1980年代初頭のHawaii、wikiwikiBeach
俺は間違いなくそこに存在してた
目指すはLAのサンディエゴ
ほんの軽い気持ちで立ち寄ったHawaii
俺は、知らぬ間に近寄るある組織へと
呑み込まれて行くはめにナルなど
その時は、コレっぽっちも思いもしなっかた
1人旅のエキスパートの俺は
早速行きの飛行機の中で、大阪泉南の3人組に近づき
友達になる
これで、到着後の宿は確保できた
この件は別の記事にあるので飛ばす事にする
ワイキキビーチを毎日ウロウロしていると
ある事に気が付いた
そう
日本人ビーチボーイの存在
奴らは、日本人観光客になにやらカードの様なモノを
渡してるんや
俺も、日本人観光客の1人
多分に漏れず数枚のカードをもろたんや
カードには
雄琴、雅、とか書いてあって
よーは、外人と1発出来る売春宿の宣伝や
内容は
ホテルまでの送迎付きで
120ドル
(当時の為替レートが250円前後)
日本円で3万円やな
当時としてはかなりの高額やで
カードには電話番号と個人名のハンコが押されていて
そこに電話すると、受付のオッサンが
押されてるハンコの名前と聞き
ハウスのシステムを案内する様になっているんや
それは、さて置き
泉南3人組と俺は
ハイヤットリージェンシーホテル
あの、ツインタワーの
1本裏通りの
アロハパシフィックホテルにムーブインして来た
何処から?
ダウンタウンから
ホテルとは名ばかりで
ワイキキのど真ん中と言う立地を除けば
悪党の集まるボロアパートやと
後に知る事になる
部屋のドアには
ほかの客が付けたであろう、ナイフの刺し傷が無数に有り
天井には血痕らしきシミがそいら中に散り
西成でもこんな汚い宿は
見た事がない
そんな、8畳ほどのステューディオの部屋に
(1人部屋)
俺含め4人が、フロントからマットを持ち込み
生活してたんやから
部屋の中はゴミ溜めの様にあれてた
まぁー、当然と言えば当然やな
ホンマ、汚いの一言に尽きる
毎日、ワイキキをウロウロしてるもんやから
自然とかを馴染みの奴らが増えてくるし
俺はかなりポジティブに
知り合いを増やしていった
最初、俺らのゴミ溜めに出入りするようになったんは
同んじボロ屋に住む
関東の女の子2組で歳も1コか、2コ上の
中々のベッピンさん
その後
泉南3人組の後輩のRが女の子を1人連れて来出し
この女の子メチャクチャ可愛く妖艶な
不思議なオーラを放つ子で、別にRの彼女ではなかった
遠い将来この女の子、Hちゃんと
摩訶不思議な経験をするとは、この時には夢にも思わんかった
そんな感じで
立地上非常にべんな場所に住んでいた俺らの
部屋は瞬く間に、ビーチボーイや、ピンプ(ポン引き)や、訳のわからん連中の
溜り場となってもて、汚い部屋が
より一層汚くなっていってもうた
当然
ここは、Hawaii
若い青春真っ只かな愚かな若造には
ドラッグが付きもんや
パカ、コーク、L、ルーズなんかが
部屋中いたる所に、転がってた光景を30年経った
今でも鮮明に覚えている
毎日が、こんなんで
ブラブラとドラッグを消費するだけ
金は見る見る言う間に無くなってゆく
風呂の栓を抜いたように
一箇所めがけて吸い込まれて行くんや
栓をしたいが、栓が見つからん
えらいっこっちゃぁ~~
誰かぁー、栓、見つけてぇ~~~~~
そんな時に、スキに
シンジケートは俺を飲み込んで行く事になるとは・・
部屋に出入りしてた
サンフランシスコから流れて来た
横浜のKが俺の状況を見かねて
こんな話を言い出した
「Dちゃん、ドライバーヤってみない?」
ドライバーとは
売春宿(ハウス)と客のホテルとの
送迎運転手
の事で
夕方5時~0時迄のバイトや
日当は35ドル(8750円)
俺は、一言返事で請け負った
俺にとっては何の迷いもない天から降りてきた
蜘蛛の糸の様なもんで
正に、飛びついたんや
そして、ここHawaiiの売春組織の全貌が
大きな口を開け俺をスッポリと
飲み込んだ!!!
時は遅しや!
続
0 件のコメント:
コメントを投稿