issue. 
Use your imagination.

Donate to the http://freeross.org/ fund. It costs them 35,000 a week to defend their son. 

2020/03/01

この事件の裏にある物。【メキシコ・カルテル・覚せい剤】(BU)

DATE: 05/15/2015

今日、mailでヤフー知恵袋のこんな記事が送られて来た。
以下そのまま引用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
覚せい剤を所持していたら懲役何年ですか?

覚せい剤の所持と持ち込み。


中国人が起訴されました。

覚醒剤240キロ製粉機に隠す、中国人4人起訴


メキシコから横浜港に荷揚げされた大型製粉機内に
覚醒剤約240キロ(末端価格約168億円)が隠されていた事件で、
東京地検は2日、住所不定の会社員、
甘慶堯容疑者(55)

ら中国籍の4人を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)で東京地裁に起訴した。



起訴状によると、4人は4月12日、
横浜港から都内の倉庫を経由して埼玉県加須市の倉庫に
運ばれた製粉機内に覚醒剤を隠し持ったとされる。



製粉機を引き取りに来た中国人らが、警視庁に現行犯逮捕されていた。
このほか、日本人2人と中国人4人も営利目的密輸容疑で逮捕されたが、


6人は処分保留で釈放された。




(2013年5月2日23時31分 読売新聞)




これを読んで
俺の会見、勝手な
に、ひひひ

メキシコのカルテルが動き出してるのは知ってたが、
米国では、
覚せい剤は貧乏人や金のない若者、
コカインが買えない人種
間で萬延してる、チープドラッグ


それが、日本では高額な取引されている、


あかん、また、いらん事書きそうや、


本題に入る。

この摘発は、米国依頼のカルテルからの贈り物
この裏では

何十倍もの商品が黙認通過してんやろな。

からくりは
どっかに書いたはずなんで参考にして欲しい


現在質はかなり良い
それだけ、供給過多なのだが、

コントロールされている
誰が、

そんな事、
書くと、殺されてしまう。

お分かりだろう・・・