2019/07/17

IN New Osaka Last 6 of 6(BU)


何事にも変化があるのが、世の常である。

俺の周りにも変化が現れていた。

続々と周りの人間がパクられて行くのだ
それには原因があった、

犬だ

府警本部と近麻の犬が何人かいる。



当時の新聞をも賑わした、ヤクザが関係しない不良だけの
ヘロイン密売グループ
104人逮捕される。と、言う事件
大阪のグループは壊滅状態にあった。



ヘロインの供給が経たれた残った人間はヘロインの調達にてんやわんやして、あっちこっち走り回っていた。



ヘロイン中毒の性、自分にもデコの手が迫っているのにも関わらず、ヤクを辞めることができないのだ、


明日の逮捕より、今のヘロインが優先されるのだ。悲しいかな。


神戸グループが難を逃れ、生き残っていたので、俺自身は調達の苦労はなかったが、供給量が少なく満足いく量が手にできなかった。


家の電話がジャンジャン、けたたましく、俺をいらだたされる、
普段かけて来ないような奴はまだましだ、何処で聞いて来たのか
全く知らない奴からも電話が鳴る。



酷い状態になって来たで、
いちいち相手してたら切りが無いので相手にしなかった。

大阪の街中で、持ってるのはDだけだとヘロイン中毒の間では、噂になってると言うではないか、えらい迷惑な話だ。


電話に出ないでいたら、
ある日

ピンポン、ピンポン

と、チャイムが鳴りだした。


ヘロイン中毒者が家まで押しかけて来た  シックで鼻水を垂らし、嘔吐しながら
ボロ布のどう見ても乞食が、ドアを叩いている。



ヘロインの世界には、ヘルプと言う言葉があり、持ってる者は、シックでヘルプしてくれと言う奴を助けると言う、暗黙のルールの様なものがある。



それは、ギブ&テイクで自分が逆の時にヘルプして貰えないからだった。
俺もヘロインの世界で生きる人間、乞食の様になって頼って来られたら、
助けないわけにはいかない。




そんな日が何日か続いたが
とうとう神戸もネタが止まってしまい
今度は、俺が乞食になった。


ヘロインの禁断症状は1ケ月は続く、

最後の注射から8時間位から始まり症状は時間を追うごとに悪くなって行く、それ自体が恐怖となって襲いかかって来るからたまったもんではない。


48時間から72時間が
ピーク


その後、身体には感じないゆっくりした速度で、約一月かけて収まってゆく、
どうにもこうにも耐えられない苦痛、
一発入れると楽になると体が要求する

葛藤

メタドンがブプレノフィンがない限り、この道しか選択の余地はない。
俺は、ピークを過ぎた4日目に、
余りに衰弱が激しかったので
近所の病院に点滴を打って貰いに
行ったら、


急性膵炎を起こしてると言う事で
その日に入院することになった。


入院してから5日
事件は起きた。
病院に近麻が10人位で
押しかけて来たのだ。



容疑は、ヘロイン、LSD、
の譲渡、大麻所持
29歳の夏の熱い日だった。


裁判の判決は、
懲役3年執行猶予1年6月
神戸グループは難を逃れてたんで


判決が出たその足で
神戸へと向ったのは言うまでもない。


久しぶりのヘロインは
身体全身の細胞に染み渡る
この感覚、これだ、これなんだ。



俺が、ヘロインを求めるのでは無く、
ヘロインが俺を離してくれないのだと、私を極めろ、と言われてる気になっていたのは間違いない。



罪悪感のかけらも無い、
逆にヘロインのお陰て、本来の
自分を取り戻せると
今から思えば真剣に考えていた。



出所したその日から
ヘロインの常習者となった。


頭の中には、ヘロインを辞める
と言う選択肢は存在すらなかった。
あー、眠剤が効いて来たので、この辺でこれで、



iN New Osaka Last
で、終了です。

IN New Osaka①、話の始まりはコチラ

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