プッシャー スマッグラー IN New OSAKA④ 4 of 6(BU)04/19/2014
タイからスマッグラーしたヘロインとメタドン
保険でせしめた保険金を元に
俺は本格手にヘロインの密輸に手を染め出した。
その頃の関西圏ではヘロインの密輸に携わるグループが少なくとも
5つはあった。
神戸、東大阪、市内、北大阪
俺はその中から信用のおける2人とを組み3人で交代でタイに飛ぶと言うものだった。
密輸の手口はボディーパックキングである
30gのまゆ状のヘロインの塊を肛門の穴の中に押し込むと言うやり方で
合計5個、150gを詰めて持ち帰る方法と、
2gにパックしてあるボール状のヘロインを150個、300gを経口投入するというやり方だ。
大概は、150g止まりで3人で分け合う1人50g
飛んだ人間に1gにつき3万円渡すことになっている。
当時のヘロイン相場は1g、6万円だったので
3万で買ったヘロインを6万円~10万円で捌いていた。
これを3人交代でタイに飛ぶのだが、
サイクルとしては、1ヶ月に1回程度誰かが飛ばないと
ヘロインは回らなかった。
下手して飛ぶ時期がずれるとほかのグループから6万で買わないといけなくなるので
金銭的にきつくなるのは言うまでもない。
そこで、俺は経口で300g持ち帰ったがそれでも2-3ヶ月に1回は飛ぶ羽目になっていた
そんなある日だった、仲間内の1人が行く時期を見誤り、
俺に泣きつてきたのでしょうがなく俺は、16gのヘロインをそいつに貸したのだ
そいつは難を乗り越え無事にタイへと飛んだのだが、
帰りにバリ島に寄り帰ってくることになった。
当時、バリでもヘロインは重宝され売るところは幾らでもあった。
そいつはバカンスをかねバリでヘロインを売り
伊丹に戻ってくることになったのだが
到着当日、伊丹まで迎えに行った俺は信じられねい事態に遭遇する。
そいつが、いつまで経っても到着ロビーに現れないのだ。
3時間、4時間 これはタイムリミットだ
頭をよぎる、パクられたのだ。
その後、そいつの妹から連絡が入り空港でパクられた事が判明した。
大きく予定が狂ってしまった。
これからどうするか考えなければならなかった。
貸した16gは戻ってこない
俺の手持ちはもういくらもなかった。
最悪だ。
次なる手段を講じなければならない。
俺は途方にくれた。
To be continued⑤
0 件のコメント:
コメントを投稿